Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 22 確かなもの
■ 23 疑うことと信じること

動物性のものを口にしたくはないし、誰もがそうあって欲しいと思っている…しかし例えば納豆は付属のタレをつけるし、市販のパンやアイスも食べる…お惣菜の野菜コロッケも食べるし、レースのときは現地のうどんも食べる…ほかは徹底して動物性を避けているが、デカルトの「方法的懐疑」に倣うと、完璧でない自分の菜食はすべて無駄だということになる…ヴィーガンにしろ肉食者にしろ、こう考える傾向はある…できることにフォーカスしたい…そこから広げることもできる…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 17 魂に対する態度
■ 18 意志

人は魂とか心とかで自らを差別化しようとする…
固有のものを持った存在だと思いたがる…
仮にそういうものがあるにしろ、特別なものなのだろうか…
孤立した「私」に付随する何かではないのか…

ロボットと人間を隔てるものとは何か…
そもそも人間は自然の中にいて独立してはいない…
勝手に「私」を作って勝手に孤立しているだけだ…

孤立(分裂)したものは引き合う…
もしかしたら人はロボットに対しても心を埋める何かを求めるのかもしれない…
しかしその逆はどうなのだろう…

ロボットも自然の外にいるわけではない…
しかしロボットに「私」という孤立が可能なのだろうか…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 10 言語ゲーム
■ 11 家族のような類似
■ 12 言葉の意味
■ 13 私だけの言葉
■ 14 文法による間違い
■ 15 本物の持続
■ 16 ライオンがしゃべる

はじめに信号があった…
言葉を伴うことで虚構が始まる…

言葉はどこにあるのか…
話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと…
会話、SNS、手紙、挨拶…独り言も自分との会話だ…
思考によって始まり、終わる…

理性はあらゆるものを定置する…
理性の相棒である言語も定置する…
言語は虚構として在る…
国家やお金と同じだろう…

虚構(言語、国家、お金…)の共有はどうやって可能になるのだろう…
意味や概念ではなく、使用あるいはルールによるゲーム…
人が言語という虚構を共有する過程には言語ゲームがあるのかもしれない…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 1 哲学というのは、独特の感覚が出発点です
■ 2 私は世界だ

私という肉体がこの世に生まれた日(少なくとも自分で外気を吸い始めた日)ははっきりしている…しかし記憶を伴った「私」という存在はおそらくぼんやり始まったはずだ…「私」と「世界」はセットだ…「世界」は「私」とともに始まり「私」とともに消える…動物にも「私」があるように見えるがそれは本能に依るもので恐らく「私」は不在なのだろう(例えばイルカやボノボには「私」の萌芽みたいなものがあるのかもしれないが)…動物は自然であり、自然には答えしかない…理由や原因はない…理由を作る(見る)のは「私」であり「私」は「世界」を作る代わりに答えを失った…理性や思考は答えを失った状態に寄り添っているものだ…答えのある状態に理性や思考はない…「私」と「世界」の出現と「答え」の消失は人類最初の恩恵と犠牲なのだと思う…「私」のそばにはいつも「死」がある…「生」と「死」は別物なのではなく、同じものの別の側面だ…「私」とは一種の勘違いみたいなものだ…

バタイユの言葉…
死はこの世がまやかしであることを暴露する…
突如として現実世界が嘘であることを告げる…
(「宗教の理論」より)

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Le Père Noël supplicié

火炙りにされたサンタクロース(1952)
(「われらみな食人種」所収 )
著 クロード・レヴィ=ストロース
監訳 渡辺公三
訳 泉克典

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021121600184&g=int

ディジョンでサンタクロースが火炙りになったのは1951年…アメリカから輸入された慣習への反発だった…聖職者たちは降誕祭の宗教的価値が薄れつつあることを憂いていた…しかしレヴィ=ストロースはもっぱらアメリカの影響にするのは単純すぎると言う…ここでは輸入された慣習は同化というより寧ろ触媒の役割を果たしている…潜んでいた類似の慣習が顕在化したのだと…今日のクリスマスは歴史の中で目まぐるしい変動を繰り返してきた儀礼であって、すでに数々の栄枯盛衰を経てきていた…アメリカ的形態はもっとも現代的なアバターに過ぎない…ではなぜ一部の敵意がサンタクロースに集中するのだろうか…

