ジャズは黒人音楽だと言われ、本国アメリカで受け入れられず、ヨーロッパが受け皿になっていた…ECMはアーティストを繋いだ…ラルフ・タウナーも北欧のジャズメンと演奏した…学生時代、僕が聴いていたのは「SOLSTICE」だった…パット・メセニーがグラミー賞を受賞した頃、ラルフ・タウナーはどれだけ聴かれたのだろうか…
Ralph Towner(1940-2026)
ジャズは黒人音楽だと言われ、本国アメリカで受け入れられず、ヨーロッパが受け皿になっていた…ECMはアーティストを繋いだ…ラルフ・タウナーも北欧のジャズメンと演奏した…学生時代、僕が聴いていたのは「SOLSTICE」だった…パット・メセニーがグラミー賞を受賞した頃、ラルフ・タウナーはどれだけ聴かれたのだろうか…
Ralph Towner(1940-2026)
ジャームッシュが推していたので観たのが最初だった…
『ニーチェの馬』は強烈な体験だった…
https://tashkie.com/2017/09/04/a-torinoi-lo
昨年ラースローが賞を取り、過去の作品が注目を集めていた…
大晦日に『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を観て年越しをしたばかりだった…
https://tashkie.com/2025/12/31/werckmeister-harmoniak
https://news.yahoo.co.jp/articles/d99f8d485221dcb06308408bf2538ddafdf4a2c9
Tarr Béla(1955-2026)
ヴェルクマイスター・ハーモニー(2000)
監督 タル・ベーラ
原作/脚本 クラスナホルカイ・ラースロー
人は種を取り、植物のコピーを作った…
分子構造に手を加え、プラスチックを作った…
オクターブを等分割し、自由に転調できるようにした…
恩恵の陰で何かが犠牲になっている…
無理をしている…
不和が生じる…
さらに恩恵と犠牲が上書きされる…
鈍くなる…
鎮まらない…
環らない…
たぶん悪魔が(1977)
監督 ロベール・ブレッソン
誰もが解決しようとする…
しかし国家も宗教も技術も恋愛も役に立たない…
それでは何も変わらない…
加害者は誰なのか…
鈍感であることは、日々を過ごすテクニックだ…
彼は為そうとしない…
彼は社会に消されたのだろう…
野性の実践(1990)
著 ゲーリー・スナイダー
訳 原 成吉、重松宗育
スナイダーを読むことは意義がある…
ケルアックやギンズバーグ、バロウズと共に生きたこと…
またおそらくソローの系譜にいること…
京都で禅の修行をしたこと…
鹿児島(諏訪之瀬島)で暮らしたこと…
学者ではなく詩人であること、そして存命だということ…
スナイダーは今年95歳を迎えた…
まだまだ響き合えない部分もある…
遠く及ばない…
とはいえ、何か同じ道を歩いているような気がしてくる…
神は死んだというけれど、私たちはおそらく神から逃げられない…
だから野性の実践が必要なのだと思う…
第9章 サバイバルと祈り
第8章 クマと結婚した娘
第7章 道を離れて道を行く
第6章 極西の原生林
第5章 青山はいつも歩いている
第4章 良き土地、野生の土地、神聖な土地
第3章 自然の知恵
第2章 「場所」に生きる 1/2、2/2
第1章 野性の教え
大きな鳥にさらわれないよう(2016)
著 川上 弘美
装画 nakaban
偶然同時に読んでいた『タネが危ない』(著:野口勲)と驚くほどリンクしていた…
クローン工場はメンデルの法則を利用したF1種(交雑種)を連想させる…
人間を地域ごとに隔離することは、固定種を維持する発想と重なる…
おまけに野口さんが携わった手塚作品も”大きな鳥”だ…
人工知能は答えに辿りつけない…
なぜなら知的認識とは「対象化」であり、答えからの「逸れ」だから…
