第9回 霧島・えびの高原エクストリームトレイル – 60km
この大会の特徴のひとつは、下ってから登るということ…
スタート&ゴールが上にある…最後が登りになる…
もうひとつの特徴は国立公園だということ…メイン会場に民家や集落はない…
地元住民のおもてなしがあるわけではない…
2年前にショートにエントリー…豪雨だった…
最悪のコンディション…制限時間に間に合わず…それでも楽しかった…
今回はロング…自己最長…未知の世界…
第9回 霧島・えびの高原エクストリームトレイル – 60km
この大会の特徴のひとつは、下ってから登るということ…
スタート&ゴールが上にある…最後が登りになる…
もうひとつの特徴は国立公園だということ…メイン会場に民家や集落はない…
地元住民のおもてなしがあるわけではない…
2年前にショートにエントリー…豪雨だった…
最悪のコンディション…制限時間に間に合わず…それでも楽しかった…
今回はロング…自己最長…未知の世界…
https://news.yahoo.co.jp/articles/c42040ceea91e37aad63398d21469f81baaf80d9
子供の過ち、未体験者の過ち,時代の過ち…
過去に通っていたことは周りも赦していたこと…
今の基準に照らして過ちと断罪するなら、その時代も裁かれて然るべきだろう…
時代は裁けないのではないだろうか…
子供を裁けないように…
ちかごろの過敏な指摘は少し気になるところ…
そこには必ずモラルが存在している…
モラルそのものに問題があるとは思わない…
モラルは繋ぐものだ…
しかし引き裂くものにもなる…
モラルは絶対的なものを振りかざす…
善を振りかざす…
追い詰める…
逆らえない…
銃みたいなもの…
宗教、国家、経済、技術…
作ったものに翻弄される構図は昔から変わっていない…
未来も変わらないのだろう…
侵略、法による統治、土地の所有、生政治…
ガリレオの逮捕…サドの逮捕…グラムシの逮捕…
椅子とりゲーム…モラル…有用性…
自然の中に見ることのできる競争や犠牲ではない…
囲い込み、奴隷化、家畜化の中にいる…
簡単には巡らない歪んだ世界…
人を、動物を、地球を犠牲にして…
暴力、ゴミ、貧困、病気を吐き出しながら…
何かを誰かを犠牲にする社会に参加している…
どこかに犯人がいるわけではない…
泣き言を言う気もない…
ただ、勝ち抜くことを肯定する気にはなれない…
仕方ないこととして受け入れたり美化したり…
そこにはモラルの落とし穴がある…
私たちは常に加害者になっている…
そして自然な感性にフタをしている…
ゴースト(1991)
著 W.バロウズ
訳 山形浩生
キツネザルは英語でレムール(LEMUR)と呼ばれている…
元々はローマ神話で「死者の霊」を意味する言葉だ…
マダガスカルなどの僅かな孤島に生息している…
手懐けることが難しく、排泄物には多くの病原体が潜んでいるらしい…
タイトルは「僅かな可能性」という意味の慣用句だ…
キツネザルが希少であることと、人類への望みを重ねているのかもしれない…
バロウズは自然や動物との対比の中でヒトの醜さを炙り出している…
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1009/feature05/
https://kagakubar.com/mandala/mandala05.html
山形さんはどういうわけか「LEMUR」をキツネザルではなく、メガネザルと訳している…
物語はマダガスカルの歴史を意外と忠実になぞっている…
ひとりであること…
死と隣り合わせにあること…
拠り所がないということ…
架空であること…
拠り所になるはずの法、モラル、常識、普通…
安定、持続、保証を志向するもの…
それらは逆に責め従えようともする…
曖昧さを許さない…保留を許さない…
終わりの宣告…架空の宣告…無力の宣告…
裁かれる…責められる…笑われる…
Continue reading “What I Talk About When I Talk About Running”
David Hockney
That’s the Way I See it
☘︎「ラジオの上にはヨーロッパの地図が貼ってあった。どこの家でも地図を見ながら、連合軍がドイツ国内を進撃するニュースを聞いていたのだ。だから戦争が終われば、ニュースはもう無くなると思っていた。」(p15)
コピーと同じで技術が考え方や感じ方を変えていく…今では情報が大きな武器になってしまった…情報戦という側面もあるが、何を信じていいのか分からない(或いはそんなものはない)という側面も浮き彫りになってきている気がする…
☘︎「作品を通じて何かに近づいてもらいたい…。隔たりを取り除けば、人と人が近づき、お互いが同じひとつの存在であることに気づき始める。」(p15)
作品とは触れることで何かを変えることができる装置だ…
宛名のない手紙のようなもの…
ジム ジャームッシュ インタビューズ
編 ルドヴィグ・ヘルツベリ
訳 三浦 哲哉
■ There is no paradise
Harlen Jacobson/1984
■ “East European director”
Peter Belsito/1985
タイトルの意味が少しずつ見えてくる…
Stranger in Paradise を捩っているらしい…
「…僕はさかさまに書くんだ。つまり、語るべきストーリーがまずあってそのうえで肉付けしていくというのではなくて、まず最初にディテールを集めて、その後、パズルみたいにストーリーを組み立てていく。主題、ある種のムード、それからキャタクターはあっても、直線的に進むプロットはない。…プロットありきという考え方にはぞっとするんだよ。プロセスにこそなにかがあると考えていたほうがエキサイティングだ。僕の方からストーリーを定式化するというより、ストーリー自身が自分のことを僕に話し始めてくれるんだ。」(p32)
イーティング・アニマル(2009)
著 ジョナサン・サフラン・フォア
訳 黒川 由美
我が町にも食肉加工場はある…
検査機関も併設されている…
平日は数百メートル先まで豚の鳴き声が聞こえる…
革製品を扱う工場もある…海外からの注文も多い…
工場は原発や米軍基地のようなものだ…
住民の生活を支えている…
動物の犠牲に関わるものを今すぐすべて否定することはできない…
社会全体が少しずつ別の選択をするよう願うだけだ…
おそらく正解とは頭の中の出来事に過ぎないのだろうし…
何にしろ穏やかな気持ちでいたい…
人同士の軋轢も、動物の犠牲もないのが理想だ…
人は「食事をする」動物だと著者は言う…
さらに言うなら「食べ物を作る」唯一の動物だろう…
自然界に「食べ物」は存在しない…
食べる行為があるだけだ…
ある学会報告(1917)
著 フランツ・カフカ
訳 池内 紀編
ペーターは「出口」を求めていた…それは文明社会への「入り口」でもあり、順応、適応を意味している…さらにペーターは「出口」が「自由」と同義ではないことを強調する…人は自由を求めるが、それは見当違いの身の丈に合わない背伸びと言わんばかりだ…自然の本性に逆らっていると…
■ われらみな食人種(「われらみな食人種」所収 )
■ 狂牛病の教訓(「われらみな食人種」所収 )
著 クロード・レヴィ=ストロース
監訳 渡辺公三
訳 泉克典
人は人を食べたいとは思わないだろう…
同じ理由で食べたくない動物たちがいる…
人は同胞を食べない…コーラ・ダイアモンドが見ているのは剥き出しの直感的な感覚だ…しかしレヴィ=ストロースが示すのは人によるカニバリズムの実態…単に愚かな行為、野蛮な行為として切り捨てられるものではないと言う…その意味合いも多様だ…栄養源、弔い、報復、魔術…ただそれらは逆に”超えることの重さ”を暗に示しているように思える…動物も人も供儀を通して神に捧げられた…動物の犠牲にもカニバリズム的意味合いが含まれていた…