DÉSIR

動物の世界に競争はない…動物、植物、鉱物、大気、海洋…それらは野性の摂理を体現しているに過ぎない…人はいつからか野性から逸脱した恩恵の奴隷となり、相応の犠牲を生産するようになった…

競争は「私」が生まれたことに起因する…肥大化した脳は「私」を作った…それは身体に備わる自己ではない…つまり動物の反応とか縄張りを語るときの自己ではない…「私」は他者との間に差異を認め、損得や優劣を感じ取る…所有や権利や道徳が生まれる…

私たちは答えを失くした動物だ…バーチャルな世界を生きている…答えではなく意味を求めている…より優位に、より便利に、より刺激を…最初は極めてゆっくり且つ希少なものだった…しかしその中で今日の競争社会の準備は進んでいたのだろう…

違う道を歩んだ人たちもいる…現存する少数部族やネイティブ・アメリカンなど…ただ、いま彼らは西洋の影響の中にあり、すでに屈してしまったケースも多く見られる…西洋は「私」が主導権を握った文明だ…周りのものを飲み込む力を持っている…その強さは暴力の本質でありハラスメントなどと同種のものだ…

競争社会は是だと考えるのは当然のことだろうか…人社会は恩恵と犠牲を作り出す…蛇口を撚れば水が出るということは、何かを犠牲にしているということ…再生可能エネルギーも例外ではない…人類が少数だったころは問題ではなかったかもしれない…しかし今分岐点にいることは否定できないだろう…争い、ストレス、貧困、差別、病気、ゴミ、環境破壊…自分の或いは誰かの首を絞めている…

だからこそ必要なものがある…それは何らかの節制に関わるものだ…規律かもしれないし、教訓かもしれないし、神話かもしれない…仏教やネイティブ・アメリカンの世界にあったもの…

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Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

▪️第1章 野性の教え

「コヨーテとジリスは、互いの協定、つまり<狩るもの−狩られるもの>の関係を破ることはない。…我々は生命や世界を形作る「力」の恩恵にあずかっているのだ。…だから人間に対してはもちろんのこと、すべて生あるものに対して無益な殺生をすべきではない。…これは野生の教えである。…我々の仕事が困難を究めたとしても、少なくとも私は、これまでどおり野性のために働きたい。」(p18)

「我々の肉体は野生である。…意識的に予定を立てたりする自我(エゴ)が占める領域はごくわずかなものだ。それは精神の入り口近くにあって出入りを監視する小さな部屋、それ以外の精神の領域は自我の世話にはならない。肉体は、いわば精神の中にある。どちらも野性だ。」(p40-41)

精神と肉体は不可分であり野性であり完全なもの…分つものとは、人特有の「知性」であり人特有の「私」なのだと思う…

「一体だれが『精神』は、思想、見解、観念、概念のことだと言ったのだ。精神とは木であり、門柱であり、瓦であり、草のことである。」(p46)*道元の言葉の引用

https://hitkeas.com/2024/01/13/sauvage/
https://hitkeas.com/2023/12/08/ध्यानं/

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SAUVAGE

食べ食べられることも、助け合うことも、何れも同じことなのだろう…抵抗や悲しみや苦しみもバランスを取るためのもの…バランスとはいえ、それは自然が選択しているだけであって、理由とか役割はあとから発明されているに過ぎない…進化論と同じ…

種も倫理も権利もない…
答えだけがある…
それは野性であり私たちの身体…
心も魂も身体であり答えであり…

植物を食べるのは(私が)穏やかでいられるから…
動物を食べないのは(私が)苦しみたくないから…

悲しい、怖い、汚い、臭い、それが自然ではないだろうか…人は動物を食べたいとは思っていない…もし食べたいのなら、それは経験によって作られたものだ…「食べもの」によるもの…

