わら一本の革命
著 福岡正信
自然農法とは限りなく自然に近づけることなのだろう…完全なものはもはや「農」ではなく自然だ…狩猟採集が残る…だから自然農法というからには何らかの人の操作が入っている…生産性を上げることではなく、自然とどう折り合いをつけるかということに気持ちが注がれている…農法とは思想であり実践であり…
第2章 誰にもやれる楽しい農法
「第一は、不耕起(無耕耘あるいは無中耕)です。田畑は耕さねばならぬものというのが、農耕に基本ですが、私は敢えて、自然農法では、不耕起を原則にしました。なぜなら大地は、耕さなくても、自然に耕されて、年々地力が増大していくものだとの確信をもつからです。即ち、わざわざ人間が機械で耕耘しなくても、植物の根や微生物や地中の動物の働きで、生物的、化学的耕耘が行われて、しかもその方が効果的であるからです。
第二は、無肥料です。人間が自然を破壊し、放任すると、土地は年々やせていくし、また人間が下手な耕作をしたり、略奪農法をやると、当然土地はやせて肥料を必要とする土壌になる。しかし本来の自然の土壌は、そこで動植物の生活循環が活発になればなるほど、肥沃化していくもので、作物は肥料で作るものだとの原則を捨て、土で作るもの、即ち無肥料栽培を原則とします。
第三は、無農薬を原則とします。自然は常に完全なバランスをとっていて、人間が農薬を使わなくてはならないほどの病気とか害虫は発生しないものです。耕作法や施肥の不自然から病体の作物を作ったときのみ、自然が平衡を回復するための病虫害が発生し、消毒剤などが必要となるに過ぎない…健全な作物を作ることに努力する方が賢明であることは言うまでもないでしょう。
第四は、無除草ということです。草は生えるべくして生えている。雑草も発生する理由があるということは、自然の中では、何かに役立っているのです。またいつまでも、同一種の草が、土地を占有するわけでもない、時がくれば必ず交替する。原則として草は草に任せてよいのだが、少なくとも、人為的に機械や農薬で、殲滅作戦をとったりはしないで、草は草で制する、緑肥等で制御する方法をとる。」(p46-47)
昔、設計事務所に勤めていたことがあって、飲みの席で上司に無謀にも「建築は破壊だ」と言ったことを思いだす…上司は「田んぼや畑は違うんじゃないか」と言ってた…そのときは妙に納得してしまったが…
いずれも操作であることに変わりはない…今ならそう思う…しかし自然農法は科学や知性とは違う方向を向いている…
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