Fellow

■ われらみな食人種(「われらみな食人種」所収 )
■ 狂牛病の教訓(「われらみな食人種」所収 )
著 クロード・レヴィ=ストロース
監訳 渡辺公三
訳 泉克典

人は人を食べたいとは思わないだろう…
同じ理由で食べたくない動物たちがいる…

人は同胞を食べない…コーラ・ダイアモンドが見ているのは剥き出しの直感的な感覚だ…しかしレヴィ=ストロースが示すのは人によるカニバリズムの実態…単に愚かな行為、野蛮な行為として切り捨てられるものではないと言う…その意味合いも多様だ…栄養源、弔い、報復、魔術…ただそれらは逆に”超えることの重さ”を暗に示しているように思える…動物も人も供儀を通して神に捧げられた…動物の犠牲にもカニバリズム的意味合いが含まれていた…

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La Pensée sauvage

神話的思考と科学的思考
(「われらみな食人種」所収 )
著 クロード・レヴィ=ストロース
監訳 渡辺公三
訳 泉克典

神話的思考と科学的思考…
前者は未開社会に、後者は文明社会に特徴的に見られるもの…
前者は「野生の思考」とも呼ばれている…

自分の視点で書くと…

思考そのものに主導的要素はない…
他の何かに主導権を握られている…
例えば神、権力、立場、欲望、損得、怨恨、気分などに依存している…
思考とは情報量、計算速度にもよるが、計算装置以上のものではない…
常に合理的なのが思考であり、しかし思考は答えを失っている…

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SPINOZA

スピノザの哲学は隅々まで仏教なのだと感じる…これほど酷似していれば違いよりも大筋の方に配慮すべきではないだろうか…共通する言葉や理屈を追いかける必要もないし、スピノザとか仏教とかも忘れて…

■ 汎神論/無神論

神とは、すなわち自然のこと…人の形をしてたり、この世を作った存在ではない…すべては一つ…別に神でもいいしそうでなくてもいい…世界、自然、宇宙、真理、実体…全部同じこと…ただ「世界」は「私」と対の言葉として馴染むし、「自然」は森や海を連想してしまう…使い分けるならとりあえず「実際」とか「一切」でもいい…

水は水として生じかつ滅する…
しかし実体としては生ずることも滅することもない…

仏教の言葉ではなくスピノザの言葉だ…
人も同じように実体として生まれることも消えることもない…

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The Other Shore

般若心経(2018)
著 ティク・ナット・ハン
訳 馬籠久美子

哲学とは深い洞察によって編まれた概念による構築物…
言葉のルールの中にあるのだと思う…

仏教の拘りはあくまでも「実際」なので、あえて矛盾した話もあれば例え話も多い…
通常の理解を超えた話も多く「実際」は如何様にも語れてしまう…
しかし仏教は哲学が言いたいことを言葉にしているのかもしれない…
仏教は作品ではない…
教義であり実践…

仏教は理性を警戒している
とはいえ理性を超えて超合理的でもある

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We Should All Be Feminists

男も女もみんなフェミニストでなきゃ(2017)
著 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
訳 くぼた のぞみ

フェミニズムの理想はフェミニズムが無くなることだろう…
それは可能だろうか…

理解と誤解は分かち難い…
差別と区別の線引きも曖昧だ…
すれ違いや隙間が作る力学・規範は欠かせない…

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ひきこもれ

ひきこもれ – ひとりの時間をもつということ(2002)
著 吉本隆明

フーコーが歴史の中に見た「狂気」と同じだと思う…社会が「ひきこもり」を生み出す過程は、ひとりでいることへの恐怖や罪悪感と切り離せない…それは病的なものになり、克服すべきことになる…吉本氏はひきこもりをある意味賛美し、少なくとも弁護・後押ししている…

他者への伝達ではなく自分に通じる言葉…
その言葉はひきこもることで生まれる…
価値はそこでしか増殖しない…

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ตื่นบนเตียงอื่น

新しい目の旅立ち(2015)
著 プラープダー・ユン
訳 福冨 渉

この旅の舞台はフィリピンのシキホール島…
昔ながらのゆったり時が流れる小さな島だ…
魔女が住んでいるらしい…

正月といえば近場の一泊旅行が慣例で、旅先でのランも楽しみのひとつだった今年はコロナの影響でそれも叶わなかったタイ人による旅を綴った本原題を直訳すると「違うベッドで目覚める」になるプルーストによると「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ること」らしい

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ミノタウロスの皿

ミノタウロスの皿(漫画1969 アニメ1990)
作 藤子・F・不二雄

「ドラえもん」「パーマン」のF先生の作品…
「ハットリくん」「怪物くん」のA先生じゃない…
ベジタリアンはA先生の方…

主人公は結局理解したのだろうか…
理解して渋々すべてを受け入れたのだろうか…
それとも気づいていないのだろうか…
気づかないのも示唆的ではあるけど…

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The Invention of Solitude

孤独の発明(1982)
著 ポール・オースター
訳 柴田元幸

前半は一人称…冒頭の2枚の写真が事実であることを教えてくれる…親子の歴史が次第に鮮明になっていく…後半は三人称…偶然の一致に引き寄せられながら記憶と考察の断片が交錯する…話は飛ぶし不快になりそうな気もするが不思議と馴染んだ…意外に人の内側はそういう挙動なのかもしれない…そもそも読むという行為がそういうことなのか…

フロイトの「無意味なもの」についての考察で「意味の不在こそ第一原理である」「彼は言うことを意味する」と綴っている…この本が、作家としての或いは後続の作品(物語)に対する宣言のようなのものに思えてきた…

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ビジテリアン大祭

ビジテリアン大祭(1934)
著 宮沢賢治

作家はデリケートな問題をオブラートに包んで語ることができる…クッツェーの「動物のいのち」にしろ、この「ビジテリアン大祭」にしろ、多くの人に是非読んでほしいが、読むのはおそらく菜食者だけだろう…相変わらず閉じている…そういう話かもしれない…肉食大国となった今日の日本をもし宮沢が見たらどう思うのだろうか…もし同様の作品を書くとしたら少し違う内容になっていたのかな…

まず菜食者をその理由で「同情派」と「予防派」に分けている…「同情派」は倫理的理由、「予防派」は健康を理由とする…主人公(宮沢?)は「同情派」…実行の方法から分類すると3つに分かれ、第一が完全植物食(ヴィーガン)、第二は乳製品&卵OK(ラクト・オボ・ベジタリアン)、そして第三は引用させてもらう…

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