動物を食べること

動物を食べること…
それは不快なこと…
悲しいこと…
怖いこと…

少なくともハードルは高い…
その感覚を大事にしたい…

気持ち悪さとは何だろう…
それは同類に纏わるもの…
「死」や「殺」を含んでいる…
「代わりのないもの」の消失に関わっている…

なぜ食べないのかと問われると…
ただ「食べたくないから」と答えるしかない…
特別な理由があるわけではない…
あるとすれば「他に食べるものがあるから」だろう…

環境の話は、もうやめよう…
それはヒトの住みやすさのこと…
共生の感覚とは関係ない…

健康の話も、もうやめよう…
それは薬によって維持されるもの…
身体の自然な状態とは関係ない…

道徳の話も、もうやめよう…
それは損得が聖域を装ったもの…
無償ではない…

もし草花の育たない場所で暮らすなら…
もし狩猟採集がその土地の生き方なら…
そこには仕方のない殺生がある…
感謝と節度がある…

動物を食べることにこそ理由が必要だ…
なぜ食べるのか…

今の先進国においてその理由とは…
栄養だろうか…
舌を満たすことだろうか…
みんな食べてるからだろうか…

もっと素朴で剥き出しな感覚…
答えはそこにある…

人は動物を食べたいのだろうか…

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Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

教育や伝承について語っている…

▪️第3章 自然の知恵

ダンスや音楽は自然の知恵を伝承するものそれが過去のものとなったとき、完全に再現するのは難しい

「トウモロコシ、米、トナカイ、サツマイモ。これで土地と文化が分かる。植物は土壌と降雨量を表し、食料は社会とその生産システムを反映している。そして、もう一つの手がかりが、その土地の「歌とダンス」だ。歌い手、演奏家、物語の語り手、仮面の制作者、そして踊り手が一堂に会す。これは日々の暮らしの花である。踊るのは人間だけではない。ワタリガラス、シカ、ウシ、それに雨や嵐が顔を出す。ダンスの中で多くの人間的本性と非人間的本性が互いに出会い、また場所とも出会う。ダンスは場所の一部となり、場所がダンスの一部となる。芸術と経済はどちらも捧げものの交換に基づくものであり、とりわけダンスは、大昔から果実、穀物、あるいは狩りの獲物に対するふさわしい捧げ物であった。このような行為こそが、がめつくて傲慢になりがちな我々の根性を正すのにも役立っているのだ。」(p98

アラスカ北西部に伝わるイヌピアクの「祖母の知恵」人類にとって時代を超えた基本的価値が明記されているしかしそこに部外者との付き合い方が書かれているわけではなかった単純に解釈するなら「西洋文明」との付き合い方のことだろう

「世界の民族には「祖母の知恵」がまだ残っている。(その中にキリスト教の十戒のいくつか、それに仏教の十戒の最初の五つの戒を、私は含めたい)。そしてもう一方では、中央集権化とヒエラルキーをめざす「知恵」がある。今の我々はこの狭間に立たされている。子どもたちは矛盾した教えを耳にしながら成長していく。」(p110

「祖母の知恵」がなくなることは考えにくいしかし西洋の侵食に抵抗することはできないだろうネイティブ・アメリカンの文化はほぼ消滅し、アマゾンの少数部族も今ではスマホを使っているらしい

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KIRISHIMA-EBINO

第12回 霧島・えびの高原エクストリームトレイル – 65.5km(DNF)

今回は完走したかったので残念…球磨川のエントリー資格が欲しかった…夜の森を感じたかったし、ポールが使えるのも魅力だった…

何が楽しくてトレイルを走っているのか…完走を意識しすぎるとついその事を忘れてしまう…困難なチャレンジであれそれも遊び…周りの評価が届かないところに楽しみは存在している…見失わないことだ…特に自然を舞台とする身体を使った試みは至高の遊びなのだと思う…

