動物を食べること

動物を食べること…
それは不快なこと…
悲しいこと…
怖いこと…

少なくともハードルは高い…
その感覚を大事にしたい…

気持ち悪さとは何だろう…
それは同類に纏わるもの…
「死」や「殺」を含んでいる…
「代わりのないもの」の消失に関わっている…

なぜ食べないのかと問われると…
ただ「食べたくないから」と答えるしかない…
特別な理由があるわけではない…
あるとすれば「他に食べるものがあるから」だろう…

環境の話は、もうやめよう…
それはヒトの住みやすさのこと…
共生の感覚とは関係ない…

健康の話も、もうやめよう…
それは薬によって維持されるもの…
身体の自然な状態とは関係ない…

道徳の話も、もうやめよう…
それは損得が聖域を装ったもの…
無償ではない…

もし草花の育たない場所で暮らすなら…
もし狩猟採集がその土地の生き方なら…
そこには仕方のない殺生がある…
感謝と節度がある…

動物を食べることにこそ理由が必要だ…
なぜ食べるのか…

今の先進国においてその理由とは…
栄養だろうか…
舌を満たすことだろうか…
みんな食べてるからだろうか…

もっと素朴で剥き出しな感覚…
答えはそこにある…

人は動物を食べたいのだろうか…

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RETOUR

それらは不可解だ…
おそらく失くした答えを取り戻そうとしている…

それは野性の発露なのだろう…
身体が喜ぶこと…
あるいは癒し…

それは作品なのだろう…
どう育んで、どう終えるのか…
自分の中で響かせるもの…

それは力を持たない…
役に立たない…
知性は主役ではない…

文学でさえも、知性は主役ではない…
むしろ知性をほどく行為なのだと考えたい…
だからおそらく瞑想の系譜にあるもの…

The One Straw

わら一本の革命
著 福岡正信

スピノザ、般若心経、レヴィ=ストロース、ソロー…もし読んだことがあり腑に落ちるものを感じたのなら、福岡氏の言葉もおそらく届くのではないだろうか…一般的には距離を置きたくなるような話だ…なのに自然農法あるいは自然農に惹かれる人は多い…農法が多くの人を惹きつけるツールになっている…

第1章 自然とは何か(無こそすべてだ)

「人間というものは、何一つ知っているのではない、ものには何一つ価値があるのではない、どういうことをやったとしても、それは無益である、無駄である、徒労である。」(p8)

「今まである、ある、と思って、一生懸命に握りしめていたものが、一瞬の間になくなってしまって、実は何もないんだ、自分は架空の観念を握りしめていたにすぎなかったのだ、ということがわかったような気がしたんです。私はまさに狂喜乱舞というか、非常に晴れ晴れとした気持ちになって、その瞬間から生き返ったような感じがしました。とたんに、森で鳴いている小鳥の声が聞こえるし、朝露が、のぼった太陽にキラキラ光っている。木々の緑がきらめきながらふるえている。森羅万象に歓喜の生命が宿るというか、ここが地球の天国だったということを感じたんです。自分の今までのものは、一切が虚像であり、まぼろしであったのだ、そして、それを捨て去ってみれば、そこにはもう実体というものが厳然としてあった、ということだったんです。」(p13)

バーチャルという言葉を使いたい…抵抗を感じる言葉だとは思うが自分にはとてもしっくりくる…人の知的認識の在り方を説明している…偽物だと(他に本物があると)言ってるのではなくて、作り物ということ…国家やお金や食べ物やエネルギーや道徳…それらは私たちの作り物であり、その世界の中で私たちに対してのみ力を持つもの…

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TRAIL RUNNING

目指しているものがあるわけではなく…
むしろただ感じたい…

ネジが緩んでる?
むしろ緩めるために…

動物は答えを知っている
植物も知っている…
知らないのは私たち人だけ…

答えは私たちにも見えている…
ただ答えに見えない…
分からない…

代わりに意味を求める…
答えが欲しいのに…
意味を受け取ろうとする…

すべては答えでしかない…
私たちの意識がバーチャルなだけ…

身体がバーチャルを振り切ろうとする…
私を振り切ろうとする…

本来過ごすべき場所で…
見て、嗅いで、吸って、吐いて…
身体が求める動きの中で…
自然が与える負荷の中で…
自らを振り解く…

PROGRESS/RIGHT/FORCE

肥大化した脳は意識を作った…
意識は答えの代わりに意味を作った…

意味とは、成功、勝利、達成への道筋のこと…
名前も同じベクトルの中にある…
つまり「それ」という単位が作られる…
恣意的分離、抽出…

バーチャルな世界の誕生…
それは答えを持たない…
常に成功、達成、勝利、獲得、実現、正解を目指す…
それは犠牲を伴う…
犠牲という意味を伴う…
私たちにとっての犠牲…
例えばゴミ、貧困、争い、ストレス…

