家畜の生には理由がある…
家畜は有用性に取り込まれている…
自然の巡りから切り離されている…
水の中の水ではなくなっている…
人も同じ過程を辿っている…
自己と世界が出現したとき、有用性の世界に入り込んだ…
自然の巡りから切り離された…
家畜の生には理由がある…
家畜は有用性に取り込まれている…
自然の巡りから切り離されている…
水の中の水ではなくなっている…
人も同じ過程を辿っている…
自己と世界が出現したとき、有用性の世界に入り込んだ…
自然の巡りから切り離された…
どんな出来事も大したことではない…
そういう側面を拭い去ることはできない…
戦争にしろ、津波にしろ…
家族の死にしろ、自分の死にしろ…
動物を食べることにしろ、食べないことにしろ…
動物を食べるなと騒ぐことにしろ…
覚えているものは誰もいなくなる…
蟻たちは今日も国境を簡単に跨ぐ…
人はここ地球でいったい何に拘っているのか…
喜びがあるか…
心地よいか…
人は自分が生み出す歪みを感じ取れない…
ありのままの感性も忘れてしまう…
スピノザの哲学は隅々まで仏教なのだと感じる…これほど酷似していれば違いよりも大筋の方に配慮すべきではないだろうか…共通する言葉や理屈を追いかける必要もないし、スピノザとか仏教とかも忘れて…
■ 汎神論/無神論
神とは、すなわち自然のこと…人の形をしてたり、この世を作った存在ではない…すべては一つ…別に神でもいいしそうでなくてもいい…世界、自然、宇宙、真理、実体…全部同じこと…ただ「世界」は「私」と対の言葉として馴染むし、「自然」は森や海を連想してしまう…使い分けるならとりあえず「実際」とか「一切」でもいい…
水は水として生じかつ滅する…
しかし実体としては生ずることも滅することもない…
仏教の言葉ではなくスピノザの言葉だ…
人も同じように実体として生まれることも消えることもない…
社会は有用性で動いている…
成功、達成、獲得、勝利…
つまり強者、勝者、富者の論理で動いている…
そうでない社会は衰退する…
すなわち、弱者、敗者、貧者は周辺の住人となる…
人は中心に正解を見るようになる…
有用性の世界とは、理性が作り出す世界だ…
道具が生まれ、所有が始まる…
その光景を自然の中に見ることはできない…
理性が作り出す異質な世界…
自然界に同種による同様の競争や弱肉強食はない…
生態ピラミッドの縦構造は異種間のつながりをあらわしている…
異質さは必ず何らかの歪みを生む…
暴力、ゴミ、病気、貧困…
それらを周辺に追いやりながら社会は生き抜こうとする…
それらは常に生産され、常に周辺に追いやられ、常に消滅するか蓄積される…
社会の維持に必要な排泄物…
男も女もみんなフェミニストでなきゃ(2017)
著 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
訳 くぼた のぞみ
フェミニズムの理想はフェミニズムが無くなることだろう…
それは可能だろうか…
理解と誤解は分かち難い…
差別と区別の線引きも曖昧だ…
すれ違いや隙間が作る力学・規範は欠かせない…
ミノタウロスの皿(漫画1969 アニメ1990)
作 藤子・F・不二雄
「ドラえもん」「パーマン」のF先生の作品…
「ハットリくん」「怪物くん」のA先生じゃない…
ベジタリアンはA先生の方…
主人公は結局理解したのだろうか…
理解して渋々すべてを受け入れたのだろうか…
それとも気づいていないのだろうか…
気づかないのも示唆的ではあるけど…
孤独の発明(1982)
著 ポール・オースター
訳 柴田元幸
前半は一人称…冒頭の2枚の写真が事実であることを教えてくれる…親子の歴史が次第に鮮明になっていく…後半は三人称…偶然の一致に引き寄せられながら記憶と考察の断片が交錯する…話は飛ぶし不快になりそうな気もするが不思議と馴染んだ…意外に人の内側はそういう挙動なのかもしれない…そもそも読むという行為がそういうことなのか…
フロイトの「無意味なもの」についての考察で「意味の不在こそ第一原理である」「彼は言うことを意味する」と綴っている…この本が、作家としての或いは後続の作品(物語)に対する宣言のようなのものに思えてきた…
ビジテリアン大祭(1934)
著 宮沢賢治
作家はデリケートな問題をオブラートに包んで語ることができる…クッツェーの「動物のいのち」にしろ、この「ビジテリアン大祭」にしろ、多くの人に是非読んでほしいが、読むのはおそらく菜食者だけだろう…相変わらず閉じている…そういう話かもしれない…肉食大国となった今日の日本をもし宮沢が見たらどう思うのだろうか…もし同様の作品を書くとしたら少し違う内容になっていたのかな…
まず菜食者をその理由で「同情派」と「予防派」に分けている…「同情派」は倫理的理由、「予防派」は健康を理由とする…主人公(宮沢?)は「同情派」…実行の方法から分類すると3つに分かれ、第一が完全植物食(ヴィーガン)、第二は乳製品&卵OK(ラクト・オボ・ベジタリアン)、そして第三は引用させてもらう…
差別とは社会的な物差しが生み出すものだろう…
社会の中で語りうるもの…
性別、人種、LGBT…
そこに動物の入る余地はあるだろうか…
動物に社会性は求められていない…
同列には並びえない…
だから権利云々ではない…
人社会に巻き込まれない権利なら唯一ありかもしれないが…
社会性ではなく、もっと単純な地点に降りたい…
生物という物差しすらない地点…
おそらく何も測れない場所…
理性が及ばない場所…
スポーツは未だ動物の犠牲の上に成立している…
娯楽の、欲望の犠牲になっている…
生きるための犠牲ではない…
意外にも非難の声は皆無だ…
検索しても何も出てこない…
食や衣類に関しては山ほどの情報があるというのに…
多くが熱狂する分野でありながら何故スルーされるのか…