This is not freedom of thought

菜食者の多くは、動物の犠牲をなくしたいと思っている…
あるいは減らしたいと思っている…
肉食社会と相対している…
思想や信教の自由では計れない…
勝手に信じて終わるものではない…
それは女性の参政権や黒人の公民権を主張することと変わらない…
同性婚の成立を含め、同性愛への理解を求めることと変わらない…

白人至上主義…
同性愛をバカにすること…
女性の参政を笑うこと…
地動説を神の冒涜とすること…
それらはかつて多数派だった…
そう考えていいと思う…
今は違う…
間違っていたのだろうか…
そうは思わない…
それが普通だった…常識だった…
疑う余地はなかった…
たどるべき道だった…
ただ、次第に意味が変わっていった…

文明は富と権力の効率化によって生まれ発展してきた…
女性、黒人、同性愛者、先住民族、戦争や経済活動による敗者が効率化の犠牲になった…
(勝者も被害者なのかもしれない…)

平等とは、随分あとから見えてきたものだ…
本来の姿とは言い切れない…
新しい価値でありながら、本来を装っている…
倫理、道徳とはそういうもの…
肉が必ずしも必要な食材ではなくなったとき…
そのときどんな価値観が現れるだろうか…
いずれにしろ善悪、常識、普通は姿をどんどん変えていく…

地球を削り、汚すこと…
動物を食べること、纏うこと…
それらも間違いではなかった…
森林伐採、農薬の使用も問題ではなかった…
動物実験、ダウンジャケット、動物園や水族館も問題ではなかった…
今も間違いではない…
しかし帰路にあることは確かだ…

文明という水準は何らかの犠牲を必要としている…
文明は人にとっての恩恵と犠牲でできている…

文明は地球や動物や人を含めあらゆるものを犠牲にしている…
そして多くの差別、貧困、ゴミ、病気、核廃棄物を吐き出している…
文明の排泄物…
恩恵のために変質したもの、生産されているもの…

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THIS IS WATER

これは水です(2005)
著 デヴィッド・フォスター・ウォレス
訳 阿部 重夫

クルピチカはウォレスを愛読してるらしい…
そのウォレスのケニヨン大学でのスピーチ…

無神論なんてありえない…
唯一できる選択は何を崇拝するか…
初期設定とは違う思考法がある…

ウォレスはオートマティックという言葉を使う…
私の初期設定のことだ…
もしかしたら初期設定ではなく本質なのかもしれない…
私は常に私であろうとする…
繋がりに抗おうとする…

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قطر

https://forbesjapan.com/articles/detail/40086
https://www.goal.com/jp/ニュース/world-cup-eric-cantona
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/

肉の味わい…
サッカーの興奮…

食と遊び…
現代の到達したものとしての…
それを支える意識と流れと…
その満足や華やかさが何によって作られているか…

どこかで何かが犠牲になっている…
誰もが加害者であり、被害者にもなる…
需要を作り出し、目を瞑り、モラルで擁護する…
知性はいつも何かを隠す…

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ABSENCE

何のためにというよりも…
意味を求めてしまうこと…
そこから逃げられないということ…

意味を求めてしまう…
何かが不在なのだと思う…
不在であることがヒトを人にした…

答えとはありのままのこと…
それはいつもココにある…見えている…
ただそこに意味はない…

人は意味を求める…
答えを望んでいない…

意味は抽出、分裂から始まる…
私が生まれ、所有が始まる…
恩恵が生まれ、何かが犠牲になる…
何かが見合っていない…

そこに正しさを支えるものはない…
善悪を支えるものもない…
不在だから…

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IRREPLACEABLE

菜食者だがヴィーガンではない…
ピーター・シンガーの動物倫理に同意するわけでもない…
論旨を項目別に要約してみた…
以下目次…

・「いのち」「生物」「動物」「植物」という括りではない…
・「倫理」でも「健康」でも「環境」でもない…
・ 理由、条件、順番…
・ 牛乳、鶏卵、羊毛、皮革、羽毛…
・ 動物愛護、絶滅危惧…
・ 家畜、野生動物…
・ 味、幸福、依存…
・ 誤解…
・ 自己満足、提案、実践、期待、我がまま
・ 歴史、食性、栄養、工夫…
・ 肉食社会、態度…
・ 経緯、影響…
・ 菜食に関して出会えた共感できる人たち…

