(画像引用元)
ジェーン・グドールは菜食者だった…
動物学者であり、チンパンジーが小さな蟻を食べることを知っていた…
それでも菜食者だったし、菜食が広まることを願っていた…
きっと私たちのあるべき姿を示した人だった…
Jane Goodall(1934-2025)
(画像引用元)
ジェーン・グドールは菜食者だった…
動物学者であり、チンパンジーが小さな蟻を食べることを知っていた…
それでも菜食者だったし、菜食が広まることを願っていた…
きっと私たちのあるべき姿を示した人だった…
Jane Goodall(1934-2025)
南小国・黒川トレイル – 19km
ここ最近は、暑さで調子を落とし、頚椎症で手足が痺れ、練習のタイムで比較する限り過去最悪のコンディションだったかもしれない(なぜか腰は楽になってる)…走り出すと意外と体は動いて昨年より30分早くゴール…昨年は尿路結石の手術後すぐだったし比較しても仕方ないのだけど、今日は悪いなりに走れたのかなと思う…
時間を気にせず走れている時がいい…
山や森に溶け込むような感覚になれる…
大きな鳥にさらわれないよう(2016)
著 川上 弘美
装画 nakaban
偶然同時に読んでいた『タネが危ない』(著:野口勲)と驚くほどリンクしていた…
クローン工場はメンデルの法則を利用したF1種(交雑種)を連想させる…
人間を地域ごとに隔離することは、固定種を維持する発想と重なる…
おまけに野口さんが携わった手塚作品も”大きな鳥”だ…
人工知能は答えに辿りつけない…
なぜなら知的認識とは「対象化」であり、答えからの「逸れ」だから…
知性が作り出すのはバーチャルな世界だ…
意味の世界のこと…
人の身体は意識(知性)を得て混乱した…
生のさまざまな姿は「私」や「欲望」や「孤独」へと変異した…
抑制や節度を失う時(ある意味神の不在によって)、バーチャルは暴走する…
知によって、人は依存症を患い、暴力装置と化す…
人工知能とは、知性が独立したものではないだろうか…
しかし人工知能は生(身体)を持たない…
動機を持たない、命令によって演算する装置に過ぎない…
人工知能に「私」や「欲望」や「孤独」は可能だろうか…
知の暴走はずっと前に始まっている…
タネが危ない(2011)
著 野口 勲
野生に損得はない…
すべてが分け合い、満ちている…
だからゴミも富も権力も生まれない…
でも私たちは恩恵を得るために何かを奪う…
それは歪みであり力…少なくとも私たちにとっての…
そして私たちは恩恵に正解を見てしまう…
海を汚すように自らを壊しているのに…
すべては自然の摂理なのだろう…
私たちは自然を破壊することができるわけではない…
ただ、人は自身の生きにくさへと自ら舵を切る…
自然と対のものがあるとするなら、それは知性が見せてくれるものだ…
何の抑制も節度もないとき、知性は必ず暴走へと誘う…
知性とは、本来ひとつのものを、切り取ったり、抽出したり、写したりする…
それら対象化は「逸れ」であり、答えを失うことに等しい…
人は知性によって分からなくなる…
そもそも畑で作物を育てることや、種を収穫して同種のものを育てることは、他の動物では為しえない知的作業であり、クローンを作る技術以外の何ものでもない…F1種とか雄性不稔がダメという話ではなく、それらを優先/奨励する流れが問題なのだろう…畑や道路を作ることが既に「逸れ」ていることを忘れたくない…危機感こそ必要なのだと思う…私たちは自分たちが何者なのかをもっと知るべきだ…
中和することの弊害も考えたい…無化、中和、矮小化、火消しの危険性…尖った部分を丸くする、極端な偏りを無くす、そういう作業は人にとって必要なものだろう…賢者の言葉を借りるなら「中庸」「中道」になるのかもしれない…それらは私たちの認識能力つまり「切り取る」ことへの警鐘なのだと思う…個々は個々であるだけに中和できてしまう…ただそのとき、問題のすり替えが行われたり、大きな流れを見失うこともある…「従うべき知り得ないもの」をいつも意識していたい…
私たち生き物は生き物を食べて生きている…
人間も、本来食べられる存在なのだろう…
すべてはそうやって環っている…
動物たちは襲う、逃げる…
彼らは唯一の手段を生きている…
答えを体現している…
彼らに死は訪れない…
死とは、人の発明品だ…
私たちは生を否定する…
食べられること、分解されることを否定する…
生き方を忘れてしまった…
人は動物を食べたいのだろうか…
人を食べたくない…
犬や猫を食べたくない…
牛や豚や鳥を食べたくない…
彼らはきっと私を私として認識できる…
私も彼を彼として認識できる…
同じ記憶を共有することもできる…
私たち人間や彼ら動物には主人を感じる…
代わりはありえない…
食べるのは最後の手段でありたい…
そのわりに人は、毎日圧倒される量を食べている…
笑いながら…
ハッピーアワー(2015)
監督 濱口 竜介
夏に見たいと思ってた…
夏はどういうわけか古い記憶がよぎる…
まだ若く友人も多いときの記憶…
人を観たかった…
飢えてるのかもしれない…
期待通り、みんな一筋縄ではなかった…
みんな愛おしく感じた…
人は弱いし足りないし…
正解もない、だから…
強がるしかないし、勘違いするしかない…
すぐそばにある物語だ…
なにげに日常の検証を迫られる…
観終えると、少し優しくなれるのかもしれない…
第13回 霧島・えびの高原エクストリームトレイル – 65km(DNF)
