je

競争/道徳/美食/エロ/有用性/ブランド/私…
野生にはそのすべてがない…

それらの萌芽は誰しも持っている…
おそらく動物にもあるのだろう…

知性が変異増長させている…
その影響は環境を共有する動物にも波及する…
例えば人間と生活をともにするペットや家畜…
彼らの適応は異常を招いている…
肥満もそのひとつ…

知性は感覚を騙し、自らも騙す…

欲望が最初にあるのではない…
生きるための装置があったに過ぎない…
歪みを持ち込むのは感覚を持たない知性…
知性は見ることも聞くこともできない…

操作は意識の中で切る作業から始まっている…
道具を作ることと同じ…
変形、加工は意識から始まる…
それは私の生成とともに始まる…
それは動力つまり身体の加工を促す…
欲が始まる…
恩恵と犠牲が始まる…
身体と環境の犠牲が始まる…
バーチャルが始まる…
答えの不在、歪み、力が始まる…

知性が主導権を握らないケースもあるのだろう…
おそらくインディアンはその例だった…
身体つまり感覚や感性が生きていた…
或いはより知的だったのかもしれない…

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TALK

話すこと…
それは時代や環境と接点を持つこと…
バーチャルな世界と接点を持つこと…

連れていかれる…

一人で考えること…
それは少しだけ距離を置くこと…
少しだけ意味をほどくことができるのかもしれない…

それは書くこと、読むこと…

絶つこと…
それはありのままとの接点を持つこと…
意味が消滅した世界と接点をもつこと…

怖い? それとも…

話さずに生きることは難しい…
暴力を放棄することは難しい…
恩恵と犠牲の中で生きるしかない?

私たちには別の姿がある…
別の本性がある…
いつもその本性とともにいる…

だから走りたくなる…
だから動物を食べる気になれない…

また話す?
それで何が解決できる?

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COURIR

何のために走るのか…
「何のために」から解放されたいから…

何が楽しいのか…
身体が喜ぶから…

身体とは何だろう…
それは「私」ではない…
自然と不可分のもの…

ランニングは「私」の麻痺だ…
「私」の緩和が身体を癒す…

心と身体という対比ではなく…
精神と肉体という対比でもない…
心、精神とは、身体のひとつの在り方ではないだろうか…

「私」と身体という対比が馴染む…
「私」との対話ではない…
「私」と向き合っているのでもない…
「私」を消そうとしている…

負荷が必要なのだろう…
「私」を壊すために…

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WEAKNESS

弱さは決して悪ではない…

そもそも地球上で一番の邪魔者は人類だろう…
人社会に馴染むことが何を意味するのか…

人と家畜の異常発生…
森は焼かれ、山は削られ…
地表は縦横に固められ、硬い構築物が乱立する…
スマホを手放せない…
ミサイルを手放せない…

人社会は強者の論理で動いている…
そうでない社会は衰退する…
恩恵のために犠牲に目を瞑る…
ゴミ、貧困、差別、動物の犠牲…人社会の排泄物…

教育はそういう社会への適応を促す…
ライオンが狩りを教えることとは何かが違う…

一方で、私たちに他の道があるわけではない…
だから教えなくてはならない…
何を…

私たちは答えのない世界に生きている…
そして常に加害者として生きている…
そういう側面を教えているだろうか…

戦争をしなくなったら賢くなったのだろうか…
環境破壊、自殺、ハラスメント…
相変わらず同じことが繰り返されている…
いま、この意識の中で…

より便利に…
より優位に…
より刺激を…
その中に隠れている…

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This is not freedom of thought

菜食者の多くは、動物の犠牲をなくしたいと思っている…
あるいは減らしたいと思っている…
肉食社会と相対している…
思想や信教の自由では計れない…
勝手に信じて終わるものではない…
それは女性の参政権や黒人の公民権を主張することと変わらない…
同性婚の成立を含め、同性愛への理解を求めることと変わらない…

白人至上主義…
同性愛をバカにすること…
女性の参政を笑うこと…
地動説を神の冒涜とすること…
それらはかつて多数派だった…
そう考えていいと思う…
今は違う…
間違っていたのだろうか…
そうは思わない…
それが普通だった…常識だった…
疑う余地はなかった…
たどるべき道だった…
ただ、次第に意味が変わっていった…

文明は富と権力の効率化によって生まれ発展してきた…
女性、黒人、同性愛者、先住民族、戦争や経済活動による敗者が効率化の犠牲になった…
(勝者も被害者なのかもしれない…)

平等とは、随分あとから見えてきたものだ…
本来の姿とは言い切れない…
新しい価値でありながら、本来を装っている…
倫理、道徳とはそういうもの…
肉が必ずしも必要な食材ではなくなったとき…
そのときどんな価値観が現れるだろうか…
いずれにしろ善悪、常識、普通は姿をどんどん変えていく…

地球を削り、汚すこと…
動物を食べること、纏うこと…
それらも間違いではなかった…
森林伐採、農薬の使用も問題ではなかった…
動物実験、ダウンジャケット、動物園や水族館も問題ではなかった…
今も間違いではない…
しかし帰路にあることは確かだ…

文明という水準は何らかの犠牲を必要としている…
文明は人にとっての恩恵と犠牲でできている…

文明は地球や動物や人を含めあらゆるものを犠牲にしている…
そして多くの差別、貧困、ゴミ、病気、核廃棄物を吐き出している…
文明の排泄物…
恩恵のために変質したもの、生産されているもの…