「代わりのない個」は人や人に近い動物に備わる特性だろう…肉食動物も草食動物も感じている…何らかの役割を見ずにはいられない…そこには答えがある…私たちは「代わりのない個」が消失するとき「死」を感じる…特に私たち人にとって「死」は耐えがたい…

幸いと言うべきか植物には個を感じない…
だから「死」を感じない…
それも答えだ…

人間中心でもなければ、動物中心でもない…
植物を特別扱いするわけでもない…
すべては等価だと言える…
在るものすべては等価だ…
ひとつだ…

では等価でないものとは…
切り取られたもの…
存在しないもの…
バーチャルなもの…

人は答えを失っている…
だから種や倫理や権利が生まれた…

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IRREPLACEABLE Ⅱ

https://www.youtube.com/watch?v=Wr0jBwNGynQ
やらせなのかは分からないが、司会にしろ番組の演出にしろ知見や品が無さすぎる…極めて悪質でありながら、驚くのはコメントも番組よりだということ…最近こういう動画が多いが、これは菜食者が増えていることへの反応と考えていいのだろうか…いずれにしろこういう動画を見て思い知らされるのは、簡単には伝えられないということ…生きているうちに変化があればと切に願う…

https://hitkeas.com/2022/09/24/irreplaceable/
https://hitkeas.com/2023/02/14/this-is-not-freedom-of-thought/
自分の立場は上記リンクに詳しいが、コンパクトに語るなら以下の内容…

 代わりのない存在
 暴力について
Ⅲ 情報について…
Ⅳ 肉食者/菜食者の共存について…
Ⅴ 完璧でないことについて…

️Ⅰ 代わりのない存在…

動物を食べない理由は、人を食べたくない理由と変わらない…「代わりのない個」(詳細)を感じるからだ…だから「同じ命」とか「同じ生物」は関係ないし、客観的線引きもない…牛、豚、鶏などは仮に人と生活を共にするなら、それぞれ互いを他と区別して認識しさらに同じ記憶を共有することもできるように思われる…そういう存在を殺して食べる気にはなれない…食べるなら相応の理由が必要だろう…草花の育たない南極ではアザラシが貴重な栄養源かもしれない…アマゾンの少数部族による狩猟採集は彼らの生きる術だ…災害時にチキンエキス入りのカップ麺しかなければ勿論食べる…だから逆に肉食者に問いたい…なぜ動物を食べるのか…動物を食べるのは最後の手段でありたい…

Ⅱ 暴力について…

暴力とは恩恵のために犠牲に目を瞑ること…人は自分の暴力を知らないか都合よく解釈している…錯覚とは違う…錯覚は本性に準じたものだ…思考は答えを失うことで始まり、恩恵は必ず犠牲を伴い、道徳には嘘が隠れている…

動物のかわいい映像に癒されながら肉を食べ、愛情を込めて育てたという家畜を食肉加工業者に売る…他の星に容易に移住できたらSDG’sはすぐに過去のものになるのだろう…薬で健康維持…原発で生活維持…ミサイルで安全確保…

肥大化した脳は意識(知性)を作り出す…知性は「私(身体が本来持っている自己とは違う)」や「あなた」や「国家」や「お金」を作り出す…それらは所有や損得と結びつき、身体に欲望を植え付け、より便利に、より優位に、より刺激をと際限のないベクトルを作り出す…知性は本性を変容させ、事象を都合よく改変する…

田畑やソーラーパネルも暴力…
すべてを放棄しようという話ではない…
知性を疑うところから始めたい…

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ध्यानं

デカルトに倣って精神と肉体の二元論で考えてみよう…すると肉体はまるで無表情であるかのように思えてくる…悲しんだり楽しむのは精神の振る舞いなのだと…自分には精神と肉体は不可分であるように思える…むしろ悲しみ喜ぶのは肉体ではないのか…精神とは身体に属する何かであり、心とか魂も同じ括りの何かだ…それらとは違うもの、つまり身体とは違う別の何かがある…知性(とりあえずそう呼ぶ)は見たり聞いたり悲しんだり喜んだりはしない…無表情だ…それはバーチャルなものを生産する装置…