■「いのち」「生物」「動物」「植物」という括りではない…

「代わりのない個(孤)」を意識している…相手側のことではなくこちら側のこと…自分の「想い」や「痛み」に関わること…普段私たちヒトはお互いを「代わりのない個」(以下「個」とする)として認識している…それは人と多くの動物たち(牛、豚、犬、猫、鶏、馬、イルカ、鯨…)の間でも同様なのではないだろうか…仮に一緒に過ごすなら、それぞれお互いを他と区別して認識し、同じ記憶(厳密には違う)を共有することもできるように思われる…そういう存在を「同胞」と呼びたい…コーラ・ダイアモンドの言葉を借りた…「個」の意識あるいは感覚は極めて一方的で勝手な思い込みと言えるが、それは動物に対してだけではなく実際は人に対しても同じなのだと思う…相手側が抱く「個」の感覚は動物であれ人であれ「痛み」と同じように知り得ないものだ…客観的に計れる知的領域のものではない…一方的であれ、その感覚、意識を大事にしたい…家族や友人を大切にするように…小魚や昆虫になるとどうだろう…彼らに対する「個」の意識、感覚は曖昧なもので、それだけにグレーな存在と言える…極力いのちを奪わないようにと意識しているが強い拘りを持っているわけではない(悩む部分…聞かれてイライラする部分)…植物や菌になればもうそこに「個」を意識することはないだろう…境界はハッキリしたものではないし個人差もある…おそらく誰にでも共通しているのは、同種であるヒトは食べたくないということであり、それが最初の線引きになる…逆にウイルスや菌や植物に「同胞」としての感覚はないだろう…「死」とは「個」が絶えるときに感じるものであり、「個」を消すことを「殺す」ことと感じる…「同胞」に対する感覚は厳かなものだ…遠い昔から受け継がれてきた動物や自然への厳かな感覚…それは今、失われようとしているように思えてならない…人も動物もかつては供儀を通して神に捧げられた…供物より、もっと神聖で、もっと重い犠牲だった…

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Bricolage

宮沢賢治が『ビジテリアン大祭』の中で「自分ばかりさっぱりしていると云ったところで、実際にほかの動物が辛くては、何にもならない…」と言ったように、他者に要求したくなる部分あるいは期待する部分はある…しかし強制はできない…

もし権利を掲げるなら「〜すべき」と強制することもできる…倫理やモラルに訴えて話すことができる…しかし権利とはヒト社会でヒトに与えられるものであって、もし動物に権利があるとするなら、それはヒト社会に巻き込まれない権利なのではないだろうか…もっと感覚的な理由…気持ちが楽だからであり心穏やかでいられるから…Pシンガーではなく、Cダイアモンドに同調できる部分…そこに「同胞」に対する感覚を見出すこともできる…同胞とは「代わりのない個」を意識できる存在のことと考えたい…近い動物にも感じることができる…ただしそれは昆虫や細菌、ウイルスへとヒトから隔たった存在になればなるほど希薄なものになっていく…境界はぼんやりしている…「個(あるいは孤)」を明確に感じるほどその消失を「死」と感じ、消す行為を「殺す」ことと感じる…

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채식주의자

菜食主義者(2007)
著 ハン・ガン(韓江)
訳 きむ ふな

暴力とは…
人間特有の歪んだ様相だと思う…
動物の捕食や火山の爆発、津波とは違う…

暴力は文明とともにある…
理性によって作られる…
意味によって作られる…
私によって…

暴力は恩恵と犠牲の構造に関わっている…
恩恵のために犠牲に目を瞑ること…
意味が作り出すもの…

恩恵が恩恵を守ろうとする…
恩恵の連鎖…

人は暴力に頼って生きている…

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STOP MAKING SENCE

STOP MAKING SENCE(1984)
監督 ジョナサン・デミ
音楽/出演 トーキングヘッズ

意味は意味を求める…
いつも何かが足りない…
苦しみ、不安、退屈、不便…
それらと共にある…

動物も同じような行動をするかのように見える…
しかしその世界はすべてが答えなのだろう…
動物はゴミを生まない…
理由を持たない充ちた世界…

意味とは歪みであり力…
私であり答えの喪失…
恩恵と犠牲…

人は常に答えを探している…
やめられない…

意味を和らげること…
有用性、道徳からの解放…

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