Le Père Noël supplicié

火炙りにされたサンタクロース(1952)
(「われらみな食人種」所収 )
著 クロード・レヴィ=ストロース
監訳 渡辺公三
訳 泉克典

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021121600184&g=int

ディジョンでサンタクロースが火炙りになったのは1951年…アメリカから輸入された慣習への反発だった…聖職者たちは降誕祭の宗教的価値が薄れつつあることを憂いていた…しかしレヴィ=ストロースはもっぱらアメリカの影響にするのは単純すぎると言う…ここでは輸入された慣習は同化というより寧ろ触媒の役割を果たしている…潜んでいた類似の慣習が顕在化したのだと…今日のクリスマスは歴史の中で目まぐるしい変動を繰り返してきた儀礼であって、すでに数々の栄枯盛衰を経てきていた…アメリカ的形態はもっとも現代的なアバターに過ぎない…ではなぜ一部の敵意がサンタクロースに集中するのだろうか…

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La démocratie aux marges

民主主義の非西洋起源について(2014)
著 デヴィッド・グレーバー
訳 片岡大右

■ 結論 国家の危機

サパティスタはラカンドンの森におおむね多民族的と言えるコミュニティを形成してきた…彼らが身を置いているのは、これまで民主主義的即興の空間と呼んだものの典型例だ…彼らは国家の外に置かれた即興空間の住人に他ならない…彼らのアイデアは、惑星全体に広がる一連の社会運動に途方もないインパクトをもたらしている…彼らが民主主義という言葉を選択するのは、アイデンティティ政治の香りを漂わせるもの全てを拒絶するという意思表示であり、議論や関心の輪をメキシコ内外に広げる意味があった…それは何か特定の言説から生じてきたのではないし、伝統的なマヤの実戦に由来するものでもない…その複数的な起源は、先住民の実戦と様々な潮流のアイデアとの持続的な対話のうちに探し求めるべきだろう…

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Democracy

There never was a West: or, democracy emerges from the spaces in between
DAVID GRAEBER

■ 第4章 相互になされる回収

民主主義を敢えて国家の形態(共和国)と考えるにしろ、それはフランス革命やアメリカ独立によって突然(ギリシャやローマとは関係なく)現れたようなものだ…西洋の伝統とは到底言えない…それどころか西洋の伝統が示すものとは民主主義的理想に反するもの(侵略、奴隷制、産業主義…)の列挙というほかない…西洋文明が自由、平等、人権という諸々の理想の担い手であるというハンチントンの主張は空々しく響く…逆にこの理想の中で、西洋列強に対する闘争のさなか、民族解放の諸運動によって掲げられなかったものを見つけることの方が難しい…このような理想(価値)は特定の道徳的、知的、文化的伝統に帰属するものではなく、この種の相互交流の中から生じてくる…

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Βαρουφάκης

Talking to My Daughter About the Economy
Γιάνης Βαρουφάκης

■ 第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか

農耕が余剰を生み出した…
余剰が経済を、格差を作った…

グレーバーによると物々交換の限界からお金が生まれたのではない…バルファキスも農耕による蓄え(余剰)の記録がお金の起源だと言う…物々交換は生活を共にする集団内での助け合いとしてあったのだろう…そういう自給自足的環境からお金は生まれない…お金は他所者とか立場を異にするものとの間に債務の記録として始まった…最初にあったのはキャッシュレス決済とか仮想通貨による決済と同じようなものだ…

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Hockney

David Hockney
That’s the Way I See it

☘︎「ラジオの上にはヨーロッパの地図が貼ってあった。どこの家でも地図を見ながら、連合軍がドイツ国内を進撃するニュースを聞いていたのだ。だから戦争が終われば、ニュースはもう無くなると思っていた。」(p15)

コピーと同じで技術が考え方や感じ方を変えていく…今では情報が大きな武器になってしまった…情報戦という側面もあるが、何を信じていいのか分からない(或いはそんなものはない)という側面も浮き彫りになってきている気がする…

