Lucy Bartholomew

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自然を舞台とするアスリートに菜食者は多い…確かにきっかけは様々だが、その多くが、継続する中での洞察と発見を経て、新たな視野を手に入れているように思える…ルーシー・バーソロミューもそういうアスリートの一人だ…

NOURISHMAGAZINE

Q:WHAT MOTIVATED YOU TO EXPLORE VEGANISM/PLANT-BASED LIVING?
Lucy:I would say curiosity led me down the path of veganism. It started with more of a feeling of challenge, to chase the health benefits that come from eating a more plant-based diet. What has kept me in the lifestyle is the learning and understanding I gain from listening and reading. It no longer is a challenge but more about taking pride in the choices I make that not only affect my body but also the environment and the animals

Q:ヴィーガン/植物性中心の生活を探求しようと思ったきっかけは何ですか?
ルーシー:好奇心が私をヴィーガニズムの道へと導いたと言えます。最初は挑戦的な気持ちから始まり、より植物性中心の食事から得られる健康効果を追い求めたのです。このライフスタイルを続ける原動力は、耳を傾け、読書を通じて得られる学びと理解です。もはや挑戦ではなく、自分の選択が身体だけでなく環境や動物にも影響を与えることに誇りを持つことへと変わりました。

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Claude Lévi-Strauss

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野生の思考とは、神や自然への恐れや敬意を失っていない思考のことだと思っている…サルトルの示した人間とは、西洋人であり、神が死んだ後の科学的思考による人間だった…サルトルの言う「自由」はよく理解できる…それは「答えを失くした」ことと同義だと思うから…ただそれを、政治参加を含め、個人の道徳の話に昇華させるような論調には強い違和感しかない…サルトルは神の死後もまだ人間(西洋=科学的思考)を信じていた…レヴィ=ストロースはそういうサルトルを戒めたのではないだろうか…以下はレヴィ=ストロースの菜食に関する言葉…

In the 1980s, he discussed why he became vegetarian in pieces published in Italian daily newspaper La Repubblica and other publications anthologized in the posthumous book Nous sommes tous des cannibales (2013):
A day will come when the thought that to feed themselves, men of the past raised and massacred living beings and complacently exposed their shredded flesh in displays shall no doubt inspire the same repulsion as that of the travelers of the 16th and 17th century facing cannibal meals of savage American primitives in America, Oceania, Asia or Africa

1980年代、彼はイタリアの日刊紙『ラ・レプッブリカ』やその他の出版物に連載した記事で、菜食主義者になった理由について論じている。これらの記事は死後出版された『我々は皆、人食いである』(2013年)に収録されている:
やがて来るであろうその日には、自らの糧を得るために、過去の人間が生き物を飼育し虐殺し、その引き裂かれた肉を平然と陳列していたという考えは、16世紀や17世紀の旅行者たちがアメリカ、オセアニア、アジア、アフリカの野蛮なアメリカ先住民の食人族の食事を目の当たりにした時と同じ嫌悪感を、間違いなく呼び起こすだろう。

https://navymule9.sakura.ne.jp/Levi-Strauss.html

▪️火炙りにされたサンタクロース

▪️われらみな食人種/狂牛病の教訓

▪️神話的思考と科学的思考

DAVID SYLVIAN

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シルヴィアンは特別な存在だ…
『ブリキの太鼓』の音とアートワークに深く魅了されたことを思いだす…
まだ10代だった…今でもお手本であり憧れであり続けている…

以下シルヴィアンのインタビュー記事…
動物に関する部分を一部抜粋し、DeepLの和訳(一部修正)を並べた…
2005年なので『BLEMISH』のあとぐらいだろうか…
http://davidsylvian.net/

interviewer : I believe one can tell a lot from a person by the way they relate to animals. (I do of course, consider humans to be animals also). My relationship with nature seems apart from my relationships with society and people in general. When I relate to an animal, something divine seems almost instantly accessible to me. What is your relationship to animals in general and do you have any pets yourself?

インタビュアー:人は動物とどう関わるかで、その人物について多くのことがわかると思う(もちろん、人間も動物の一種だと考えている)。私の自然との関わりは、社会や人々との一般的な関係とは別物のように感じられる。動物と関わる時、神聖な何かが瞬時に手の届くところにあるように思える。あなたは一般的に動物とどんな関係を持っていますか?また、ご自身でペットを飼っていますか?

Sylvian : Ive always felt a great affinity with dogs (born the year of the dog) but have only ever lived with one, the family pet, whilst growing up. Since then its been cats. Ive never chosen to own a pet myself but either my partners have had pets or, as is the case now, my children. Since having children I find it harder to connect with household pets the way I once did. Larger animals still manage to make an impression and yes, can convey the presence of the divine in a very tangible way. Animals sometimes make appearances in the garden and always, always, feel purposeful in the presence. Deer, Bears, Coyotes, Pheasants, Porcupines.. We live where there are a number of predators and not far from a busy road so a number of the cats we have owned have disappeared. Its either the coyotes, the Bears, of the mysterious fisher cats. The children have begun to take their losses as just a part of life here in the wild although they do grieve them when they go.

