KIRISHIMA-EBINO

第12回 霧島・えびの高原エクストリームトレイル – 65.5km(DNF)

今回は完走したかったので残念…球磨川のエントリー資格が欲しかった…夜の森を感じたかったし、ポールが使えるのも魅力だった…

何が楽しくてトレイルを走っているのか…完走を意識しすぎるとついその事を忘れてしまう…困難なチャレンジであれそれも遊び…周りの評価が届かないところに楽しみは存在している…見失わないことだ…特に自然を舞台とする身体を使った試みは至高の遊びなのだと思う…

今日は”くれいじーかろ”さんに会えた…スタート前にトイレに並んだら次に”かろ”さんが並んできた…度胸がなくて気づかないフリをしてたら、その次の人が声をかけたので便乗した…上田瑠偉さん、若岡拓也さんに次いで”かろ”さんとのツーショットゲット…トレイルはトップランナーが近い…

結局一秒も寝れず…腰痛は1週間前にわざわざ痛めて治らず…第3エイドを過ぎてからは動きが鈍くなりつらかった…脚のあらゆる場所が断続的に攣り出した…エイド前になると頭痛と吐き気が襲ってきて足は止まった…3年前(そのときは完走できたが)と同じ症状…

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RETOUR

それらは不可解だ…
おそらく失くした答えを取り戻そうとしている…

それは野性の発露なのだろう…
身体が喜ぶこと…
あるいは癒し…

それは作品なのだろう…
どう育んで、どう終えるのか…
自分の中で響かせるもの…

それは力を持たない…
役に立たない…
知性は主役ではない…

文学でさえも、知性は主役ではない…
むしろ知性をほどく行為なのだと考えたい…
だからおそらく瞑想の系譜にあるもの…

The One Straw

わら一本の革命
著 福岡正信

自然農法とは限りなく自然に近づけることなのだろう…完全なものはもはや「農」ではなく自然だ…狩猟採集が残る…だから自然農法というからには何らかの人の操作が入っている…生産性を上げることではなく、自然とどう折り合いをつけるかということに気持ちが注がれている…農法とは思想であり実践であり…

第2章 誰にもやれる楽しい農法

「第一は、不耕起(無耕耘あるいは無中耕)です。田畑は耕さねばならぬものというのが、農耕に基本ですが、私は敢えて、自然農法では、不耕起を原則にしました。なぜなら大地は、耕さなくても、自然に耕されて、年々地力が増大していくものだとの確信をもつからです。即ち、わざわざ人間が機械で耕耘しなくても、植物の根や微生物や地中の動物の働きで、生物的、化学的耕耘が行われて、しかもその方が効果的であるからです。
 第二は、無肥料です。人間が自然を破壊し、放任すると、土地は年々やせていくし、また人間が下手な耕作をしたり、略奪農法をやると、当然土地はやせて肥料を必要とする土壌になる。しかし本来の自然の土壌は、そこで動植物の生活循環が活発になればなるほど、肥沃化していくもので、作物は肥料で作るものだとの原則を捨て、土で作るもの、即ち無肥料栽培を原則とします。
 第三は、無農薬を原則とします。自然は常に完全なバランスをとっていて、人間が農薬を使わなくてはならないほどの病気とか害虫は発生しないものです。耕作法や施肥の不自然から病体の作物を作ったときのみ、自然が平衡を回復するための病虫害が発生し、消毒剤などが必要となるに過ぎない…健全な作物を作ることに努力する方が賢明であることは言うまでもないでしょう。
 第四は、無除草ということです。草は生えるべくして生えている。雑草も発生する理由があるということは、自然の中では、何かに役立っているのです。またいつまでも、同一種の草が、土地を占有するわけでもない、時がくれば必ず交替する。原則として草は草に任せてよいのだが、少なくとも、人為的に機械や農薬で、殲滅作戦をとったりはしないで、草は草で制する、緑肥等で制御する方法をとる。」(p46-47)

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Ein Hungerkünstler

断食芸人(1922)
著 フランツ・カフカ
訳 池内 紀

Bartleby(1853)Herman Melville
The Panthe(1903)Rainer Maria Rilke

思い出すのはバートルビー…カフカが知らないことはないだろう…断食芸人は答えが無いことを体現しているのだと感じた…バートルビーにしろ、断食芸人にしろ、すべてを拒否し、最後は息絶える…対して豹は答えを持っている…しかしこの豹もしばらくすると答えを失うのかもしれない…

The One Straw

わら一本の革命
著 福岡正信

スピノザ、般若心経、レヴィ=ストロース、ソロー…もし読んだことがあり腑に落ちるものを感じたのなら、福岡氏の言葉もおそらく届くのではないだろうか…一般的には距離を置きたくなるような話だ…なのに自然農法あるいは自然農に惹かれる人は多い…農法が多くの人を惹きつけるツールになっている…

第1章 自然とは何か(無こそすべてだ)

「人間というものは、何一つ知っているのではない、ものには何一つ価値があるのではない、どういうことをやったとしても、それは無益である、無駄である、徒労である。」(p8)

「今まである、ある、と思って、一生懸命に握りしめていたものが、一瞬の間になくなってしまって、実は何もないんだ、自分は架空の観念を握りしめていたにすぎなかったのだ、ということがわかったような気がしたんです。私はまさに狂喜乱舞というか、非常に晴れ晴れとした気持ちになって、その瞬間から生き返ったような感じがしました。とたんに、森で鳴いている小鳥の声が聞こえるし、朝露が、のぼった太陽にキラキラ光っている。木々の緑がきらめきながらふるえている。森羅万象に歓喜の生命が宿るというか、ここが地球の天国だったということを感じたんです。自分の今までのものは、一切が虚像であり、まぼろしであったのだ、そして、それを捨て去ってみれば、そこにはもう実体というものが厳然としてあった、ということだったんです。」(p13)