恩恵は犠牲を伴う…
その構造を暴力と言う…

知性はその本質に暴力性を備えている…
ただしそれもバーチャルなものだ…
私たちにとっての暴力…
動物にとってゴミは、ゴミでもゴミ以外でもない…

進歩も、正解も、力も…
すべてバーチャルなもの…
私たちは常に進歩を手に入れる…
いつも進歩…
森の木々や川や動物になることはない…

なぜ便利になるのか…
元々身の丈でないから…

私たちは変えることができるわけではない…
バーチャルな世界を生きているだけ…
常に求め続ける…

私たちの身体は野性に属している…
身体は苦しんでいる…

取り戻すべきものがある…

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FIT

成功や獲得や達成は私たちに正解を見せてくれる…ただそれは調和とか適応とは違うものかもしれない…手に入れることだけではなく、手放すことも必要なのではないだろうか…できることを少しずつでいい…この社会は元々私たちにフィットしていない…争い、貧困、ゴミのことはもちろん、そもそも身体にフィットしていない…地球と身体に、つまりその能力にフィットしていない…精神的ストレスと環境破壊は同質のものだ…

知性が身体を借りて見ようとする…
知性が身体を侵食し始める…
目は曇り始める…

答えを見失い意味が始まる…
より優位に、より便利に、より刺激を…

バーチャルが始まる…
喪失が始まる…

私たちは無理をしている…
背伸びしている…

恩恵と犠牲は新たな調和なのだろう…
この世にプラスチックが生まれても、
そのうち私たちがいなくなるにしても、
何の不足も余剰もない…

それでも私たちは求める、苦しむ…
フィットしていないから…

私たち動物に本来備わるものがあるとして…
その何かとうまく付き合うべきなのだろう…

まだ覚えているなら…

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DROITE

菜食の人たちも、肉食ありきの人たちも…
みなさん平等とか権利が好きかもしれない…

自分がそれらを翳すことはない…
むしろ平等とか権利を警戒している…
そこには暴力が隠れているから…
だから知性との付き合いかたを考えている…

平等とか権利は「私」の産物…
人社会特有のもの…
野生にそんなものはない…
動物に権利があるはずない…
可能なら動物には関わらないことだ…
それぞれの生き方を尊重したい…

野生に「食べ物」は存在しない…
「エネルギー」も存在しない…
それらは人が作り出しているもの…
人が意識したときに始まっているもの…
「平等」もない…
平等ではないということではなくて…
平等も不平等もないということ…
バタイユが言うように、そこは水の中の水…
食べ食べられることに優劣があるわけではない…
優劣は私たちが見ているに過ぎない…

だからピーター・シンガーには賛同できない…
動物に権利があるとするなら、
それは人社会に巻き込まれない権利だろう…

平等は私たちの知性の産物…
本来を装っているが違う…
私たちが発明したもの…

自分の菜食の話は他と違うかもしれない…
倫理の話ではないし強制するものでもない…

もっと感覚的なもの…
もっと澄んだもの…
それを大事にしたいだけ…

必要なら動物も食べる…
必要ないなら食べない…

そしてできれば食べて欲しくない…
自分だけさっぱりしてても悲鳴は消えないから…

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LIFE-SIZE

どう生きたいのか…

生きていることを感じたい…
身の丈でいたい…
無理はしたくない…
心穏やかでいたい…
のんびり生きたい…

でも私たちは常に大袈裟で都合がいい…
等身大で考えるわけではない…
考えることが等身大の否定なのだろう…
知性はいつも大袈裟で都合がいい…

ガザの話をしたら大袈裟と思うかもしれない…
身の丈でないし、もっとやるべきことがあると…

確かに大袈裟だ…
そして都合がいい…

ただ、ガザは私たちを映し出している…
私たちはいつでもアイヒマンになれる…

薄っぺらい否定…
マルクスの間違いは歴史が証明してるとか…
菜食主義に対して植物も生き物なのにとか…
つまらない…

街に下りてきた熊の方が悪い?
仕方なく殺すとしても、
あとから入ってきたのが私たち…
どこかの島を実効支配して我が物顔するのと同じ…
先住民を虐殺して移民文化を築くのと同じ…
コロンブスは英雄ではない…

