Psychedelic Afternoon(1994)
David Byrne + 坂本龍一

ZAPUNI は世界中の音楽アーティストと日本人アニメーターによる作品を通して東日本大震災で被災した子供たちを支援するプロジェクト…曲を購入すると寄付できる…Psychedelic Afternoon は3作品中のひとつ…このチャリティー曲は Byrne の単独名義…教授は作曲でのクレジット…あえて波を描いてる…ギター弾きのお祖父ちゃんはヒッピー…
Psychedelic Afternoon(1994)
David Byrne + 坂本龍一

ZAPUNI は世界中の音楽アーティストと日本人アニメーターによる作品を通して東日本大震災で被災した子供たちを支援するプロジェクト…曲を購入すると寄付できる…Psychedelic Afternoon は3作品中のひとつ…このチャリティー曲は Byrne の単独名義…教授は作曲でのクレジット…あえて波を描いてる…ギター弾きのお祖父ちゃんはヒッピー…
riot in lagos(1980)
坂本 龍一
アディーチェが住むラゴス…
調べるとリリース当時のラゴスはやはり混乱状態だったようで…
今でも経済・文化の中心でありながら治安は最悪だとか…
フェラ・クティの影響があるらしいのだけど、分からないのが悔しい…
同年リリースの Remain in Light は何となく分かるのだけど…
いずれもワンコードは共通している…
一瞬にして空気が電荷を帯びる…
ライブではなくスタジオ録音で脳内に電子を飛ばしたい…
男も女もみんなフェミニストでなきゃ(2017)
著 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
訳 くぼた のぞみ
フェミニズムの理想はフェミニズムが無くなることだろう…
それは可能だろうか…
理解と誤解は分かち難い…
差別と区別の線引きも曖昧だ…
すれ違いや隙間が作る力学・規範は欠かせない…
ブランカとギター弾き(2015)
監督 長谷井宏紀
http://www.transformer.co.jp/m/blanka/
フィリピン続きだが、監督は日本人…
クストリッツァが絶賛する映像美…
等身大の演技、飾らない演出…
だからこそ見えてくるもの、届くものがある…
ひきこもれ – ひとりの時間をもつということ(2002)
著 吉本隆明
フーコーが歴史の中に見た「狂気」と同じだと思う…社会が「ひきこもり」を生み出す過程は、ひとりでいることへの恐怖や罪悪感と切り離せない…それは病的なものになり、克服すべきことになる…吉本氏はひきこもりをある意味賛美し、少なくとも弁護・後押ししている…
他者への伝達ではなく自分に通じる言葉…
その言葉はひきこもることで生まれる…
価値はそこでしか増殖しない…
新しい目の旅立ち(2015)
著 プラープダー・ユン
訳 福冨 渉
この旅の舞台はフィリピンのシキホール島…
昔ながらのゆったり時が流れる小さな島だ…
魔女が住んでいるらしい…
正月といえば近場の一泊旅行が慣例で、旅先でのランも楽しみのひとつだった…今年はコロナの影響でそれも叶わなかった…タイ人による旅を綴った本…原題を直訳すると「違うベッドで目覚める」になる…プルーストによると「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ること…」らしい…
Ryuichi Sakamoto : CODA(2017)
監督 スティーブン・ノムラ・シブル
http://ryuichisakamoto-coda.com
震災で音が狂ってしまったピアノ…
人は道具を、楽器を作った…
人は「自然」に手を加えた…
ピアノは狂ったのだろうか…
元に戻ろうとしているんじゃないか…
ミノタウロスの皿(漫画1969 アニメ1990)
作 藤子・F・不二雄
「ドラえもん」「パーマン」のF先生の作品…
「ハットリくん」「怪物くん」のA先生じゃない…
ベジタリアンはA先生の方…
主人公は結局理解したのだろうか…
理解して渋々すべてを受け入れたのだろうか…
それとも気づいていないのだろうか…
気づかないのも示唆的ではあるけど…
孤独の発明(1982)
著 ポール・オースター
訳 柴田元幸
前半は一人称…冒頭の2枚の写真が事実であることを教えてくれる…親子の歴史が次第に鮮明になっていく…後半は三人称…偶然の一致に引き寄せられながら記憶と考察の断片が交錯する…話は飛ぶし不快になりそうな気もするが不思議と馴染んだ…意外に人の内側はそういう挙動なのかもしれない…そもそも読むという行為がそういうことなのか…
フロイトの「無意味なもの」についての考察で「意味の不在こそ第一原理である」「彼は言うことを意味する」と綴っている…この本が、作家としての或いは後続の作品(物語)に対する宣言のようなのものに思えてきた…
ビジテリアン大祭(1934)
著 宮沢賢治
作家はデリケートな問題をオブラートに包んで語ることができる…クッツェーの「動物のいのち」にしろ、この「ビジテリアン大祭」にしろ、多くの人に是非読んでほしいが、読むのはおそらく菜食者だけだろう…相変わらず閉じている…そういう話かもしれない…肉食大国となった今日の日本をもし宮沢が見たらどう思うのだろうか…もし同様の作品を書くとしたら少し違う内容になっていたのかな…
まず菜食者をその理由で「同情派」と「予防派」に分けている…「同情派」は倫理的理由、「予防派」は健康を理由とする…主人公(宮沢?)は「同情派」…実行の方法から分類すると3つに分かれ、第一が完全植物食(ヴィーガン)、第二は乳製品&卵OK(ラクト・オボ・ベジタリアン)、そして第三は引用させてもらう…