シルヴィアン:犬には昔から強い親近感を抱いてきました(戌年生まれだから)。でも子供の頃、家族で飼っていた一匹と暮らしただけです。それ以降は猫ばかりです。自分でペットを飼おうと思ったことは一度もありません。パートナーが飼っていたか、今のように子供たちが飼っているかのどちらかです。子供が生まれてからは、かつてのようにペットと心を通わせるのが難しくなりました。それでも大型動物には強い影響を受けています。確かに、神聖な存在を非常に具体的な形で感じさせてくれるのです。庭に動物が現れることがあり、その存在は常に、常に、目的を持って感じられます。鹿、熊、コヨーテ、キジ、ヤマアラシ… 我々の住む地域には多くの捕食者が生息し、交通量の多い道路からも遠くないため、飼っていた猫の多くが姿を消しました。コヨーテか、熊か、あるいは謎めいたフィッシャーキャットの仕業でしょう。子供たちは、去った猫たちを悲しむことはあっても、野生の世界での生活の一部としてその喪失を受け入れ始めています。

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Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

▪️第9章 サバイバルと祈り

いますぐなすべきこと、そして戦うべき相手は、ほかならぬ自分自身の中にある。大地の女神、ガイアが、人間からの祈りや慰労を大いに必要としていると考えるのは、傲慢というものだ。危機に瀕しているのは、ほかならぬ人間自身である。それは、ただ文明のサバイバルなどといった次元ではなく、もっと本質的な、精神と魂の次元の話なのだ。人間は自分たちの魂を失ってしまう危険に直面しているのだ。我々は、自分自身の本性に無知で、人間であることが何を意味するのかについて混乱している。本書の大部分は、人間たちがどんな存在であったか、何をしてきたか、そして、かつて人間がもっていた、したたかな生きる知恵を思い起こさせるために書かれたものだ。アーシュラ・ル・グィンの『いつも家路に』本物の教えの本のように、本書は、人間であることとは何かについての瞑想である。氷河期から1万2千年後と、これからの1万2千年のあいだの、現在のこの時間だけが、人間に与えられたささやかな領分なのだ。このふたつの万年のあいだに、人間が、相互に、また世界とともに、いかに生きたかによって裁かれ、また自らを裁くことになるだろう。もし人間が、何かの目的をもってここにいるとしたら、それは人間を除く自然界をもてなすことだ、と私は思う。霊長類のセクシーな道化役者の一群。人間たちが、いい気分で何か音楽を演奏しようという気になれば、小さな生き物たちがみんな、耳を澄ませて近寄ってくるのだ。p323-324

現代人は、もはや狩りをする必要がなくなったが、多くの人々は肉なしではおれない。また、先進国では食料の種類が豊富に出回っており、肉を食べないことも簡単に選択できる。アメリカ市場用の肉牛を飼育する牧場をつくるため、熱帯地方の森林が伐採されている。口にする食べ物の生産される場所が遠く離れたので、表面的には気楽に食べられるが、明らかにその分だけ我々はさらに無知になってしまったものを食べることは、宗教儀式である。お祈りを唱えることにより、自分の心を清め、子供達を裁き、客を歓迎する。みんな同時だ。卵を、リンゴを、そしてシチューを見る。それは豊かさの証、過分の証、大変な再生産の証である。何百万もの植物の種子、それが米や粉に変わる。フライになった何百万ものタラは、決して成熟の時を迎えることもなく、また決して迎えない運命にあったのだ。無数の小さな種子は、食物連鎖における犠牲である。地中のパースニップの根は、いわば生きた科学の神秘であり、大地と空気と水から、砂糖分と風味を生み出す、もし肉を食べるとすれば、それは、ピンと立った耳と可愛い目をした、また頑丈な足と脈打つ大きな心臓をもつ注意深く大きな生き物の、その生命、飛び跳ね、ヒュッと飛び回る動き、それを食べているのだ。この事実をごまかすのはやめよう我々自身もまた、捧げ物になるのだろう。この身体はどこも食べ物なのだ。たとえ一気に飲み込めなくても、人間の身体は、小さな生物たちが、長い時間をかけ、ゆっくり食事をとるだけの大きさは充分にある。大洋の海底、数キロの深さに沈んだクジラの死体は、一五年にわたり、暗黒の世界の生き物たちに食料を提供するのだ。(p335-336

祈りのためには、自分の伝統の中から選んだ言葉が使える。さもなければ、自己流の言葉を作ればいい。何かの祈りを唱えるのに、不適切なことは決してなく、会話や宣言をそこに付け加えていい。こうした簡単で日常的で、昔ながらの、小さな行為こそ、我々を先祖全体に結びつけてくれるものなのだ。p337

Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

▪️第8章 クマと結婚した娘

共存にはルールとマナーが必要だ
それを支えるのは、畏敬の念や無力の自覚ではないだろうか
それらが失われるとき、ルールは破られる
私たちは被害者になる前に加害者となる