知性が作り出すのはバーチャルな世界だ…
意味の世界のこと…
人の身体は意識(知性)を得て混乱した…
生のさまざまな姿は「私」や「欲望」や「孤独」へと変異した…
抑制や節度を失う時(ある意味神の不在によって)、バーチャルは暴走する…
知によって、人は依存症を患い、暴力装置と化す…
人工知能とは、知性が独立したものではないだろうか…
しかし人工知能は生(身体)を持たない…
動機を持たない、命令によって演算する装置に過ぎない…
人工知能に「私」や「欲望」や「孤独」は可能だろうか…
知の暴走はずっと前に始まっている…
タネが危ない(2011)
著 野口 勲
野生に損得はない…
すべてが分け合い、満ちている…
だからゴミも富も権力も生まれない…
でも私たちは恩恵を得るために何かを奪う…
それは歪みであり力…少なくとも私たちにとっての…
そして私たちは恩恵に正解を見てしまう…
海を汚すように自らを壊しているのに…
すべては自然の摂理なのだろう…
私たちは自然を破壊することができるわけではない…
ただ、人は自身の生きにくさへと自ら舵を切る…
自然と対のものがあるとするなら、それは知性が見せてくれるものだ…
何の抑制も節度もないとき、知性は必ず暴走へと誘う…
知性とは、本来ひとつのものを、切り取ったり、抽出したり、写したりする…
それら対象化は「逸れ」であり、答えを失うことに等しい…
人は知性によって分からなくなる…
そもそも畑で作物を育てることや、種を収穫して同種のものを育てることは、他の動物では為しえない知的作業であり、クローンを作る技術以外の何ものでもない…F1種とか雄性不稔がダメという話ではなく、それらを優先/奨励する流れが問題なのだろう…畑や道路を作ることが既に「逸れ」ていることを忘れたくない…危機感こそ必要なのだと思う…私たちは自分たちが何者なのかをもっと知るべきだ…
中和することの弊害も考えたい…無化、中和、矮小化、火消しの危険性…尖った部分を丸くする、極端な偏りを無くす、そういう作業は人にとって必要なものだろう…賢者の言葉を借りるなら「中庸」「中道」になるのかもしれない…それらは私たちの認識能力つまり「切り取る」ことへの警鐘なのだと思う…個々は個々であるだけに中和できてしまう…ただそのとき、問題のすり替えが行われたり、大きな流れを見失うこともある…「従うべき知り得ないもの」をいつも意識していたい…
ハッピーアワー(2015)
監督 濱口 竜介
夏に見たいと思ってた…
夏はどういうわけか古い記憶がよぎる…
まだ若く友人も多いときの記憶…
人を観たかった…
飢えてるのかもしれない…
期待通り、みんな一筋縄ではなかった…
みんな愛おしく感じた…
人は弱いし足りないし…
正解もない、だから…
強がるしかないし、勘違いするしかない…
すぐそばにある物語だ…
なにげに日常の検証を迫られる…
観終えると、少し優しくなれるのかもしれない…
ストーナー(1965)
著 ジョン・ウィリアムズ
訳 東江 一紀
・・・
人は人生が終わることを理解していても受け入れることができない…
そんな風に見える…
生きているというより、生きることに抵抗しているかのようだ…
死を遠ざけることは生を否定している…
そうやって人生は作られる…
人生とは抵抗の軌跡だ…
そして何も分からず、何も解決しないまま終わっていく…
・・・
特別な話ではない…
ただ、精緻でリアルな描写のせいもあり、気づけば引き込まれていた…
作者は自身とストーナーを重ねているように思えた…
ジョン・ウィリアムズは遺書を書いたのかもしれない…
過ごした世界に対する独白…
訳者の東江一紀さんは2014年に癌で亡くなっている…
同年「ストーナー」は刊行され、2015年に第一回日本翻訳大賞(読者賞)を受賞…
「ストーナー」は東江さんの最後の仕事であり、亡くなられたあとの受賞だった…
東江さんもまた、自身を重ねていたのだと思う…