新しい目の旅立ち(2015)
著 プラープダー・ユン
訳 福冨 渉
この旅の舞台はフィリピンのシキホール島…
昔ながらのゆったり時が流れる小さな島だ…
魔女が住んでいるらしい…
正月といえば近場の一泊旅行が慣例で、旅先でのランも楽しみのひとつだった…今年はコロナの影響でそれも叶わなかった…タイ人による旅を綴った本…原題を直訳すると「違うベッドで目覚める」になる…プルーストによると「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ること…」らしい…
スピノザにとって神とは「自然」であり「すべて」であり「ひとつ」だ…さらにそれは「生」と言い換えることもできないだろうか…死と対の生じゃない…謂わば大文字の生…著者は「自然」が他者として分離してしまったと言う…「私」が生まれたからだろう…「私」は自然と袂を別ち、同時に「他者」そして「世界」を作る…「私」は謂わば小文字の生であり死と隣り合わせの生…「私」も自然の現れではあるが、他にはない異質な何かだ…
テッド・カジンスキー…著者はソローと重ねている…自分の立ち位置も遠くはない…カジンスキーのとった行動は決して受け入れられるものではないが、その思想を全面否定する気にはなれない…こう書くと自分も立派な危険人物になってしまうのかな…カジンスキーは「自然」を人間性と人間社会から分離すると著者は言う…しかしそれはスピノザとの対比で際立ってはくるものの、ごく一般的な考えであり特別なものではない…カジンスキーを特徴付けるものにはなりえないのではないか…ただ間違いを犯すのは人間だけで、だから何か問題があるとしたらそれは人間の側にある…その発想は自然を切り離すことで可能となる…
カジンスキーは産業社会やテクノロジーを敵視していた…敵視は極端だとしても用心すべきことはあると思う…同じように理性にも用心すべきだ…人を形作っている根本の部分…社会の中で生きる人間として必要なのがアップデートだとしたら、ひとりの人間として必要なのはときどきデフォルトの状態に近づけることじゃないだろうか…例えば旅にはそういう効果があるような気がする…