✢ 人間性と俗なる世界の形成
道具は水が水の中にある世界のうちに外部性を導き入れる…それは連続性における中断であり、<物=客体>をそれとして位置付ける…道具の出現によって、その目的は有用性の面の上に与えられ、それはもはや<真の目的=究極>ではない…
人間は<物=客体>を定置することによって現れた面の上に、本来認識しえない連続性の中の諸要素を少なくとも外見上は明晰に位置付けることが可能になる…それは自分自身を外から一個の他者として統覚することをも意味する…
✢ 人間性と俗なる世界の形成
道具は水が水の中にある世界のうちに外部性を導き入れる…それは連続性における中断であり、<物=客体>をそれとして位置付ける…道具の出現によって、その目的は有用性の面の上に与えられ、それはもはや<真の目的=究極>ではない…
人間は<物=客体>を定置することによって現れた面の上に、本来認識しえない連続性の中の諸要素を少なくとも外見上は明晰に位置付けることが可能になる…それは自分自身を外から一個の他者として統覚することをも意味する…
『宗教の理論』に沿ってバタイユを辿ってみる…
✢ 動物性
動物性とは直接=無媒介=即時性であり、内在性である…内在性としてあるということは、同類を食べるということ…ある動物が他の動物を食べる…そこには対立や区別や優劣があるわけではない…区別には客体の定置が必要だ…動物は世界の内に、水が水の中にあるように存在している
菜食への疑問に答える13章
著 シェリー・F・コーブ
訳 井上 太一
◼️Q13 – 完璧な菜食人にはなれないんだから、こだわらなくてもいいんじゃない?
この章も自分の率直な思いを…
肉食者は一部を取り上げて全否定に結びつける傾向がある(自分もそうだった…)…
逆にヴィーガンも完全を求める傾向があるのだけど…
◼️Q11 – 「人道的」に育てられた動物ならどう?
確かに死までの時間だけを切り取って考えれば許されるかのように思えてくる…
死んだ後は痛みも苦しみも無いのだし…
もし家族同様に育てて、問題にならない量の僅かな乳や卵をいただくだけならいい…
もちろん寿命まで一生面倒を見る…ペットと同じ…
「マトリックス」でネオは最初培養液の中で生きていた…
コンピューターが作り出す仮想世界で何の問題もなく生きていた…
しかし生命エネルギーが枯れたら捨てられていたのだろう…
人道的に育てられる動物と似てないだろうか…
◼️Q9 – 神さまは人間を他の動物よりも上に置いてくれたのでは?
著者はユダヤ教徒であることから、旧約聖書を通じて矛盾がないか検証している…
著者は矛盾していないと言うが、正直その説明はやや苦しいように感じる…
ユダヤルーツの聖典にアウストラロピテクスが私たちの先祖だという記述があるわけでは勿論ない…
人類とは神が創造したものであって、最初の人類はアダムとエバということになっている…
それはそれとしても、例えば地動説の提唱は迫害の対象になった…
◼️Q6 – どうせ動物はもう死んでいるでしょ?
著者の主張をまとめるなら以下のようになる…
屠殺や解体の現場を見ることはまず無い…
乳や卵の生産背景を知る機会も無いに等しい…
暴力はヴェールに包まれて売り場に並び食卓に上る…
私たちは動物への暴力に対し鈍感になり、知ろうともしなくなる…
◼️Q5 – チーズバーガー、注文してもいいかな?
以下は自分の考えをダラダラ書いたもの…
著者の考えもそう遠くはないはず…
肉食者との接し方がこの章のテーマ…
菜食者(特に倫理的菜食者…以下この意味で…)は肉食者が変わることを希望している…
積極的に外へアクションを起こす人もいるが、ひたすら個人的実践だけに徹する人もいる…
この章で扱っているのは、菜食者の行為の中でも、避けられない身近な人との接し方になる…
日常の中で価値観が衝突するケースはほとんどないが、稀に難しいシーンが訪れる…
他者の行為を見逃すのか…
自分の考えを貫かないのか…
この章は肉食者への返答ではなく、菜食者への返答という意味合いが強い…
◼️Q4 – お乳や卵はいいんじゃない?
卵や乳は生殖分泌物であり、雌だけがこれを生成する…ほぼ同数産まれてくる雄は繁殖に必要な少数以外は業者にとって不要であり最終的には殺処分される…卵用鶏の雄は雌雄鑑別士によって産まれてすぐに選別され、生きて意識があるまま肉挽き機やゴミ袋、あるいはガス室に放り込まれる…卵用種の雄ひよこ、乳用種の雄子牛は、卵消費や乳消費の避けられない犠牲者である…残った雌もその能力の限りを搾り取られたのちに屠殺または廃棄される…
卵や乳の生産は殺害と無縁ではない…
IMFによる途上国に対する融資は、その殆どが選挙で選ばれたわけでもない独裁者の手に渡り、飢えた子供達の口から食べ物を剥奪することで返済が行われている…すでに借用分の3倍から4倍の金額を返済していながら、元金さえ減っていない…さらに再融資と引き換えにIMFが押し付ける経済政策はうまくいった試しがない…
「でも借りたお金は返さないと…」
この言葉が強力で厄介なのは、それが経済的な言明ではなくモラルの言明だからだ…醜悪なことを穏やかで平凡に見せかける文句…私たちは負債とは何かを理解していない…まさにそのことが負債の力の基盤になっている…
▶︎禅院
禅院は「院長」の指導のもとに置かれる…「知事」が運営をまとめ、それぞれの僧は「知日」と呼ばれる役職を務める…見習い僧(沙弥)は「侍者」として高位の僧の世話をする…僧たちは「報衆鐘」の音で朝四時に起床、座禅を行じ、続けて「勤行」が行われる…朝食をとったあと「般若心経」が読誦され、その後それぞれの仕事にとりかかる…お昼前の休憩を経て正午に昼食…身も心も食事に集中する…ふたたび作務を勤め、夕方七時には経典読誦、八時に学習と座禅、ぞの後就寝となる…