知性は「私」とともにある…それは身体に備わる自己ではない…身体は常に周囲と引き合っている…「私」は引き裂く…「私」は「死」とともにある…「死」とはバーチャルの属性…「私」が消えるとき「死」も離れていく…

巷では瞑想とかマインドフルネスが流行っているようで、安っぽさに拍車がかかっている…Thích Nhất Hạnh が google 本社で伝えたかったこと、それは本意とは違う方向に向かっているように思えてならない…

心を無にすると言う…そうだろうか? 無にするのは「私」ではないだろうか…おそらく裸の心は完全なのだと思う…「私」が目隠しをしている…閉じ込めている…

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Alex Honnold

画像引用元

FREE SOLO(2018)
監督 Elizabeth Chai Vasarhelyi、Jimmy Chin
出演 Alex Honnold

いつ死んでもおかしくない…チャレンジして死ぬなら、それは理想の死に方なのかもしれない…オノルドは登ることで「生」を実感できると言っている…

オノルドは菜食者だ…長い車上生活をきっかけに菜食をするようになったらしい…食肉の環境負荷の高さへの言及も見られる…以下はオノルドが推薦する映画と本…いずれもココで取り上げている…
Game Changers
Cowspiracy
Eating Animals

低所得世帯への太陽光パネル支援も…
ソーラーパネルに問題がないわけではないが、低所得世帯への提供で救われる人がいるのは確かだ…
https://www.honnoldfoundation.org

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フランドン農学校の豚

フランドン農学校の豚(1934)
著 宮沢賢治
画 nakaban

「個」を描いた物語なのだと思う…擬人化しているが、それは私たちが豚に感じることのできる「個」の姿…植物や菌などには感じることができないもの…代わりのないもの…

それは人だけが感じるものではなく、動物たちも持っている感覚ではないだろうか…つまり身体に属するもの…人に特有の「私」が感じているものではない…倫理とか道徳とかモラルの類ではない…

倫理、道徳、モラル…それらは自分や他者に課すこと或いは要求することだ…無償のものではない…損得が善悪を装ったもの…一定の集団が維持されるとき、構成員の中に育つもの…

否定ではない…
受け入れること…
そこから始めたい…
解決しようとか、そういう話ではない…
どう折り合いをつけたらいいのかという話…

私たちは、
100%加害者であり…
100%無実であり…
100%違う選択ができる…

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Genocide

Palestinian Lives Matter Too: Jewish Scholar Judith Butler Condemns Israel’s “Genocide” in Gaza

身体はおそらく知らない…
ガザで何が起こっているのか…
屠殺場で何が起こっているのか…
だから都合よく振る舞える…
暴力…

ふと身体に届くこともある…
そのとき考えたい…
その機会を逃してほしくない…
気づいて欲しい…

1948年当時のハンナ・アレントの言葉…
「イスラエルがユダヤ人の主権というものに基づいて建国されたことはひどい間違いだ。数十年にわたる軍事的対立を引き起こすに違いない。」

9.11が甦る…

https://note.com/bashir/n/n78fb1d686563

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TALK

話すこと…
それは時代や環境と接点を持つこと…
バーチャルな世界と接点を持つこと…

連れていかれる…

一人で考えること…
それは少しだけ距離を置くこと…
少しだけ意味をほどくことができるのかもしれない…

それは書くこと、読むこと…

絶つこと…
それはありのままとの接点を持つこと…
意味が消滅した世界と接点をもつこと…

怖い? それとも…

話さずに生きることは難しい…
暴力を放棄することは難しい…
恩恵と犠牲の中で生きるしかない?

私たちには別の姿がある…
別の本性がある…
いつもその本性とともにいる…

だから走りたくなる…
だから動物を食べる気になれない…

また話す?
それで何が解決できる?

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