今日は”くれいじーかろ”さんに会えた…スタート前にトイレに並んだら次に”かろ”さんが並んできた…度胸がなくて気づかないフリをしてたら、その次の人が声をかけたので便乗した…上田瑠偉さん、若岡拓也さんに次いで”かろ”さんとのツーショットゲット…トレイルはトップランナーが近い…

結局一秒も寝れず…腰痛は1週間前にわざわざ痛めて治らず…第3エイドを過ぎてからは動きが鈍くなりつらかった…脚のあらゆる場所が断続的に攣り出した…エイド前になると頭痛と吐き気が襲ってきて足は止まった…3年前(そのときは完走できたが)と同じ症状…

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RETOUR

それらは不可解だ…
おそらく失くした答えを取り戻そうとしている…

それは野性の発露なのだろう…
身体が喜ぶこと…
あるいは癒し…

それは作品なのだろう…
どう育んで、どう終えるのか…
自分の中で響かせるもの…

それは力を持たない…
役に立たない…
知性は主役ではない…

文学でさえも、知性は主役ではない…
むしろ知性をほどく行為なのだと考えたい…
だからおそらく瞑想の系譜にあるもの…

The One Straw

わら一本の革命
著 福岡正信

自然農法とは限りなく自然に近づけることなのだろう…完全なものはもはや「農」ではなく自然だ…狩猟採集が残る…だから自然農法というからには何らかの人の操作が入っている…生産性を上げることではなく、自然とどう折り合いをつけるかということに気持ちが注がれている…農法とは思想であり実践であり…

第2章 誰にもやれる楽しい農法

「第一は、不耕起(無耕耘あるいは無中耕)です。田畑は耕さねばならぬものというのが、農耕に基本ですが、私は敢えて、自然農法では、不耕起を原則にしました。なぜなら大地は、耕さなくても、自然に耕されて、年々地力が増大していくものだとの確信をもつからです。即ち、わざわざ人間が機械で耕耘しなくても、植物の根や微生物や地中の動物の働きで、生物的、化学的耕耘が行われて、しかもその方が効果的であるからです。
 第二は、無肥料です。人間が自然を破壊し、放任すると、土地は年々やせていくし、また人間が下手な耕作をしたり、略奪農法をやると、当然土地はやせて肥料を必要とする土壌になる。しかし本来の自然の土壌は、そこで動植物の生活循環が活発になればなるほど、肥沃化していくもので、作物は肥料で作るものだとの原則を捨て、土で作るもの、即ち無肥料栽培を原則とします。
 第三は、無農薬を原則とします。自然は常に完全なバランスをとっていて、人間が農薬を使わなくてはならないほどの病気とか害虫は発生しないものです。耕作法や施肥の不自然から病体の作物を作ったときのみ、自然が平衡を回復するための病虫害が発生し、消毒剤などが必要となるに過ぎない…健全な作物を作ることに努力する方が賢明であることは言うまでもないでしょう。
 第四は、無除草ということです。草は生えるべくして生えている。雑草も発生する理由があるということは、自然の中では、何かに役立っているのです。またいつまでも、同一種の草が、土地を占有するわけでもない、時がくれば必ず交替する。原則として草は草に任せてよいのだが、少なくとも、人為的に機械や農薬で、殲滅作戦をとったりはしないで、草は草で制する、緑肥等で制御する方法をとる。」(p46-47)

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Ein Hungerkünstler

断食芸人(1922)
著 フランツ・カフカ
訳 池内 紀

Bartleby(1853)Herman Melville
The Panthe(1903)Rainer Maria Rilke

思い出すのはバートルビー…カフカが知らないことはないだろう…断食芸人は答えが無いことを体現しているのだと感じた…バートルビーにしろ、断食芸人にしろ、すべてを拒否し、最後は息絶える…対して豹は答えを持っている…しかしこの豹もしばらくすると答えを失うのかもしれない…

The One Straw

わら一本の革命
著 福岡正信

スピノザ、般若心経、レヴィ=ストロース、ソロー…もし読んだことがあり腑に落ちるものを感じたのなら、福岡氏の言葉もおそらく届くのではないだろうか…一般的には距離を置きたくなるような話だ…なのに自然農法あるいは自然農に惹かれる人は多い…農法が多くの人を惹きつけるツールになっている…

