フランドン農学校の豚

フランドン農学校の豚(1934)
著 宮沢賢治
画 nakaban

「個」を描いた物語なのだと思う…擬人化しているが、それは私たちが豚に感じることのできる「個」の姿…植物や菌などには感じることができないもの…代わりのないもの…

それは人だけが感じるものではなく、動物たちも持っている感覚ではないだろうか…つまり身体に属するもの…人に特有の「私」が感じているものではない…倫理とか道徳とかモラルの類ではない…

倫理、道徳、モラル…それらは自分や他者に課すこと或いは要求することだ…無償のものではない…損得が善悪を装ったもの…一定の集団が維持されるとき、構成員の中に育つもの…

否定ではない…
受け入れること…
そこから始めたい…
解決しようとか、そういう話ではない…
どう折り合いをつけたらいいのかという話…

私たちは、
100%加害者であり…
100%無実であり…
100%違う選択ができる…

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IN NEW YORK

(画像引用元)

PERFORMANCE IN NEW YORK: async(2017)
監督 Stephen Nomura Schible

教授の作品にハズレはなかった…なかでも『async』は一際強い印象を残している…闘病生活を経て制作されたアルバムだった…深化した音が聴ける…

当時の貴重なライブ映像…スタジオ録音を再現した音に教授が生ピアノやノイズを重ねている…

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路邊野餐

凱里ブルース(2015)
監督 畢贛(ビー・ガン)

詩的な世界が広がっている…
映画の面白さや可能性が堪能できる…

30分経ってタイトル…
画角の外から聞こえてくる音…
トンネルの中はまるで「ストーカー」…
「WEEKEND」を上回る長回し…

中国がどんな国なのか…
何が起こっているのか…
少しだけ垣間見れたような気がする…

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大象席地而坐

象は静かに座っている(2018)
監督 胡波(フー・ボー)

負の連鎖が続く…
喜劇じゃないかと思うほど…
戦争や飢餓のような最悪の事態というわけではなく、
人社会のゴミのような部分が凝縮されている…
万人のすぐそばにあるもの…

手ブレ長回しときつめのフォーカス…
ワンシーンを違う視点から別カットで撮ったり…
日暮時の長回しで終わる頃は暗くなってたり…
印象的なシーンは多かった…

映画を観ると体に新しい血が流れるかのようだ…
何か救いのようなものを感じる…
芸術にはそういう癒し効果がある…
象を見に行くことも似ているのだろう…
逃げているわけではない…
そこに希望を見出しているわけでもない…

ただ、完成後監督は自ら命を絶ってしまった…

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MEMORIA

メモリア(2021)
監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン

停止してると思ったら普通に再生されてたということが何度もあった…全編タルコフスキーのような長回しで構図も綺麗…ただ被写体が全く動かない長回しも多く、周囲の微妙な草の揺れで再生を確認することも…

「ブンミおじさんの森」は観てないのだけど、アピチャッポン監督はアニミズム的な思想を持ってるのかもしれない…様々なものに記憶が宿り、それを受信再生する…それは私たちの知性が壊れる様子を描写していると解釈できないだろうか…私が私でなくなろうとしているかのような…個が絶え一つの流れになる…そう考えると全体のスローなテンポや辻褄の合わないことが、逆に納得できるような気がしてくる…

ティルダ・スウィントンは制作にも大きく関わっているらしい…立ってるだけの演技も流石…アピチャッポン監督も、背中だけで何分も撮ったり、とてもいい画だと感じた…曲はむしろ邪魔と思える映像…一種のリアルな体験なのだろう…

