SHODAI

第9回 Shodai Adventure Mountain – 22km

一年の初めにここで手を合わせることにしてる…昨年は上田瑠偉さんとツーショットを撮らせていただいた…今年は若岡拓也さん…思い切って声をかけて良かった…

昨年11月に帯状疱疹を患い、12月のロードレースを二つスルーしてしまった…年が明ける頃は治ってるつもりだったけど後遺症が残ってしまった…肩を中心に首や腕が痛む…いつまで続くのか…おまけに年明け早々風邪を患ってまだ戻らない感じ…練習できなかったし昨夜は眠れなかったし…とにかく欲張らず冷静に進めることだけ考えた…

案の定序盤から体が重かった…先が思いやられた…それでも今日走れていることが嬉しかった…

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SAUVAGE

食べ食べられることも、助け合うことも、何れも同じことなのだろう…抵抗や悲しみや苦しみもバランスを取るためのもの…バランスとはいえ、それは自然が選択しているだけであって、理由とか役割はあとから発明されているに過ぎない…進化論と同じ…

種も倫理も権利もない…
答えだけがある…
それは野性であり私たちの身体…
心も魂も身体であり答えであり…

植物を食べるのは(私が)穏やかでいられるから…
動物を食べないのは(私が)苦しみたくないから…

悲しい、怖い、汚い、臭い、それが自然ではないだろうか…人は動物を食べたいとは思っていない…もし食べたいのなら、それは経験によって作られたものだ…「食べもの」によるもの…

「代わりのない個」は人や人に近い動物に備わる特性だろう…肉食動物も草食動物も感じている…何らかの役割を見ずにはいられない…そこには答えがある…私たちは「代わりのない個」が消失するとき「死」を感じる…特に私たち人にとって「死」は耐えがたい…

幸いと言うべきか植物には個を感じない…
だから「死」を感じない…
それも答えだ…

人間中心でもなければ、動物中心でもない…
植物を特別扱いするわけでもない…
すべては等価だと言える…
在るものすべては等価だ…
ひとつだ…

では等価でないものとは…
切り取られたもの…
存在しないもの…
バーチャルなもの…

人は答えを失っている…
だから種や倫理や権利が生まれた…

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IRREPLACEABLE Ⅱ

https://www.youtube.com/watch?v=Wr0jBwNGynQ
やらせなのかは分からないが、司会にしろ番組の演出にしろ知見や品が無さすぎる…極めて悪質でありながら、驚くのはコメントも番組よりだということ…最近こういう動画が多いが、これは菜食者が増えていることへの反応と考えていいのだろうか…いずれにしろこういう動画を見て思い知らされるのは、簡単には伝えられないということ…生きているうちに変化があればと切に願う…

https://hitkeas.com/2022/09/24/irreplaceable/
https://hitkeas.com/2023/02/14/this-is-not-freedom-of-thought/
自分の立場は上記リンクに詳しいが、コンパクトに語るなら以下の内容…

 代わりのない存在
 暴力について
Ⅲ 情報について…
Ⅳ 肉食者/菜食者の共存について…
Ⅴ 完璧でないことについて…

️Ⅰ 代わりのない存在…

動物を食べない理由は、人を食べたくない理由と変わらない…「代わりのない個」(詳細)を感じるからだ…だから「同じ命」とか「同じ生物」は関係ないし、客観的線引きもない…牛、豚、鶏などは仮に人と生活を共にするなら、それぞれ互いを他と区別して認識しさらに同じ記憶を共有することもできるように思われる…そういう存在を殺して食べる気にはなれない…食べるなら相応の理由が必要だろう…草花の育たない南極ではアザラシが貴重な栄養源かもしれない…アマゾンの少数部族による狩猟採集は彼らの生きる術だ…災害時にチキンエキス入りのカップ麺しかなければ勿論食べる…だから逆に肉食者に問いたい…なぜ動物を食べるのか…動物を食べるのは最後の手段でありたい…

Ⅱ 暴力について…

暴力とは恩恵のために犠牲に目を瞑ること…人は自分の暴力を知らないか都合よく解釈している…錯覚とは違う…錯覚は本性に準じたものだ…思考は答えを失うことで始まり、恩恵は必ず犠牲を伴い、道徳には嘘が隠れている…

動物のかわいい映像に癒されながら肉を食べ、愛情を込めて育てたという家畜を食肉加工業者に売る…他の星に容易に移住できたらSDG’sはすぐに過去のものになるのだろう…薬で健康維持…原発で生活維持…ミサイルで安全確保…

肥大化した脳は意識(知性)を作り出す…知性は「私(身体が本来持っている自己とは違う)」や「あなた」や「国家」や「お金」を作り出す…それらは所有や損得と結びつき、身体に欲望を植え付け、より便利に、より優位に、より刺激をと際限のないベクトルを作り出す…知性は本性を変容させ、事象を都合よく改変する…

田畑やソーラーパネルも暴力…
すべてを放棄しようという話ではない…
知性を疑うところから始めたい…

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รักที่ขอนแก่น

光りの墓(2015)
監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン

眠っているのは兵士であり、かつての王の影響下にあるらしい…生と死、過去と現在、睡眠と覚醒…すべての境界が曖昧になっている…私たちの住む世界はそういうものなのかもしれない…私たちはバーチャルな世界を生きている…本物が別にあるわけではなく、そもそも認識とは勘違いみたいなものだ…

アピチャッポン監督の映像には独特の緩さがある…多分タルコフスキーのような時間の流れ方なのだろうけど、もっとユーモアがあり、特定の場所に辿り着こうともしない…常に違う位相/レイヤを残している…

タイは今年の総選挙において軍の政治介入にノーを突きつけた…しかし民主派の前進党は連立を作れず、タイ貢献党による親軍連立政権となった…

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INTO THE WILD

荒野へ(1996)
著 ジョン・クラカワー
訳 佐宗 鈴夫

一人の青年の死を追ったドキュメント…結末は最初に記されている…問題はその真意であり著者は丁寧に検証を試みている…青年マッカンドレスに共通するものを感じた…トルストイやソロー…同じ場所にたどり着いている…プラープダー・ユンがスピノザに倣おうとしたことを忘れたわけではないが…

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ध्यानं

デカルトに倣って精神と肉体の二元論で考えてみよう…すると肉体はまるで無表情であるかのように思えてくる…悲しんだり楽しむのは精神の振る舞いなのだと…自分には精神と肉体は不可分であるように思える…むしろ悲しみ喜ぶのは肉体ではないのか…精神とは身体に属する何かであり、心とか魂も同じ括りの何かだ…それらとは違うもの、つまり身体とは違う別の何かがある…知性(とりあえずそう呼ぶ)は見たり聞いたり悲しんだり喜んだりはしない…無表情だ…それはバーチャルなものを生産する装置…

知性は「私」とともにある…それは身体に備わる自己ではない…身体は常に周囲と引き合っている…「私」は引き裂く…「私」は「死」とともにある…「死」とはバーチャルの属性…「私」が消えるとき「死」も離れていく…

巷では瞑想とかマインドフルネスが流行っているようで、安っぽさに拍車がかかっている…Thích Nhất Hạnh が google 本社で伝えたかったこと、それは本意とは違う方向に向かっているように思えてならない…

心を無にすると言う…そうだろうか? 無にするのは「私」ではないだろうか…おそらく裸の心は完全なのだと思う…「私」が目隠しをしている…閉じ込めている…

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