どこまでも都合がいい…
それが知の正体…

動物愛護とか全く興味がない…
絶滅危惧種も放っておけばいい…
屠殺、環境汚染、飢餓…それ自体に興味はない…

数多の問題解決に口出しする気もない…
それは政治…とりあえず興味の核心ではない…
できることを少しずつ…

興味があるのは人の知の在り方…
それを踏まえた態度、謙虚さ…
さらに「意味」ではなく「答え」…

私たちは自分が加害者ということを認めない…
或いは気づかない…
そして私たちは加害者以外にはなりえない…

だからとりあえず認めることから始めたい…
そこからしか始められない…

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DÉSIR

動物の世界に競争はない…動物、植物、鉱物、大気、海洋…それらは野性の摂理を体現しているに過ぎない…人はいつからか野性から逸脱した恩恵の奴隷となり、相応の犠牲を生産するようになった…

競争は「私」が生まれたことに起因する…肥大化した脳は「私」を作った…それは身体に備わる自己ではない…つまり動物の反応とか縄張りを語るときの自己ではない…「私」は他者との間に差異を認め、損得や優劣を感じ取る…所有や権利や道徳が生まれる…

私たちは答えを失くした動物だ…バーチャルな世界を生きている…答えではなく意味を求めている…より優位に、より便利に、より刺激を…最初は極めてゆっくり且つ希少なものだった…しかしその中で今日の競争社会の準備は進んでいたのだろう…

違う道を歩んだ人たちもいる…現存する少数部族やネイティブ・アメリカンなど…ただ、いま彼らは西洋の影響の中にあり、すでに屈してしまったケースも多く見られる…西洋は「私」が主導権を握った文明だ…周りのものを飲み込む力を持っている…その強さは暴力の本質でありハラスメントなどと同種のものだ…

競争社会は是だと考えるのは当然のことだろうか…人社会は恩恵と犠牲を作り出す…蛇口を撚れば水が出るということは、何かを犠牲にしているということ…再生可能エネルギーも例外ではない…人類が少数だったころは問題ではなかったかもしれない…しかし今分岐点にいることは否定できないだろう…争い、ストレス、貧困、差別、病気、ゴミ、環境破壊…自分の或いは誰かの首を絞めている…

だからこそ必要なものがある…それは何らかの節制に関わるものだ…規律かもしれないし、教訓かもしれないし、神話かもしれない…仏教やネイティブ・アメリカンの世界にあったもの…

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SAUVAGE

食べ食べられることも、助け合うことも、何れも同じことなのだろう…抵抗や悲しみや苦しみもバランスを取るためのもの…バランスとはいえ、それは自然が選択しているだけであって、理由とか役割はあとから発明されているに過ぎない…進化論と同じ…

種も倫理も権利もない…
答えだけがある…
それは野性であり私たちの身体…
心も魂も身体であり答えであり…

植物を食べるのは(私が)穏やかでいられるから…
動物を食べないのは(私が)苦しみたくないから…

悲しい、怖い、汚い、臭い、それが自然ではないだろうか…人は動物を食べたいとは思っていない…もし食べたいのなら、それは経験によって作られたものだ…「食べもの」によるもの…

「代わりのない個」は人や人に近い動物に備わる特性だろう…肉食動物も草食動物も感じている…何らかの役割を見ずにはいられない…そこには答えがある…私たちは「代わりのない個」が消失するとき「死」を感じる…特に私たち人にとって「死」は耐えがたい…

幸いと言うべきか植物には個を感じない…
だから「死」を感じない…
それも答えだ…

人間中心でもなければ、動物中心でもない…
植物を特別扱いするわけでもない…
すべては等価だと言える…
在るものすべては等価だ…
ひとつだ…

では等価でないものとは…
切り取られたもの…
存在しないもの…
バーチャルなもの…

人は答えを失っている…
だから種や倫理や権利が生まれた…

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