私たちは国境を引いた
山も海も空も、誰かの所有となった
すべては人のものであるかのように

農薬で土壌は死に、やがて川や海を汚す
同時に腸内は必要な細菌を失う

固い道路や建物で地表は光を失い、
さらに皮肉にも太陽光パネルで光を失う

人は動物ではなく肉を食べるようになった
毎日圧倒する量を笑いながら食べている

動植物は自らの命でさえ分け合う
人は与えることなく奪おうとする
だからゴミや争いや病気が生まれる

そして今日もまた除草剤が使われる

食べられることと…

私たち生き物は生き物を食べて生きている…
人間も、本来食べられる存在なのだろう…
すべてはそうやって環っている…

動物たちは襲う、逃げる…
彼らは唯一の手段を生きている…
答えを体現している…
彼らに死は訪れない…

死とは、人の発明品だ…
私たちは生を否定する…
食べられること、分解されることを否定する…
生き方を忘れてしまった…

人は動物を食べたいのだろうか…

人を食べたくない…
犬や猫を食べたくない…
牛や豚や鳥を食べたくない…

彼らはきっと私を私として認識できる…
私も彼を彼として認識できる…
同じ記憶を共有することもできる…

私たち人間や彼ら動物には主人を感じる…
代わりはありえない…

食べるのは最後の手段でありたい…
そのわりに人は、毎日圧倒される量を食べている…
笑いながら…

Emelie Forsberg

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肉を食べないのは、動物を食べたくないから…同語反復のようだが、閉ざされた感覚を問うている…エミリー・フォースバーグも菜食者だが、その理由は極めて簡単なのだと思う…素朴で澄んだ感覚/感情があるだけ…そこから見えてくる景色がある…あとはそれぞれの環境に見合った優先順位を考えればいい…理屈はあとからついてくるもの…絶対的な答えがあるとは思わない…まずは感覚を解放したい…文明/知性による暴力を解きたい…

Emelie Forsberg Blog:VEGAN
*日付が間違っているようだ…

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私たちの正解

豊かさは搾取によって、
善は脅迫によって、
健康は薬によって、
平和は武器によって保たれる…
野生にはないもの…
野性ではないもの…

一種の正解を見せてくれるもの…
正解とは何だろうか…

知性が歪みを作り、
歪みが私を作り、
私が欲望を作る…
所有、利便、優位、快楽の始まり…
身体(環境)破壊…

海の異常と身体の異常は同じもの…
ゴミとストレスは同じもの…

豊かさ、善、健康、平和は、
ゴミ、貧困、病、争い、嘘と共にある…

鈍化、洗脳、依存…
正解を正解に導くもの…
普通、常識を作り出すもの…

生きやすくするために、鈍くならないといけない…
そのためのスキル/知恵/武器/薬を持たないといけない…
鈍化という適応は、力の肯定、犠牲の許容を意味している…

人口爆発…
近視、腰痛、かかと着地…
癌、心臓病…
ゴミ、森林破壊…
工場式畜産、大規模漁業…
ストレス、ADHD、SAD…
貧困、差別…
正解によって軽視されるもの…

私たちは加害者でもある…

富、善、健康、平和、便利、勝利…
恋愛、美食、エロ、酒、タバコ、麻薬…
SNS、ゲーム、ギャンブル…
ブランド、アイドル…
現代のスポーツ、現代のアート…
すべて同じもの…
様々な依存の形…

神が無力になってから、私たちは知性を信仰するようになった…
私たちは生き方を忘れているような気がする…

Tilda Swinton

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もう5年経ったらしい…Derek Jarman が晩年過ごしたコテージの存続プロジェクトにほんの少しだけ協力させてもらった…恥ずかしながら、海と言葉を超えて関われたことは素直に嬉しい…Tilda Swinton の呼びかけだった…
https://tashkie.com/2020/01/26/prospect-cottage/
Celebrating five years of Prospect Cottage in public ownership

The ‘Okja’ Interview: Tilda Swinton on Learning from Her Children, Four-Legged Wisdom and Cinematic Friendships

Are you personally a vegetarian?
Swinton: I don’t really eat meat. But I will say that I live in a place where it’s very easy to find wild meat and meat that you know where it came from, how it was killed. So if I eat meat I know it’s wild, but I’m privileged to live where I do and it’s very very difficult to do if you live in cities. And more so if you are dealing with a tight budget. As Nancy [Lucy Mirando’s sister] says in the film, “if it’s cheap, they’ll eat it.” And we are up against that.

あなたはベジタリアンですか?
スウィントン:私はあまり肉を食べません。でも、私が住んでいる場所は、野生の肉なのか、どこから来たのか、どのように殺されたのかが容易に分かる環境です。だから、もし肉を食べるとしてもそれが野生の肉だと分かっているし、それだけ私は恵まれた場所に住んでいますが、都会に住んでいればとても難しいことでしょう。予算が厳しい場合はなおさらです。映画の中でナンシー(ルーシー・ミランドの妹)が言うように、「安ければ、みんな食べる」のです。私たちはそれに立ち向かっています。

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