「それ」は常に変化を繰り返し別のものになっている…
それでも「それ」と言う…
それでも「わたし」「あなた」と言う…
理性は同じものを作ろうとする…
なんでも定置させようとする…
理性、記憶、思考、意識…
動物にはないレベルのそれらがつくる勘違い…
咲いて散る…
その間私たちは勘違いをしている…
「それ」は常に変化を繰り返し別のものになっている…
それでも「それ」と言う…
それでも「わたし」「あなた」と言う…
理性は同じものを作ろうとする…
なんでも定置させようとする…
理性、記憶、思考、意識…
動物にはないレベルのそれらがつくる勘違い…
咲いて散る…
その間私たちは勘違いをしている…
ウンコは汚いのだろうか…
確かに臭い…触りたくない…
しかし自然界にトイレはない…
ウンコもシッコも巡っている…
自然界に汚れは存在しない…
ウジ虫も蜘蛛の巣も死骸も汚いわけではない…
おそらく汚れは自然と文明の境界に生まれる…
ウンコは還ろうとしている…
すぐに還ろうとしている…
それを文明が邪魔している…
だから汚い…
汚さとは状態ではなく感覚だ…
ある意味理性が作り出す感覚…
理性と相入れず漏れてくる感覚…
大きな社会を可能にしたのはハラリの言う虚構なのかもしれない…
サピエンスは知らない人と同じ社会で生きることができるようになった…
ハラリは国家、宗教、人権、会社、お金などを虚構と呼んでいる…
言わば「共同幻想」(厳密には幻想ではない)…
吉本氏の意味もそう遠くはないのでは…
しかしそもそもの始まりである「自分」と「世界」も虚構なのだろう…
弓矢もF=maも同じように虚構だ…
道具として加工したものも、概念や法則として抽出したものも…
理性が作りだす世界…
決して偽物ではない…
それらは「在る」とも言えるし「無い」とも言える…
Talking to My Daughter About the Economy
Γιάνης Βαρουφάκης
■ 第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか
農耕が余剰を生み出した…
余剰が経済を、格差を作った…
グレーバーによると物々交換の限界からお金が生まれたのではない…バルファキスも農耕による蓄え(余剰)の記録がお金の起源だと言う…物々交換は生活を共にする集団内での助け合いとしてあったのだろう…そういう自給自足的環境からお金は生まれない…お金は他所者とか立場を異にするものとの間に債務の記録として始まった…最初にあったのはキャッシュレス決済とか仮想通貨による決済と同じようなものだ…
自然界に食べ物は存在しない…
食べる行為があるだけだ…
農耕や牧畜によって食べ物が作られるようになった…
あるいは肉を火で炙ったときからだろうか…
エネルギーも自然界には存在しない…
切れ目ない絶え間ない運動があるだけだ…
火や道具がエネルギーの起源なのだろう…
火力、重力、風力、弾性力、張力などでそれまでにない力が得られた…
さらに化石燃料、核燃料によるものが広まった…
食べ物もエネルギーに変わりない…
選ばれ、取り出され、加工されたものだ…
その過程で何かが犠牲になっている…
人も道具も自然の外に存在しているわけではない…
そして自然は失うことを知らない…
人にとっての恩恵は、人にとっての損失で成り立っているということだろう…
言葉による思考、楽器の演奏…
足でボールを自在に扱い、筆で繊細な文字を書く…
答えを失ったからこそ獲得したものだろう…
アガンベンの言う「しないことができる」ことの恩恵かもしれない…
「できる」には「できない」が隠されている…
同じように健康には必ず病いが隠されている…
健康とは病のあり方に関わるものだろう…
健康を、身体、生活環境、地球環境の指標と考えよう…
それは生命そのものやその活動を維持するための指標…
完全はありえない…病んでいるのがヒトなのだから…
完全な健康はむしろ「健康」とは呼ばない…「自然」だろうか…
そもそも健康とは文明とともに現れた新しい指標だ…
https://news.yahoo.co.jp/articles/c42040ceea91e37aad63398d21469f81baaf80d9
子供の過ち、未体験者の過ち,時代の過ち…
過去に通っていたことは周りも赦していたこと…
今の基準に照らして過ちと断罪するなら、その時代も裁かれて然るべきだろう…
時代は裁けないのではないだろうか…
子供を裁けないように…
ちかごろの過敏な指摘は少し気になるところ…
そこには必ずモラルが存在している…
モラルそのものに問題があるとは思わない…
モラルは繋ぐものだ…
しかし引き裂くものにもなる…
モラルは絶対的なものを振りかざす…
善を振りかざす…
追い詰める…
逆らえない…
銃みたいなもの…
宗教、国家、経済、技術…
作ったものに翻弄される構図は昔から変わっていない…
未来も変わらないのだろう…
侵略、法による統治、土地の所有、生政治…
ガリレオの逮捕…サドの逮捕…グラムシの逮捕…
椅子とりゲーム…モラル…有用性…
自然の中に見ることのできる競争や犠牲ではない…
囲い込み、奴隷化、家畜化の中にいる…
簡単には巡らない歪んだ世界…
人を、動物を、地球を犠牲にして…
暴力、ゴミ、貧困、病気を吐き出しながら…
何かを誰かを犠牲にする社会に参加している…
どこかに犯人がいるわけではない…
泣き言を言う気もない…
ただ、勝ち抜くことを肯定する気にはなれない…
仕方ないこととして受け入れたり美化したり…
そこにはモラルの落とし穴がある…
私たちは常に加害者になっている…
そして自然な感性にフタをしている…
ひとりであること…
死と隣り合わせにあること…
拠り所がないということ…
架空であること…
拠り所になるはずの法、モラル、常識、普通…
安定、持続、保証を志向するもの…
それらは逆に責め従えようともする…
曖昧さを許さない…保留を許さない…
終わりの宣告…架空の宣告…無力の宣告…
裁かれる…責められる…笑われる…
Continue reading “What I Talk About When I Talk About Running”
David Hockney
That’s the Way I See it
☘︎「ラジオの上にはヨーロッパの地図が貼ってあった。どこの家でも地図を見ながら、連合軍がドイツ国内を進撃するニュースを聞いていたのだ。だから戦争が終われば、ニュースはもう無くなると思っていた。」(p15)
コピーと同じで技術が考え方や感じ方を変えていく…今では情報が大きな武器になってしまった…情報戦という側面もあるが、何を信じていいのか分からない(或いはそんなものはない)という側面も浮き彫りになってきている気がする…
☘︎「作品を通じて何かに近づいてもらいたい…。隔たりを取り除けば、人と人が近づき、お互いが同じひとつの存在であることに気づき始める。」(p15)
作品とは触れることで何かを変えることができる装置だ…
宛名のない手紙のようなもの…