ตื่นบนเตียงอื่น

新しい目の旅立ち(2015)
著 プラープダー・ユン
訳 福冨 渉

この旅の舞台はフィリピンのシキホール島…
昔ながらのゆったり時が流れる小さな島だ…
魔女が住んでいるらしい…

正月といえば近場の一泊旅行が慣例で、旅先でのランも楽しみのひとつだった今年はコロナの影響でそれも叶わなかったタイ人による旅を綴った本原題を直訳すると「違うベッドで目覚める」になるプルーストによると「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ること」らしい

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ミノタウロスの皿

ミノタウロスの皿(漫画1969 アニメ1990)
作 藤子・F・不二雄

「ドラえもん」「パーマン」のF先生の作品…
「ハットリくん」「怪物くん」のA先生じゃない…
ベジタリアンはA先生の方…

主人公は結局理解したのだろうか…
理解して渋々すべてを受け入れたのだろうか…
それとも気づいていないのだろうか…
気づかないのも示唆的ではあるけど…

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The Invention of Solitude

孤独の発明(1982)
著 ポール・オースター
訳 柴田元幸

前半は一人称…冒頭の2枚の写真が事実であることを教えてくれる…親子の歴史が次第に鮮明になっていく…後半は三人称…偶然の一致に引き寄せられながら記憶と考察の断片が交錯する…話は飛ぶし不快になりそうな気もするが不思議と馴染んだ…意外に人の内側はそういう挙動なのかもしれない…そもそも読むという行為がそういうことなのか…

フロイトの「無意味なもの」についての考察で「意味の不在こそ第一原理である」「彼は言うことを意味する」と綴っている…この本が、作家としての或いは後続の作品(物語)に対する宣言のようなのものに思えてきた…

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ビジテリアン大祭

ビジテリアン大祭(1934)
著 宮沢賢治

作家はデリケートな問題をオブラートに包んで語ることができる…クッツェーの「動物のいのち」にしろ、この「ビジテリアン大祭」にしろ、多くの人に是非読んでほしいが、読むのはおそらく菜食者だけだろう…相変わらず閉じている…そういう話かもしれない…肉食大国となった今日の日本をもし宮沢が見たらどう思うのだろうか…もし同様の作品を書くとしたら少し違う内容になっていたのかな…

まず菜食者をその理由で「同情派」と「予防派」に分けている…「同情派」は倫理的理由、「予防派」は健康を理由とする…主人公(宮沢?)は「同情派」…実行の方法から分類すると3つに分かれ、第一が完全植物食(ヴィーガン)、第二は乳製品&卵OK(ラクト・オボ・ベジタリアン)、そして第三は引用させてもらう…

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Stille

差別とは社会的な物差しが生み出すものだろう…
社会の中で語りうるもの…

性別、人種、LGBT…
そこに動物の入る余地はあるだろうか…

動物に社会性は求められていない…
同列には並びえない…
だから権利云々ではない…
人社会に巻き込まれない権利なら唯一ありかもしれないが…

社会性ではなく、もっと単純な地点に降りたい…
生物という物差しすらない地点…
おそらく何も測れない場所…
理性が及ばない場所…

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Calf

スポーツは未だ動物の犠牲の上に成立している…
娯楽の、欲望の犠牲になっている…
生きるための犠牲ではない…

意外にも非難の声は皆無だ…
検索しても何も出てこない…
食や衣類に関しては山ほどの情報があるというのに…
多くが熱狂する分野でありながら何故スルーされるのか…

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