終始降り続く雨に助けられた…年齢と、それに伴う練習の質の低下と、腰痛や頚椎症などいろいろ重なって、脚は動かず、さらに途中で嘔吐…第3エイドでリタイヤを考えたのだけど、あえて惰性に任せてまた歩き始めた…もし雨が降ってなかったらきっと諦めてた…第4エイドまでの途中でなぜか体に生気が戻ってきて、脚は終わってたけど気力とリズムを取り戻した…何が作用したのか分からないけど、雨が冷やしてくれたのは一要因だと思う…最後はボロボロになりながらトレイルを楽しんでた…
バスでメイン会場に戻ってきて、窓越しに駐車場のすべての車が異常に汚れている光景を目にした…噴火の影響であることはすぐ理解したのだけど、つまり僕らも灰混じりの雨を浴びていたということか…
ストーナー(1965)
著 ジョン・ウィリアムズ
訳 東江 一紀
・・・
人は人生が終わることを理解していても受け入れることができない…
そんな風に見える…
生きているというより、生きることに抵抗しているかのようだ…
死を遠ざけることは生を否定している…
そうやって人生は作られる…
人生とは抵抗の軌跡だ…
そして何も分からず、何も解決しないまま終わっていく…
・・・
特別な話ではない…
ただ、精緻でリアルな描写のせいもあり、気づけば引き込まれていた…
作者は自身とストーナーを重ねているように思えた…
ジョン・ウィリアムズは遺書を書いたのかもしれない…
過ごした世界に対する独白…
訳者の東江一紀さんは2014年に癌で亡くなっている…
同年「ストーナー」は刊行され、2015年に第一回日本翻訳大賞(読者賞)を受賞…
「ストーナー」は東江さんの最後の仕事であり、亡くなられたあとの受賞だった…
東江さんもまた、自身を重ねていたのだと思う…
(画像引用元)
肉を食べないのは、動物を食べたくないから…同語反復のようだが、閉ざされた感覚を問うている…エミリー・フォースバーグも菜食者だが、その理由は極めて簡単なのだと思う…素朴で澄んだ感覚/感情があるだけ…そこから見えてくる景色がある…あとはそれぞれの環境に見合った優先順位を考えればいい…理屈はあとからついてくるもの…絶対的な答えがあるとは思わない…まずは感覚を解放したい…文明/知性による暴力を解きたい…
Emelie Forsberg Blog:VEGAN
*日付が間違っているようだ…
私たちホモ・サピエンスは常に侵略者であり破壊者だった…それがゆっくりなのか急なのか、或いは先なのか後なのかの違いがあるだけだ…私たちはますます虚な世界の住人になろうとしている…失ってならないのは、国ではなく、自然(知り得ないもの)への畏敬の念や、私たちが何者であるのかの理解ではないだろうか…どこの国の人でもいい…人種も関係ない…私たちは土地に生き、身体で生きるべきなのだと思う…
現在、地球上には一種類の人間しか存在しない…白人や黒人、見た目に少しずつ違いはあるが、みんなホモ・サピエンス・サピエンスという一種類の人間だ…起源はアフリカにあるらしく、例えば南米の先住民は、アジア大陸を横断し、シベリア、アラスカを超え、北米、中南米を経由してたどり着いたのだろう…他の種であるネアンデルタール人などは絶滅した(ネアンデルタール人のDNAは一部残っているらしいので異種交配があったということだろう)…私たち日本人の祖先も樺太を経由したのか海を渡ったのか知らないが、アフリカを起源にしている…幸いと言うべきか、島国だったおかげで独自の文明を築いた…
日本で外国人が問題になっている…私たちがいま感じているのは、異文化に対する違和感ではなく、侵略や破壊に対する恐れだろう…しかしかつて私たちは彼らと同じように他所者だった…今では民家に降りてきた熊や猿を侵入者扱いしている…一方で、きっと数百年もすれば、ハーフやクォーターが増え、生粋の日本人は希少な存在になっていることだろう…エントロピーの法則はここにも適用できるのではないだろうか…
アメリカでも移民が問題になっている…しかし大多数を占める白人もあとからやってきた移民だ…先住民であるインディアン(ネイティブ・アメリカン)のことを忘れてはならない…コロンブスは決して英雄ではなく、侵略者であり破壊者だ…とはいえインディアンもまた移民であることに変わりはなく、彼らの祖先が北米にたどりついてしばらくすると、サーベルタイガーやマンモスが絶滅している…彼らもまた侵略者であり破壊者だった…ただその後インディアンは自然との共存の仕方を学んだのだと思う…
私たちが守らなくてはならないのは、おそらく自然を讃え受け入れる感受性、そして私たちが無力であるという認識ではないだろうか…日本人にもその名残はある…急激な近代化(欧米文化の浸透やグローバル化など)を経てもまだ完全には失われていない…インディアンの生活や思想の中にもあったもの…外国人問題の本質はずっと奥に隠れて見えにくくなっている…それは国籍や人種や宗教ではない…私たちはもっと土地や風土に根差した生き方を見直す必要がある…
今のところ政治に参加する(選挙に行く)気はない…同じことを繰り返すだけだから…政治は何も解決しない…政治(国家)とは、富や権力の効率化なのであって、それらを手放すことではない…ただひたすら競争(経済成長、技術革新、戦争、軍備拡大、人口拡大…)へと導く装置になっている…そういう流れに加担したくない…お世話になってはいても、少しずつ工夫して依存を解きたい…支配されたり襲われたりしたらどうするんだと言うけれど、それは隕石が落ちてきたり猛獣に襲われることと変わらない…そうなれば逃げたり抵抗したり死んだりとかするのだろう…