第1章 自然とは何か(無こそすべてだ)

「人間というものは、何一つ知っているのではない、ものには何一つ価値があるのではない、どういうことをやったとしても、それは無益である、無駄である、徒労である。」(p8)

「今まである、ある、と思って、一生懸命に握りしめていたものが、一瞬の間になくなってしまって、実は何もないんだ、自分は架空の観念を握りしめていたにすぎなかったのだ、ということがわかったような気がしたんです。私はまさに狂喜乱舞というか、非常に晴れ晴れとした気持ちになって、その瞬間から生き返ったような感じがしました。とたんに、森で鳴いている小鳥の声が聞こえるし、朝露が、のぼった太陽にキラキラ光っている。木々の緑がきらめきながらふるえている。森羅万象に歓喜の生命が宿るというか、ここが地球の天国だったということを感じたんです。自分の今までのものは、一切が虚像であり、まぼろしであったのだ、そして、それを捨て去ってみれば、そこにはもう実体というものが厳然としてあった、ということだったんです。」(p13)

バーチャルという言葉を使いたい…抵抗を感じる言葉だとは思うが自分にはとてもしっくりくる…人の知的認識の在り方を説明している…偽物だと(他に本物があると)言ってるのではなくて、作り物ということ…国家やお金や食べ物やエネルギーや道徳…それらは私たちの作り物であり、その世界の中で私たちに対してのみ力を持つもの…

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TRAIL RUNNING

目指しているものがあるわけではなく…
むしろただ感じたい…

ネジが緩んでる?
むしろ緩めるために…

動物は答えを知っている
植物も知っている…
知らないのは私たち人だけ…

答えは私たちにも見えている…
ただ答えに見えない…
分からない…

代わりに意味を求める…
答えが欲しいのに…
意味を受け取ろうとする…

すべては答えでしかない…
私たちの意識がバーチャルなだけ…

身体がバーチャルを振り切ろうとする…
私を振り切ろうとする…

本来過ごすべき場所で…
見て、嗅いで、吸って、吐いて…
身体が求める動きの中で…
自然が与える負荷の中で…
自らを振り解く…

PROGRESS/RIGHT/FORCE

肥大化した脳は意識を作った…
意識は答えの代わりに意味を作った…

意味とは、成功、勝利、達成への道筋のこと…
名前も同じベクトルの中にある…
つまり「それ」という単位が作られる…
恣意的分離、抽出…

バーチャルな世界の誕生…
それは答えを持たない…
常に成功、達成、勝利、獲得、実現、正解を目指す…
それは犠牲を伴う…
犠牲という意味を伴う…
私たちにとっての犠牲…
例えばゴミ、貧困、争い、ストレス…

恩恵は犠牲を伴う…
その構造を暴力と言う…

知性はその本質に暴力性を備えている…
ただしそれもバーチャルなものだ…
私たちにとっての暴力…
動物にとってゴミは、ゴミでもゴミ以外でもない…

進歩も、正解も、力も…
すべてバーチャルなもの…
私たちは常に進歩を手に入れる…
いつも進歩…
森の木々や川や動物になることはない…

なぜ便利になるのか…
元々身の丈でないから…

私たちは変えることができるわけではない…
バーチャルな世界を生きているだけ…
常に求め続ける…

私たちの身体は野性に属している…
身体は苦しんでいる…

取り戻すべきものがある…

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KAGAMIZU

第11回 宮崎鏡洲の森トレイル – 26km

スタート直後に上宮逸子さんの後ろ姿が見えたので最初だけでもと追いかけたのだけど、渋滞を掻い潜ることができず程なくして見失った…

天気予報は嘘つきだ…雨マークは午前だけでしかも小雨だった…実際はトレイルに入ったあたりから土砂降り…森の中はかなり暗かった…止む気配はなく、おまけに風も強くなりまさにアドベンチャー…遠景などは勿論見えず、時折光が差し込み、森は幻想的な装いだった…

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