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ぼくはあと何回、満月を見るだろう

ぼくはあと何回、満月を見るだろう(2023)
著 坂本 龍一

「人間の寿命が80歳や90歳まで延びたのは、せいぜいこの30年〜40年くらいのこと。20万年とも言われる人類の長い歴史で医療などなかった時代のことを考えたら、果たして無理してまで命を延ばすのがいいことか、分かりません。ぼくは、辛く苦しい治療を拒否して、最小限のケアだけで最期を迎えるという価値観が、世の中でもっと許容されてもいいと思う。その意味で、オランダやベルギーで合法化されている安楽死にも興味があります。…基本的には自然に生き、自然に死んでいくというのが動物の本来の生命のあり方だと思っているんです。人間だけが、そこから外れてしまっている。」(p34)

ゴダールは安楽死を選んだらしい…しかし自分には延命治療も安楽死も同じ類の操作のように思えてくる…ジャームッシュの「DEAD MAN」でノーボディがブレイクを船で沖に流すのとは違う…後述のピアノの話へ…

「本来、自然界の主役は動物や虫や植物で、ぼくたち人間はその一角にそっとお邪魔しているに過ぎない。よく「住宅街に猿が出た」などというニュースが報じられますが、それは話が逆で、もともと猿の生息地だったところに我々が住まわせてもらってるのだと思います。」(p256)

人も平等に主役なんだと思いますけどね…ただ、人は地球上で癌細胞(ここでこんな表現することを許してもらいたい)になってしまっている…知性は自らを顧みない…一番厄介なこと…

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HALO

教授の葬儀で流された曲のプレイリストの最後にローレル・ヘイローという名前があった…年を重ねてからは積極的に曲を聴いているわけでもないので、知らないアーティストも多い…とりあえず何曲か聴いてみた…掴みどころがないわりには何度も聴きたくなる…中毒性がある…

心象に忠実というか、いい意味での曖昧さを感じる…どこかに辿り着くことなく漂い続ける音群…ENOやALVA NOTOの要素もどこかに感じつつ彼女独特の世界がある…揺さぶられる…

https://music.apple.com/jp/playlist/halo/pl.u-ker5Se6Xj

Three Stories

スペインの家:三つの物語(2014)
著 J.M.クッツェー
訳 くぼた のぞみ

情が移るという言葉がある…
動物に対して使うこともあるだろう…
家に対しても…

人も例外ではない…
人は自分に、身近な他者に、情を移している…
遠くの知らない人には…それほどではない…
随分前に死んだ人に対しても…

従者とは登場人物のことだろうか…
デフォーとロビンソンが入れ替わっている…
ロビンソンがデフォーを描いているかのようだ…
従者とは主人公であり作家であり…

人は私とかあなたを作っている…
物語を作っている…
そうやって生きている…

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水俣曼荼羅

水俣曼荼羅(2021)
監督 原 一男

ここには縮図がある…
文明の基本構造と言っていい…
大きな社会でぼんやりしているもの…

恩恵は犠牲の上に成り立っている…
差別、病気、貧困、環境破壊、動物の犠牲…
法律や倫理とは何なのだろう…
戦争にもルールがあるらしい…
大きな社会は超間接的につながっている…
多くの場合加害者は特定できず…
被害者の姿も見えない…

末梢神経が損傷している場合、自覚症状があるらしい…
脳が損傷している場合、末梢の麻痺が分からないらしい…

ほぼ地元だけど、「MINAMATA」にしろ「曼荼羅」にしろ地元で観た人がどれだけいるのだろうか…むしろ地元だから見ないのかもしれない…地元民と他所者の評価には必ず溝がある…同じ地元民でも立場や意見は違う…善と悪を固定すべきでないことも分かる…誰かを責めるというよりも、人社会の在りようを見極めたい…水俣病だけの問題ではない…

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ABOVE THE CLOUDS

雲の上へ(2018)
著 キリアン・ジョルネ
訳 岩崎 晋也

なぜ山に登るのか…
なぜ山を走るのか…

球磨川を走るだいぶ前に読み始めた…
しばらくトレーニングとか準備で本と向き合うことができずにいた…
読み終えたのはレースの一週間後…
天と地ほどの差があるとはいえ、接点は少なくない…

以下キリアンの言葉…

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