Eating Animals

イーティング・アニマル(2009)
著 ジョナサン・サフラン・フォア
訳 黒川 由美

我が町にも食肉加工場はある…
検査機関も併設されている…
平日は数百メートル先まで豚の鳴き声が聞こえる…
革製品を扱う工場もある…海外からの注文も多い…
工場は原発や米軍基地のようなものだ…
住民の生活を支えている…

動物の犠牲に関わるものを今すぐすべて否定することはできない…
社会全体が少しずつ別の選択をするよう願うだけだ…
おそらく正解とは頭の中の出来事に過ぎないのだろうし…
何にしろ穏やかな気持ちでいたい…
人同士の軋轢も、動物の犠牲もないのが理想だ…

人は「食事をする」動物だと著者は言う…
さらに言うなら「食べ物を作る」唯一の動物だろう…
自然界に「食べ物」は存在しない…
食べる行為があるだけだ…

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Fellow

■ われらみな食人種(「われらみな食人種」所収 )
■ 狂牛病の教訓(「われらみな食人種」所収 )
著 クロード・レヴィ=ストロース
監訳 渡辺公三
訳 泉克典

人は人を食べたいとは思わないだろう…
同じ理由で食べたくない動物たちがいる…

人は同胞を食べない…コーラ・ダイアモンドが見ているのは剥き出しの直感的な感覚だ…しかしレヴィ=ストロースが示すのは人によるカニバリズムの実態…単に愚かな行為、野蛮な行為として切り捨てられるものではないと言う…その意味合いも多様だ…栄養源、弔い、報復、魔術…ただそれらは逆に”超えることの重さ”を暗に示しているように思える…動物も人も供儀を通して神に捧げられた…動物の犠牲にもカニバリズム的意味合いが含まれていた…

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Division

分裂は個(孤)を作る…

個は引き合うものだ…
分裂によって生まれた情動…
分裂と逆向きのベクトルを持った何か…
個は個であろうとするが、逆に引き合ってもいる…
引き合い、それが絶たれる苦しみ…
身近な個の消失は悲しさ恐怖を伴う…

分裂は歪みを作る…

分裂によって人は答えを失う…
答えをめぐって理性が始まる…
理性とは答えがない状態に寄り添う何かだ…
理性は繋げようとする…集めようとする…
答えを見つけようとする…
それも分裂と逆向きのベクトルを持っている…
ただし巡りから逸れたままだ…
答えを取り戻すことはない…

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LIVESTOCK

家畜の生には理由がある…

家畜は有用性に取り込まれている…
自然の巡りから切り離されている…
水の中の水ではなくなっている…

人も同じ過程を辿っている…
自己と世界が出現したとき、有用性の世界に入り込んだ…
自然の巡りから切り離された…

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Scham

どんな出来事も大したことではない…
そういう側面を拭い去ることはできない…

戦争にしろ、津波にしろ…
家族の死にしろ、自分の死にしろ…
動物を食べることにしろ、食べないことにしろ…
動物を食べるなと騒ぐことにしろ…

覚えているものは誰もいなくなる…
蟻たちは今日も国境を簡単に跨ぐ…

人はここ地球でいったい何に拘っているのか…

喜びがあるか…
心地よいか…

人は自分が生み出す歪みを感じ取れない…
ありのままの感性も忘れてしまう…

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ミノタウロスの皿

ミノタウロスの皿(漫画1969 アニメ1990)
作 藤子・F・不二雄

「ドラえもん」「パーマン」のF先生の作品…
「ハットリくん」「怪物くん」のA先生じゃない…
ベジタリアンはA先生の方…

主人公は結局理解したのだろうか…
理解して渋々すべてを受け入れたのだろうか…
それとも気づいていないのだろうか…
気づかないのも示唆的ではあるけど…

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ビジテリアン大祭

ビジテリアン大祭(1934)
著 宮沢賢治

作家はデリケートな問題をオブラートに包んで語ることができる…クッツェーの「動物のいのち」にしろ、この「ビジテリアン大祭」にしろ、多くの人に是非読んでほしいが、読むのはおそらく菜食者だけだろう…相変わらず閉じている…そういう話かもしれない…肉食大国となった今日の日本をもし宮沢が見たらどう思うのだろうか…もし同様の作品を書くとしたら少し違う内容になっていたのかな…

まず菜食者をその理由で「同情派」と「予防派」に分けている…「同情派」は倫理的理由、「予防派」は健康を理由とする…主人公(宮沢?)は「同情派」…実行の方法から分類すると3つに分かれ、第一が完全植物食(ヴィーガン)、第二は乳製品&卵OK(ラクト・オボ・ベジタリアン)、そして第三は引用させてもらう…

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Stille

差別とは社会的な物差しが生み出すものだろう…
社会の中で語りうるもの…

性別、人種、LGBT…
そこに動物の入る余地はあるだろうか…

動物に社会性は求められていない…
同列には並びえない…
だから権利云々ではない…
人社会に巻き込まれない権利なら唯一ありかもしれないが…

社会性ではなく、もっと単純な地点に降りたい…
生物という物差しすらない地点…
おそらく何も測れない場所…
理性が及ばない場所…

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Calf

スポーツは未だ動物の犠牲の上に成立している…
娯楽の、欲望の犠牲になっている…
生きるための犠牲ではない…

意外にも非難の声は皆無だ…
検索しても何も出てこない…
食や衣類に関しては山ほどの情報があるというのに…
多くが熱狂する分野でありながら何故スルーされるのか…

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