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La démocratie aux marges

民主主義の非西洋起源について(2014)
著 デヴィッド・グレーバー
訳 片岡大右

■ 結論 国家の危機

サパティスタはラカンドンの森におおむね多民族的と言えるコミュニティを形成してきた…彼らが身を置いているのは、これまで民主主義的即興の空間と呼んだものの典型例だ…彼らは国家の外に置かれた即興空間の住人に他ならない…彼らのアイデアは、惑星全体に広がる一連の社会運動に途方もないインパクトをもたらしている…彼らが民主主義という言葉を選択するのは、アイデンティティ政治の香りを漂わせるもの全てを拒絶するという意思表示であり、議論や関心の輪をメキシコ内外に広げる意味があった…それは何か特定の言説から生じてきたのではないし、伝統的なマヤの実戦に由来するものでもない…その複数的な起源は、先住民の実戦と様々な潮流のアイデアとの持続的な対話のうちに探し求めるべきだろう…

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Democracy

There never was a West: or, democracy emerges from the spaces in between
DAVID GRAEBER

■ 第4章 相互になされる回収

民主主義を敢えて国家の形態(共和国)と考えるにしろ、それはフランス革命やアメリカ独立によって突然(ギリシャやローマとは関係なく)現れたようなものだ…西洋の伝統とは到底言えない…それどころか西洋の伝統が示すものとは民主主義的理想に反するもの(侵略、奴隷制、産業主義…)の列挙というほかない…西洋文明が自由、平等、人権という諸々の理想の担い手であるというハンチントンの主張は空々しく響く…逆にこの理想の中で、西洋列強に対する闘争のさなか、民族解放の諸運動によって掲げられなかったものを見つけることの方が難しい…このような理想(価値)は特定の道徳的、知的、文化的伝統に帰属するものではなく、この種の相互交流の中から生じてくる…

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Βαρουφάκης

Talking to My Daughter About the Economy
Γιάνης Βαρουφάκης

■ 第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか

農耕が余剰を生み出した…
余剰が経済を、格差を作った…

グレーバーによると物々交換の限界からお金が生まれたのではない…バルファキスも農耕による蓄え(余剰)の記録がお金の起源だと言う…物々交換は生活を共にする集団内での助け合いとしてあったのだろう…そういう自給自足的環境からお金は生まれない…お金は他所者とか立場を異にするものとの間に債務の記録として始まった…最初にあったのはキャッシュレス決済とか仮想通貨による決済と同じようなものだ…

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Hockney

David Hockney
That’s the Way I See it

☘︎「ラジオの上にはヨーロッパの地図が貼ってあった。どこの家でも地図を見ながら、連合軍がドイツ国内を進撃するニュースを聞いていたのだ。だから戦争が終われば、ニュースはもう無くなると思っていた。」(p15)

コピーと同じで技術が考え方や感じ方を変えていく…今では情報が大きな武器になってしまった…情報戦という側面もあるが、何を信じていいのか分からない(或いはそんなものはない)という側面も浮き彫りになってきている気がする…

☘︎「作品を通じて何かに近づいてもらいたい…。隔たりを取り除けば、人と人が近づき、お互いが同じひとつの存在であることに気づき始める。」(p15)

作品とは触れることで何かを変えることができる装置だ…
宛名のない手紙のようなもの…

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शून्य

The Other Shore
Thich Nhat Hanh

◆ 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙

対象を追いかけている限り、実践には妨げるものがある…それは自分の中から生じる…妨げるものには2種類ある…知識による「所知障」と苦悩による「煩悩障」…知識は多くの概念を抱え込んでしまい、手放すことが難しくなる…縁起やインタービーイングという概念でさえ最後は手放さなくてはならない…真理は知識や概念の蓄積の中にあるのではなく、ただ生きることの中にのみ存在しうる…混乱、憎悪、不安、渇望、復讐心などを総じて煩悩障という…ありのままを観ることを困難にしてしまう…

縛っている結び目を解くと、涅槃という自由が得られる…
手放すことによってのみ自由は得られる…

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