第4回 MIZUKAMI MOUNTAIN PARTY – 39km
過去二回は25kmのショートにエントリー…
今回は39kmのミドル…
ロングは【ショート→ミドル】のコースで合計64km…
自分にとって39kmは過去最長距離…長かった…
途中、2時間前にスタートしたロングの選手たちに抜かれていく…
とても同じ人間とは思えない…
第4回 MIZUKAMI MOUNTAIN PARTY – 39km
過去二回は25kmのショートにエントリー…
今回は39kmのミドル…
ロングは【ショート→ミドル】のコースで合計64km…
自分にとって39kmは過去最長距離…長かった…
途中、2時間前にスタートしたロングの選手たちに抜かれていく…
とても同じ人間とは思えない…
スピノザの哲学は隅々まで仏教なのだと感じる…これほど酷似していれば違いよりも大筋の方に配慮すべきではないだろうか…共通する言葉や理屈を追いかける必要もないし、スピノザとか仏教とかも忘れて…
■ 汎神論/無神論
神とは、すなわち自然のこと…人の形をしてたり、この世を作った存在ではない…すべては一つ…別に神でもいいしそうでなくてもいい…世界、自然、宇宙、真理、実体…全部同じこと…ただ「世界」は「私」と対の言葉として馴染むし、「自然」は森や海を連想してしまう…使い分けるならとりあえず「実際」とか「一切」でもいい…
水は水として生じかつ滅する…
しかし実体としては生ずることも滅することもない…
仏教の言葉ではなくスピノザの言葉だ…
人も同じように実体として生まれることも消えることもない…
地球で最後のふたり(2003)
監督 ペンエーグ・ラッタナルアーン
本も役に立たないが、映画も役に立たない…
レースに参加するのも役に立たない…
ただ、救われるのだと思う…
旅に出て、何か新鮮なものを感じる…
つまらなかったものが、少し意味を持ち出す…
社会は有用性で動いている…
成功、達成、獲得、勝利…
つまり強者、勝者、富者の論理で動いている…
そうでない社会は衰退する…
すなわち、弱者、敗者、貧者は周辺の住人となる…
人は中心に正解を見るようになる…
有用性の世界とは、理性が作り出す世界だ…
道具が生まれ、所有が始まる…
その光景を自然の中に見ることはできない…
理性が作り出す異質な世界…
自然界に同種による同様の競争や弱肉強食はない…
生態ピラミッドの縦構造は異種間のつながりをあらわしている…
異質さは必ず何らかの歪みを生む…
暴力、ゴミ、病気、貧困…
それらを周辺に追いやりながら社会は生き抜こうとする…
それらは常に生産され、常に周辺に追いやられ、常に消滅するか蓄積される…
社会の維持に必要な排泄物…
ファニーとアレクサンデル(1982)
監督 イングマール・ベルイマン
アルマの寛容さはありなのか…
かと思えば主教の厳格さ…
よく観察すると、こういう?がいたるところに出てくる…
悪人がいるわけではない…
繋ぐものや引き裂くものがあるわけでもない…
そういう役割を演じてしまうものがあるだけ…
Venice(2004)
Fennesz
少々浮いた感じのノイズ…
まとまりに欠けたバランス…
最初そんな風にも聴こえるが次第に馴染んでくる…
そのうちクセになる…
偶然なのか計算なのか…
あまり作り込まずに、うまく拾えているというか…
自然の音をサンプリングしなくとも…
身近にあるノイズも自然音なのかな…とも思う…
加工とか意志とか、そういうベクトルに必ず寄り添っている何か…
般若心経(2018)
著 ティク・ナット・ハン
訳 馬籠久美子
哲学とは深い洞察によって編まれた概念による構築物…
言葉のルールの中にあるのだと思う…
仏教の拘りはあくまでも「実際」なので、あえて矛盾した話もあれば例え話も多い…
通常の理解を超えた話も多く「実際」は如何様にも語れてしまう…
しかし仏教は哲学が言いたいことを言葉にしているのかもしれない…
仏教は作品ではない…
教義であり実践…
仏教は理性を警戒している…
とはいえ理性を超えて超合理的でもある…
The Other Shore
Thich Nhat Hanh
◆ 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙
対象を追いかけている限り、実践には妨げるものがある…それは自分の中から生じる…妨げるものには2種類ある…知識による「所知障」と苦悩による「煩悩障」…知識は多くの概念を抱え込んでしまい、手放すことが難しくなる…縁起やインタービーイングという概念でさえ最後は手放さなくてはならない…真理は知識や概念の蓄積の中にあるのではなく、ただ生きることの中にのみ存在しうる…混乱、憎悪、不安、渇望、復讐心などを総じて煩悩障という…ありのままを観ることを困難にしてしまう…
縛っている結び目を解くと、涅槃という自由が得られる…
手放すことによってのみ自由は得られる…
The Other Shore
Thich Nhat Hanh
◆ 是故空中無色 無受想行識
東と西はすでにお互いの中に含まれている…わざわざ出会う必要はない…言葉や記号や象徴に対応する姿や形のことを「相」と言う…「相」も色(体)と同じように空である…姿や形(相)を超越すると「私」や「私のもの」として認識できる独立した特質など何もないことが見極められるようになる…
◆ 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
現象の十八の領域は、六種の感覚器官(六根)と、六種の感覚の対象(六境)と、六種の意識(六識)からできている…どの領域も単独で存在することはできず、関わり合っている…眼が見ているのではない…眼と形あるものが出会うところに視覚が生じる…考えることは、意識と意識の対象が出会った結果であり、そこに考える主体はない…認識する対象を見ることは、認識する者を見ること…
久しぶりに覗いてみたら…
newsletter 登録してるのだけど、何の知らせもなく…
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