バーチャルという言葉を使いたい…抵抗を感じる言葉だとは思うが自分にはとてもしっくりくる…人の知的認識の在り方を説明している…偽物だと(他に本物があると)言ってるのではなくて、作り物ということ…国家やお金や食べ物やエネルギーや道徳…それらは私たちの作り物であり、その世界の中で私たちに対してのみ力を持つもの…

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TRAIL RUNNING

目指しているものがあるわけではなく…
むしろただ感じたい…

ネジが緩んでる?
むしろ緩めるために…

動物は答えを知っている
植物も知っている…
知らないのは私たち人だけ…

答えは私たちにも見えている…
ただ答えに見えない…
分からない…

代わりに意味を求める…
答えが欲しいのに…
意味を受け取ろうとする…

すべては答えでしかない…
私たちの意識がバーチャルなだけ…

身体がバーチャルを振り切ろうとする…
私を振り切ろうとする…

本来過ごすべき場所で…
見て、嗅いで、吸って、吐いて…
身体が求める動きの中で…
自然が与える負荷の中で…
自らを振り解く…

PROGRESS/RIGHT/FORCE

肥大化した脳は意識を作った…
意識は答えの代わりに意味を作った…

意味とは、成功、勝利、達成への道筋のこと…
名前も同じベクトルの中にある…
つまり「それ」という単位が作られる…
恣意的分離、抽出…

バーチャルな世界の誕生…
それは答えを持たない…
常に成功、達成、勝利、獲得、実現、正解を目指す…
それは犠牲を伴う…
犠牲という意味を伴う…
私たちにとっての犠牲…
例えばゴミ、貧困、争い、ストレス…

恩恵は犠牲を伴う…
その構造を暴力と言う…

知性はその本質に暴力性を備えている…
ただしそれもバーチャルなものだ…
私たちにとっての暴力…
動物にとってゴミは、ゴミでもゴミ以外でもない…

進歩も、正解も、力も…
すべてバーチャルなもの…
私たちは常に進歩を手に入れる…
いつも進歩…
森の木々や川や動物になることはない…

なぜ便利になるのか…
元々身の丈でないから…

私たちは変えることができるわけではない…
バーチャルな世界を生きているだけ…
常に求め続ける…

私たちの身体は野性に属している…
身体は苦しんでいる…

取り戻すべきものがある…

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KAGAMIZU

第11回 宮崎鏡洲の森トレイル – 26km

スタート直後に上宮逸子さんの後ろ姿が見えたので最初だけでもと追いかけたのだけど、渋滞を掻い潜ることができず程なくして見失った…

天気予報は嘘つきだ…雨マークは午前だけでしかも小雨だった…実際はトレイルに入ったあたりから土砂降り…森の中はかなり暗かった…止む気配はなく、おまけに風も強くなりまさにアドベンチャー…遠景などは勿論見えず、時折光が差し込み、森は幻想的な装いだった…

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Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

國破山河在(国破れて山河あり)…
なんてアナーキーな言葉だ…

▪️第2章 「場所」に生きる 2/2

「昔、人々は小さな部族単位で、自然の基準に適合した範囲で暮らしていた。北アメリカの主な先住民の文化領域は、そのほとんどが主なバイオリージョンと一致している。そういった古い時代の文化領域は流動的で明確ではないが、真の居住地と呼べる場所である。しかしながらその領域は恣意的、ときに暴力的に国境という境をもたらす「国家」にしだいに取ってかえられていった。この強いられた領域は、ときには動植物の生態域や民族ごとの区域も同様に分断してしまった。住民たちは、生態学的な知恵だけでなく、コミュニティの連帯責任、共同利益という知恵も失ってしまったのだ。昔ながらの方法では、植物相、動物相、そして地形も「文化の一部」であった。文化と自然の世界、これは現実に存在しているが、いまではほとんど影の世界となっている。そして政治的権力やエリート経済といった非現実的な世界が、現実のものとしてまかりとおっている。我々は本来あるべき世界とは逆さまの時代に生きているのだ。国、州、群といった恣意的な境界線を越えた地形上の特徴を見出し、その土地の「身体つき」を辿ることで、文化と自然が昔持っていた仲間意識をいま暮らしている地域に、少しは取り戻すことができるだろう。」(p75

「アメリカ先住民に生まれなかった者が、この大陸を自分の「家」にするためには、男も女も、この半球、この大陸、正しくは「亀の島」で、生まれ変わらなくてはならない。」(p80

「合衆国、カナダ、メキシコといった名称はつかのまの政治的存在を示しているにすぎない。そう呼ぶことは確かに合法的ではあるが、このまま土地を虐待し続けるなら、その委託統治権を失うことになる。「国破れて山河あり」だ。」(p81

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PAUL AUSTER

50歳を迎えようとするころ、本を読み出した…人生を悔いないよう何かを見直したかった…遅すぎる読書習慣のスタート…国語の授業が嫌いだった自分が読書とは…

最初は哲学や人類学の本が多かったと思う…小説といえば(奇妙だが)バロウズの「裸のランチ」を読んだな…かなり特殊な体験だった…コンスタントに小説を読むようになったきっかけはおそらくクッツェーだろう…文学に魔法のようなものを感じた…

オースター名義のデビュー作は強い印象を残している…柴田さんの訳もいいのだと思う…哲学は行き詰まるけど、文学は充たしてくれる…そんな気にさせてくれた本だった…

PAUL AUSTER(1947-2024)