ミート・イズ・マーダー(1985)
THE SMITHS
菜食は健康にいいとか…
環境にやさしいとか…
どれも本質じゃない…
痛み苦しむからとか…
それも本質ではない…
ミート・イズ・マーダー(1985)
THE SMITHS
菜食は健康にいいとか…
環境にやさしいとか…
どれも本質じゃない…
痛み苦しむからとか…
それも本質ではない…
David Hockney
That’s the Way I See it
☘︎「この機械がどのように絵を複写するかが分かったので、それに合わせて絵をかいた…」(p11)
☘︎「コピーとは翻訳であり…そのひとつひとつが微妙に違っている…」(p12)
例えばクラシックの演奏などはわかりやすい翻訳…しかし現代アートの多くはコピーによってオリジナルそのものが量産されていると考えるべきかもしれない…例えばCDや配信で聴くデータとしての音楽…オリジナルがコピーを前提としている…コピー技術が作るオリジナル…それを逆手にとったのがウォーホル等のポップアートだった…
THE LIVES OF ANIMALS
J. M. Coetzee
The Poets and the Animals
リルケは彪を描写することで、そこに自分の姿を見ている…コステロが対置させるテッド・ヒューズの詩は残念ながら参照できていないが、コステロによるとヒューズは旧石器時代の猟師が見ていた目で動物(ここではジャガー)を見ているらしい…ラスコーの壁画を描いた彼らの眼のことだろう…ヒューズの詩はバタイユの言う「供儀」に近いものなのかもしれない…ヒューズは現代において失われたその原始性を賛美し、抽象的(西洋的)思考を否定する…
THE LIVES OF ANIMALS
J. M. Coetzee
The Philosophers and the Animals
コステロはクッツェーの分身なのだと思う…
何かを欠いた分身…何かに特化した分身…
クッツェーはある意味ずるい…
ノーマが言うようにコステロの話はまとまりに欠ける…
しかしおそらくそれには理由がある…
コステロは理性を警戒している…
Animal Rights: Current Debates and New Directions
Cora Diamond
Eating Meat and Eating People
バタイユの動物性(或いは内在性)という概念に倣うと、動物同士が食べて食べられることはそこに優劣があるわけではなく死さえ悲しむことではない…動物が殺されたり食べられたりすることが問題になるのは、人間との関係においてのみ…人間だけは食べるものを選択している…
✢ 供儀、祝祭および聖なる世界の諸原則
供犠の原理は破壊であり、生贄によって破壊したいと願うのはただ「事物」のみである…供犠は物=客体を従属関係へと縛り付けている現実的な絆を破壊する…つまり生贄を有用性の世界から気まぐれの世界へ引き戻す…
人間は現実を基礎付けている諸価値を破壊することと、受け入れることを同時に行うことはできない…内在的な内奧性へと回帰することは、当然の帰結として意識が朦朧と曇ることを含んでいる…意識とは客体があるところに位置付けられている…
✢ 人間性と俗なる世界の形成
道具は水が水の中にある世界のうちに外部性を導き入れる…それは連続性における中断であり、<物=客体>をそれとして位置付ける…道具の出現によって、その目的は有用性の面の上に与えられ、それはもはや<真の目的=究極>ではない…
人間は<物=客体>を定置することによって現れた面の上に、本来認識しえない連続性の中の諸要素を少なくとも外見上は明晰に位置付けることが可能になる…それは自分自身を外から一個の他者として統覚することをも意味する…
『宗教の理論』に沿ってバタイユを辿ってみる…
✢ 動物性
動物性とは直接=無媒介=即時性であり、内在性である…内在性としてあるということは、同類を食べるということ…ある動物が他の動物を食べる…そこには対立や区別や優劣があるわけではない…区別には客体の定置が必要だ…動物は世界の内に、水が水の中にあるように存在している
菜食への疑問に答える13章
著 シェリー・F・コーブ
訳 井上 太一
◼️Q13 – 完璧な菜食人にはなれないんだから、こだわらなくてもいいんじゃない?
この章も自分の率直な思いを…
肉食者は一部を取り上げて全否定に結びつける傾向がある(自分もそうだった…)…
逆にヴィーガンも完全を求める傾向があるのだけど…
◼️Q11 – 「人道的」に育てられた動物ならどう?
確かに死までの時間だけを切り取って考えれば許されるかのように思えてくる…
死んだ後は痛みも苦しみも無いのだし…
もし家族同様に育てて、問題にならない量の僅かな乳や卵をいただくだけならいい…
もちろん寿命まで一生面倒を見る…ペットと同じ…
「マトリックス」でネオは最初培養液の中で生きていた…
コンピューターが作り出す仮想世界で何の問題もなく生きていた…
しかし生命エネルギーが枯れたら捨てられていたのだろう…
人道的に育てられる動物と似てないだろうか…