民主主義の非西洋起源について(2014)
著 デヴィッド・グレーバー
訳 片岡大右
■ 結論 国家の危機
サパティスタはラカンドンの森におおむね多民族的と言えるコミュニティを形成してきた…彼らが身を置いているのは、これまで民主主義的即興の空間と呼んだものの典型例だ…彼らは国家の外に置かれた即興空間の住人に他ならない…彼らのアイデアは、惑星全体に広がる一連の社会運動に途方もないインパクトをもたらしている…彼らが民主主義という言葉を選択するのは、アイデンティティ政治の香りを漂わせるもの全てを拒絶するという意思表示であり、議論や関心の輪をメキシコ内外に広げる意味があった…それは何か特定の言説から生じてきたのではないし、伝統的なマヤの実戦に由来するものでもない…その複数的な起源は、先住民の実戦と様々な潮流のアイデアとの持続的な対話のうちに探し求めるべきだろう…
民主主義者は過去二百年に渡り、その理想を国家という強制装置に託してきたが、国家とは暴力を組織化する手段にすぎず、その企ては失敗に終わっている…財産の不平等を基礎とする社会には強制的装置が不可欠になるが、そのような社会と民主主義は両立しない…ただしアテネは例外だった…過渡期の現象だったのだろう…財産の不平等がありながら、強制力を備えたいかなる装置も存在しなかった…
ローマにおける「忌まわしい鏡」現象は今日の多くの近代国家において、前例のない完成度に達している…支配エリート層は、言論や集会の自由を敢えて奨励することで、公衆がどれほど統治に関与する資格を欠いているかを思い知らせ続けている…それでも法律家たちは民主主義の矛盾に気付いていた…ベンヤミンも指摘しているように、あらゆる法制度の正当性は必然的に、犯罪的な暴力行為に基礎を置いている…
こうした背景をもとに、アナキズム的解決が決して理不尽なものではないことを提案したい…民主主義国家とは一個の矛盾でしかなく、グローバル化は元々腐っていた基盤をあらわに示したに過ぎない…新自由主義的解決も、国家の役割を強制的機能の行使に限定してしまうだけのものだ…対してサパティスタは国家の強制的装置を奪うのではなく(武力による革命ではなく)、自律的コミュニティの自己組織化を通して民主主義を基礎づけようとした…こうして民主主義は、当初生まれた場所に帰りつつあるように見える…つまりあいだの空間に…
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グレーバーは豊富な資料を元に慎重に言葉を綴っているが、その結論は潔く痛快だ…グレーバーの主張に倣うのなら、この本の言説もまた文学的、哲学的伝統に回収されるのかもしれないが、民主主義の議論に一石を投じているのは確かだ…きっとこの本自体がサパティスタと同じ立ち位置なのだろう…
読み始めてからだいぶ時間が経ってしまった…その間、新型コロナウィルスが猛威を振るい、アメリカがアフガニスタンから撤退しタリバンの独裁政権が誕生した…グレーバーがどういう見解を示すか興味のあるところではあったがそれは叶わないこととなった…未熟な自分でも何かリンクするものが感じられてとても刺激的な人物だった…