Lorenz

Die acht Todsünden der zivilisierten Menschheit
Konrad Lorenz

目次を読んで重なる部分が多いと感じたので読んでみようと思う…少し読んでみると、細部の解釈に多少ズレは感じたが、なにより大枠は同じ着想や方向性を持っているように思えた…動物行動学の視点から考えを深められればと思う…八つの大罪があるという…

◼️1 人口過剰

まず自分の感じてることを…個体数の多さは人だけではなく家畜も含めて異常だ…それはイナゴの異常発生や癌細胞の増殖を思わせる…海辺の広い平地は硬く固められ無数の硬い巣が立ち並んでいる…連絡路も網目上に硬く固められ硬い乗り物が休みなく動いている…すべての人が今の水準の生活を維持するためには、少なくとも地球は常に破壊され続けなくてはならないだろうし、ゴミや核廃棄物は増え続けるしかないのではないか…人口は地球と釣り合っていない…人口過剰が根本問題なのではなくて、それは異常性を象徴している…人がウイルスやブラックホールのような存在とは思いたくない…思いたくない、というだけなのだけど…

思考と感覚の不釣り合い(ズレ)もある…人は知性によって感覚の及ばない領域まで考え感じることを強いられている…私たちはウクライナやパレスチナの人々のことにどれだけ心を痛めているだろうか…家畜の実情にしても、その知識とは裏腹に感覚的に感じるまでには至っていないだろう…あるいは感覚を閉じてしまっている…物理的に遠くのものだけではなく、身近な目の前にあるもののその先にある多くのものが見えない状況だ…家族や隣人のことを考え生活するのが自然であり感覚的には見合っているのかもしれないが、今となっては現代人の殆どは同じひとつの複雑な社会に生きている…目の前のことと隔てられた先のことは無関係ではない…配慮の無さに仕方なさを感じる一方で、常にとは言わないが曇りのない目で見る必要性を感じる…

以下ローレンツを読みながら…人口過剰の原因や経緯についての言及があるわけではない…過剰になったことが人にどういう影響を与えているかが語られている…

ローレンツの指摘は総人口というよりも人口稠密に関するものだ…人は多くの隣人を愛することができない…多くなればそれだけ気持ちは薄っぺらいものなり、本当に愛することができるのは極少数の家族を含めた隣人だけになってしまうと…さらに、非常に狭い空間に密集した場合、攻撃行動も高まると言っている…都会だけではなく、例えば学校の教室という空間でも同様のことが起こるのではないだろうか…

「すべての人を愛すべきであるという要求がいかに正しく論理的であっても、私たちはすべての人を愛するようには生まれついていない」(p21)

「多くの人間がひじょうに狭い空間にとじこめられている結果、人と人の関係が枯れ果て、砂の中に消え去ってしまうことを通じて、間接的に非人間化現象が生じるだけではない。直接に攻撃行動も触発される。」(p22)

攻撃とは人の場合、あからさまなものだけではなく、表には出にくい敵意や陰湿な虐めなども含まれるのだろう…

現在田舎暮らしだが、自分個人の経験からすると、都会生活の方が田舎生活より楽だった隣人が知り合いばかりの方がストレスがあるこれは「教室内の生きにくさ」ではないだろうかただ最近は近くに住んでいても「別々に生きてる感」が増してきているネットや流通あるいは交通が整備されると、田舎も都会も関係ないのかもしれない密度ではなくなるような気がする都会の状況が田舎の方にも波及して状況は複雑になってきている