Bricolage

宮沢賢治が『ビジテリアン大祭』の中で「自分ばかりさっぱりしていると云ったところで、実際にほかの動物が辛くては、何にもならない…」と言ったように、他者に要求したくなる部分あるいは期待する部分はある…しかし強制はできない…

もし権利を掲げるなら「〜すべき」と強制することもできる…倫理やモラルに訴えて話すことができる…しかし権利とはヒト社会でヒトに与えられるものであって、もし動物に権利があるとするなら、それはヒト社会に巻き込まれない権利なのではないだろうか…もっと感覚的な理由…気持ちが楽だからであり心穏やかでいられるから…Pシンガーではなく、Cダイアモンドに同調できる部分…そこに「同胞」に対する感覚を見出すこともできる…同胞とは「代わりのない個」を意識できる存在のことと考えたい…近い動物にも感じることができる…ただしそれは昆虫や細菌、ウイルスへとヒトから隔たった存在になればなるほど希薄なものになっていく…境界はぼんやりしている…「個(あるいは孤)」を明確に感じるほどその消失を「死」と感じ、消す行為を「殺す」ことと感じる…

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KIRISHIMA

第10回 霧島・えびの高原エクストリームトレイル – 65km(DNF)

最終エイド(53km)でリタイヤ…悔しい結果になってしまった…頚椎症(医者は参加に否定的だった)と腰痛(神経ブロック3本打ってもらった)のため気持ちも上がってこなかったし、どこかでリタイヤすることは覚悟していた…でもリタイヤの直接の理由は配分ミス…スマホのバッテリー残量が中盤で危うくなったので節約のため電源を切って進んだ…しばらくYAMAPでの位置確認ができない状態で、最後の登りに足を残そうと抑えめに進んでいたら、気づいた時は制限時間ギリギリ…爆走のおかげで何とか間に合ったのだけど、すぐにスイーパーが動き出した…爆走で一時的にリミットに達してたので少し休みたかったけど、迷惑もかけたくなかったし、リタイヤを決めた…

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Les beaux jours d’Aranjuez

アランフエスの麗しき日々(2016)
監督 ヴィム・ヴェンダース
脚本 ペーター・ハントケ

L.アンダーソンとの日々を連想させる歌詞で幕を開ける(出会いはずっとあとのことだけど…)…ひとりの書き手による二人芝居書き手が構想を練っていて、架空の二人にセリフを預けている二人なら何を話すだろうか細かい部分はどうでもいいのかぼんやりした話がダラダラ続く常に唐突で何かが足りない

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채식주의자

菜食主義者(2007)
著 ハン・ガン(韓江)
訳 きむ ふな

暴力とは…
人間特有の歪んだ様相だと思う…
動物の捕食や火山の爆発、津波とは違う…

暴力は文明とともにある…
理性によって作られる…
意味によって作られる…
私によって…

暴力は恩恵と犠牲の構造に関わっている…
恩恵のために犠牲に目を瞑ること…
意味が作り出すもの…

恩恵が恩恵を守ろうとする…
恩恵の連鎖…

人は暴力に頼って生きている…

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Die linkshändige Frau

左利きの女(1977)
著 ペーター・ハントケ
訳 池田香代子

孤独をなぞるような描写が続く…
最後だけ戯曲を思わせる展開になる…
かといって何かが大きく動くわけではない…

仕事とか遊びとか…文明人らしい行為としての…
それは孤独に背を向けることかもしれない…
逃げること…ある意味動力にはなってる…
でも向き合ってはいない

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STOP MAKING SENCE

STOP MAKING SENCE(1984)
監督 ジョナサン・デミ
音楽/出演 トーキングヘッズ

意味は意味を求める…
いつも何かが足りない…
苦しみ、不安、退屈、不便…
それらと共にある…

動物も同じような行動をするかのように見える…
しかしその世界はすべてが答えなのだろう…
動物はゴミを生まない…
理由を持たない充ちた世界…

意味とは歪みであり力…
私であり答えの喪失…
恩恵と犠牲…

人は常に答えを探している…
やめられない…

意味を和らげること…
有用性、道徳からの解放…

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