☘︎「作品を通じて何かに近づいてもらいたい…。隔たりを取り除けば、人と人が近づき、お互いが同じひとつの存在であることに気づき始める。」(p15)

作品とは触れることで何かを変えることができる装置だ…
宛名のない手紙のようなもの…

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शून्य

The Other Shore
Thich Nhat Hanh

◆ 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙

対象を追いかけている限り、実践には妨げるものがある…それは自分の中から生じる…妨げるものには2種類ある…知識による「所知障」と苦悩による「煩悩障」…知識は多くの概念を抱え込んでしまい、手放すことが難しくなる…縁起やインタービーイングという概念でさえ最後は手放さなくてはならない…真理は知識や概念の蓄積の中にあるのではなく、ただ生きることの中にのみ存在しうる…混乱、憎悪、不安、渇望、復讐心などを総じて煩悩障という…ありのままを観ることを困難にしてしまう…

縛っている結び目を解くと、涅槃という自由が得られる…
手放すことによってのみ自由は得られる…

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शून्य

The Other Shore
Thich Nhat Hanh

◆ 是故空中無色 無受想行識

東と西はすでにお互いの中に含まれている…わざわざ出会う必要はない…言葉や記号や象徴に対応する姿や形のことを「相」と言う…「相」も色(体)と同じように空である…姿や形(相)を超越すると「私」や「私のもの」として認識できる独立した特質など何もないことが見極められるようになる…

◆ 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界

現象の十八の領域は、六種の感覚器官(六根)と、六種の感覚の対象(六境)と、六種の意識(六識)からできている…どの領域も単独で存在することはできず、関わり合っている…眼が見ているのではない…眼と形あるものが出会うところに視覚が生じる…考えることは、意識と意識の対象が出会った結果であり、そこに考える主体はない…認識する対象を見ることは、認識する者を見ること…

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शून्य

The Other Shore
Thich Nhat Hanh

◆ 相即相入

紙は紙以外のすべてからできている…

相即相入とは Thich Nhat Hanh の造語…すべては繋がっていてひとつ…人が切って考えているだけ…人も例外ではない…私は私以外のものでできている…「それ」は「それ以外のすべて」からできている…切り取ったものは切り取ったもの以外のすべてからできている…すべては一つであり且つ Identity を作らない言葉使い…

◆ 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空

ここからが般若心経の本文…五蘊とは体(色)、感覚(受)、認知(想)、心の形成(行)、意識(識)のこと…人を形成する基本的或いは根本的なものだろう…観自在菩薩はこれらすべて「空」だと言う…実体は無い、単独では存在できないと…人を構成する五蘊も相即相入ということ…

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Gary Yourofsky to Haaretz: ‘Animal Holocaust’ Isn’t Over

原文
https://www.haaretz.com/amp/.premium-animal-holocaust-goes-on-says-vegan-guru-1.5278995

和訳
http://therealarg.blogspot.com/2020/09/Animal-Holocaust-Isnt-Over.html

ハラリによるヨーロフスキーへのインタビュー…
というより殆どそれぞれが自分の考えをぶつけてる…
2013年なので「サピエンス全史」が世に出る前年のものだ…
二人がヴィーガンであることは知っていたが、実際に接点があったことは知らなかった…
テーマ別に要約して、自分なりの解釈を加えてみた…

■テクノロジー/フィクション

人は動物に対し圧倒的に優位な立場だ…
それは何に起因するのか…
優位性にはどのような意味があるのか…
それは今後どういう展開に向かうのか…

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Jouissance

欲動とは…
かつての状態を取り戻そうとすること…
死を志向すること…

享楽とは…
欲動の満足…
人の最大の目標…
緊張の度合いを高めることで得られる気持ちよさ…
快と不快が入り混じった気持ちよさ…
象徴界から排除されたもの…
象徴界の快原理によって抑えられているもの…
不可能なもの…

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