よだかの星

よだかの星(1921)
著 宮沢賢治

動物たちが食べ食べられることに優劣はない…
損得や優劣は人がそう見ているだけなのだろう…
自然界は水の中の水だ…

自己犠牲とは言うものの…
それは失うことなのだろうか…

自分とは傷のようなもの…
自分を、理性を、意味を解くこと…
傷を癒すこと…
自然に還ろうとすること…

https://hitkeas.com/2022/04/23/czuly-narrator/
https://hitkeas.com/2020/12/12/ビジテリアン大祭/

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BREAK, BLAKE

私は世界を作る…
理性は世界を保証する…

世界は意味で構築されている…
意味は力で、力は意味…
そこは現実と呼ばれている…

世界とありのままは違う…
ありのままも見えている…
しかしそこに意味はない…

概念、道具、お金、食料、資源、道徳…
意味が紡いでいるもの…
それらは力であり歪みだ…

田畑や道路や家屋を作るとき、私たちはそれを破壊とは思わない…
少なくとも気にしない…
都合が悪くなるまで破壊と認識することはない…

それらは何処かに蓄積される…
軍備、放射性廃棄物、貧困、ゴミ、病気…
恩恵は何かを犠牲にしている…

国家とは暴力装置であり…
経済とは格差をつくる装置であり…
そして技術は環境を破壊する…

それは通常気づかない…
理性は違う方向を向いている…

私たちは加害者なのだろうか…

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Games Without Frontiers

GAMES WITHOUT FRONTIERS(1980)
PETER GABRIEL

戦争犯罪という言葉がある…
ルールを守りましょうということだ…
暴力は犯罪ではないらしい…

たくさん人を殺すと英雄になれる…
ただし勝たないといけない…
勝てば原爆を落としても大丈夫…

国家の最大の操り人形は権力者だろう…
そもそも国家なんて存在しないのに…
今日も動物たちは簡単に国境を跨いでいる…

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ウィトゲンシュタイン、最初の一歩

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩(2021)
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 28 嘘をつくということ
■ 29 デリダとウィトゲンシュタイン

オースティンが寄生的と呼んだものは、逆に本質に触れるものなのかもしれない…人は作られた世界で作られた役を演じる…普段「現実」と呼んでいるものも作り物(虚構)だ…音楽の世界も同じこと…音楽は現実ではないというのが通常の言葉遣いだろう…しかし音楽も(虚構という)現実であり,むしろ純度の高いもの(エッセンス、典型、象徴…)としてあるものなのかもしれない…デリダの言う「反復(反覆)可能性」は音楽にも当てはまる…

「私」とは分かりあえないことの証…
言葉や音楽はその叫びみたいなもの…
作品とは独り言でもあり遺言でもある…

https://hitkeas.com/2017/08/19/parole-ecriture/

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Usefulness

倫理…
それは無償の感覚や感情とは関係ない…
自分あるいは他者に(聖域を装い)要求すること…
https://hitkeas.com/2020/02/09/moral-tales/

健康…
それは本来の身体の状態とは関係ない…
薬によって維持されるもの…
https://hitkeas.com/2021/08/05/sante/

環境…
それは調和や共生の感覚とは関係ない…
人の住みやすさのこと…
https://hitkeas.com/2022/01/11/home/

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 22 確かなもの
■ 23 疑うことと信じること

動物性のものを口にしたくはないし、誰もがそうあって欲しいと思っている…しかし例えば納豆は付属のタレをつけるし、市販のパンやアイスも食べる…お惣菜の野菜コロッケも食べるし、レースのときは現地のうどんも食べる…ほかは徹底して動物性を避けているが、デカルトの「方法的懐疑」に倣うと、完璧でない自分の菜食はすべて無駄だということになる…ヴィーガンにしろ肉食者にしろ、こう考える傾向はある…できることにフォーカスしたい…そこから広げることもできる…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 17 魂に対する態度
■ 18 意志

人は魂とか心とかで自らを差別化しようとする…
固有のものを持った存在だと思いたがる…
仮にそういうものがあるにしろ、特別なものなのだろうか…
孤立した「私」に付随する何かではないのか…

ロボットと人間を隔てるものとは何か…
そもそも人間は自然の中にいて独立してはいない…
勝手に「私」を作って勝手に孤立しているだけだ…

孤立(分裂)したものは引き合う…
もしかしたら人はロボットに対しても心を埋める何かを求めるのかもしれない…
しかしその逆はどうなのだろう…

ロボットも自然の外にいるわけではない…
しかしロボットに「私」という孤立が可能なのだろうか…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 10 言語ゲーム
■ 11 家族のような類似
■ 12 言葉の意味
■ 13 私だけの言葉
■ 14 文法による間違い
■ 15 本物の持続
■ 16 ライオンがしゃべる

はじめに信号があった…
言葉を伴うことで虚構が始まる…

言葉はどこにあるのか…
話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと…
会話、SNS、手紙、挨拶…独り言も自分との会話だ…
思考によって始まり、終わる…

理性はあらゆるものを定置する…
理性の相棒である言語も定置する…
言語は虚構として在る…
国家やお金と同じだろう…

虚構(言語、国家、お金…)の共有はどうやって可能になるのだろう…
意味や概念ではなく、使用あるいはルールによるゲーム…
人が言語という虚構を共有する過程には言語ゲームがあるのかもしれない…

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HOME

遺伝子操作や培養技術は神の領域なのだろうか…
弓矢や斧、農耕、牧畜、道路や家屋…「操作」は文明とともに始まっている…
隔てるものはない…昔から行われてきたことだ…
何が違うのか…

私たちの生活環境を脅かすようになったとき…
倫理規範や社会構造を脅かすようになったとき…

例えば環境問題は自分たちの生活が脅かされてはじめてようやく目の前に現れてくる…実際はずっと前から水面下で進行していたものだ…技術の問題にしろ環境の問題にしろ、一定の行為が繰り返されている過程で、それがあるとき「問題」として浮上する…何かがリミットに達しようとしたとき、人は気づき、抵抗を感じる…しかしリミットがないと問題化しないことも問題ではないのか…

人の文明的行為の本質は変わらない…恩恵を得る代わりに何かを犠牲にしている…何かを狂わしている…人が感じるリミットは当然人の中だけにある…人にしか分からない…人の都合で問題化する…しかし技術の本質はリミットとは関係ない…その本質は歪みだ…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 1 哲学というのは、独特の感覚が出発点です
■ 2 私は世界だ

私という肉体がこの世に生まれた日(少なくとも自分で外気を吸い始めた日)ははっきりしている…しかし記憶を伴った「私」という存在はおそらくぼんやり始まったはずだ…「私」と「世界」はセットだ…「世界」は「私」とともに始まり「私」とともに消える…動物にも「私」があるように見えるがそれは本能に依るもので恐らく「私」は不在なのだろう(例えばイルカやボノボには「私」の萌芽みたいなものがあるのかもしれないが)…動物は自然であり、自然には答えしかない…理由や原因はない…理由を作る(見る)のは「私」であり「私」は「世界」を作る代わりに答えを失った…理性や思考は答えを失った状態に寄り添っているものだ…答えのある状態に理性や思考はない…「私」と「世界」の出現と「答え」の消失は人類最初の恩恵と犠牲なのだと思う…「私」のそばにはいつも「死」がある…「生」と「死」は別物なのではなく、同じものの別の側面だ…「私」とは一種の勘違いみたいなものだ…

バタイユの言葉…
死はこの世がまやかしであることを暴露する…
突如として現実世界が嘘であることを告げる…
(「宗教の理論」より)

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