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قطر

https://forbesjapan.com/articles/detail/40086
https://www.goal.com/jp/ニュース/world-cup-eric-cantona
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/

肉の味わい…
サッカーの興奮…

食と遊び…
現代の到達したものとしての…
それを支える意識と流れと…
その満足や華やかさが何によって作られているか…

どこかで何かが犠牲になっている…
誰もが加害者であり、被害者にもなる…
需要を作り出し、目を瞑り、モラルで擁護する…
知性はいつも何かを隠す…

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ABSENCE

何のためにというよりも…
意味を求めてしまうこと…
そこから逃げられないということ…

意味を求めてしまう…
何かが不在なのだと思う…
不在であることがヒトを人にした…

答えとはありのままのこと…
それはいつもココにある…見えている…
ただそこに意味はない…

人は意味を求める…
答えを望んでいない…

意味は抽出、分裂から始まる…
私が生まれ、所有が始まる…
恩恵が生まれ、何かが犠牲になる…
何かが見合っていない…

そこに正しさを支えるものはない…
善悪を支えるものもない…
不在だから…

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IRREPLACEABLE

菜食者だがヴィーガンではない…
ピーター・シンガーの動物倫理に同意するわけでもない…
論旨を項目別に要約してみた…
以下目次…

・「いのち」「生物」「動物」「植物」という括りではない…
・「倫理」でも「健康」でも「環境」でもない…
・ 理由、条件、順番…
・ 牛乳、鶏卵、羊毛、皮革、羽毛…
・ 動物愛護、絶滅危惧…
・ 家畜、野生動物…
・ 味、幸福、依存…
・ 誤解…
・ 自己満足、提案、実践、期待、我がまま
・ 歴史、食性、栄養、工夫…
・ 肉食社会、態度…
・ 経緯、影響…
・ 菜食に関して出会えた共感できる人たち…

■「いのち」「生物」「動物」「植物」という括りではない…

「代わりのない個(孤)」を意識している…相手側のことではなくこちら側のこと…自分の「想い」や「痛み」に関わること…普段私たちヒトはお互いを「代わりのない個」(以下「個」とする)として認識している…それは人と多くの動物たち(牛、豚、犬、猫、鶏、馬、イルカ、鯨…)の間でも同様なのではないだろうか…仮に一緒に過ごすなら、それぞれお互いを他と区別して認識し、同じ記憶(厳密には違う)を共有することもできるように思われる…そういう存在を「同胞」と呼びたい…コーラ・ダイアモンドの言葉を借りた…「個」の意識あるいは感覚は極めて一方的で勝手な思い込みと言えるが、それは動物に対してだけではなく実際は人に対しても同じなのだと思う…相手側が抱く「個」の感覚は動物であれ人であれ「痛み」と同じように知り得ないものだ…客観的に計れる知的領域のものではない…一方的であれ、その感覚、意識を大事にしたい…家族や友人を大切にするように…小魚や昆虫になるとどうだろう…彼らに対する「個」の意識、感覚は曖昧なもので、それだけにグレーな存在と言える…極力いのちを奪わないようにと意識しているが強い拘りを持っているわけではない(悩む部分…聞かれてイライラする部分)…植物や菌になればもうそこに「個」を意識することはないだろう…境界はハッキリしたものではないし個人差もある…おそらく誰にでも共通しているのは、同種であるヒトは食べたくないということであり、それが最初の線引きになる…逆にウイルスや菌や植物に「同胞」としての感覚はないだろう…「死」とは「個」が絶えるときに感じるものであり、「個」を消すことを「殺す」ことと感じる…「同胞」に対する感覚は厳かなものだ…遠い昔から受け継がれてきた動物や自然への厳かな感覚…それは今、失われようとしているように思えてならない…人も動物もかつては供儀を通して神に捧げられた…供物より、もっと神聖で、もっと重い犠牲だった…

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BREAK, BLAKE

私は世界を作る…
理性は世界を保証する…

世界は意味で構築されている…
意味は力で、力は意味…
そこは現実と呼ばれている…

世界とありのままは違う…
ありのままも見えている…
しかしそこに意味はない…

概念、道具、お金、食料、資源、道徳…
意味が紡いでいるもの…
それらは力であり歪みだ…

田畑や道路や家屋を作るとき、私たちはそれを破壊とは思わない…
少なくとも気にしない…
都合が悪くなるまで破壊と認識することはない…

それらは何処かに蓄積される…
軍備、放射性廃棄物、貧困、ゴミ、病気…
恩恵は何かを犠牲にしている…

国家とは暴力装置であり…
経済とは格差をつくる装置であり…
そして技術は環境を破壊する…

それは通常気づかない…
理性は違う方向を向いている…

私たちは加害者なのだろうか…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 17 魂に対する態度
■ 18 意志

人は魂とか心とかで自らを差別化しようとする…
固有のものを持った存在だと思いたがる…
仮にそういうものがあるにしろ、特別なものなのだろうか…
孤立した「私」に付随する何かではないのか…

ロボットと人間を隔てるものとは何か…
そもそも人間は自然の中にいて独立してはいない…
勝手に「私」を作って勝手に孤立しているだけだ…

孤立(分裂)したものは引き合う…
もしかしたら人はロボットに対しても心を埋める何かを求めるのかもしれない…
しかしその逆はどうなのだろう…

ロボットも自然の外にいるわけではない…
しかしロボットに「私」という孤立が可能なのだろうか…

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