THE LIVES OF ANIMALS
J. M. Coetzee
The Philosophers and the Animals
コステロはクッツェーの分身なのだと思う…
何かを欠いた分身…何かに特化した分身…
クッツェーはある意味ずるい…
ノーマが言うようにコステロの話はまとまりに欠ける…
しかしおそらくそれには理由がある…
コステロは理性を警戒している…
THE LIVES OF ANIMALS
J. M. Coetzee
The Philosophers and the Animals
コステロはクッツェーの分身なのだと思う…
何かを欠いた分身…何かに特化した分身…
クッツェーはある意味ずるい…
ノーマが言うようにコステロの話はまとまりに欠ける…
しかしおそらくそれには理由がある…
コステロは理性を警戒している…
Animal Rights: Current Debates and New Directions
Cora Diamond
Eating Meat and Eating People
バタイユの動物性(或いは内在性)という概念に倣うと、動物同士が食べて食べられることはそこに優劣があるわけではなく死さえ悲しむことではない…動物が殺されたり食べられたりすることが問題になるのは、人間との関係においてのみ…人間だけは食べるものを選択している…
✢ 供儀、祝祭および聖なる世界の諸原則
供犠の原理は破壊であり、生贄によって破壊したいと願うのはただ「事物」のみである…供犠は物=客体を従属関係へと縛り付けている現実的な絆を破壊する…つまり生贄を有用性の世界から気まぐれの世界へ引き戻す…
人間は現実を基礎付けている諸価値を破壊することと、受け入れることを同時に行うことはできない…内在的な内奧性へと回帰することは、当然の帰結として意識が朦朧と曇ることを含んでいる…意識とは客体があるところに位置付けられている…
✢ 人間性と俗なる世界の形成
道具は水が水の中にある世界のうちに外部性を導き入れる…それは連続性における中断であり、<物=客体>をそれとして位置付ける…道具の出現によって、その目的は有用性の面の上に与えられ、それはもはや<真の目的=究極>ではない…
人間は<物=客体>を定置することによって現れた面の上に、本来認識しえない連続性の中の諸要素を少なくとも外見上は明晰に位置付けることが可能になる…それは自分自身を外から一個の他者として統覚することをも意味する…
『宗教の理論』に沿ってバタイユを辿ってみる…
✢ 動物性
動物性とは直接=無媒介=即時性であり、内在性である…内在性としてあるということは、同類を食べるということ…ある動物が他の動物を食べる…そこには対立や区別や優劣があるわけではない…区別には客体の定置が必要だ…動物は世界の内に、水が水の中にあるように存在している
菜食への疑問に答える13章
著 シェリー・F・コーブ
訳 井上 太一
◼️Q13 – 完璧な菜食人にはなれないんだから、こだわらなくてもいいんじゃない?
この章も自分の率直な思いを…
肉食者は一部を取り上げて全否定に結びつける傾向がある(自分もそうだった…)…
逆にヴィーガンも完全を求める傾向があるのだけど…
◼️Q11 – 「人道的」に育てられた動物ならどう?
確かに死までの時間だけを切り取って考えれば許されるかのように思えてくる…
死んだ後は痛みも苦しみも無いのだし…
もし家族同様に育てて、問題にならない量の僅かな乳や卵をいただくだけならいい…
もちろん寿命まで一生面倒を見る…ペットと同じ…
「マトリックス」でネオは最初培養液の中で生きていた…
コンピューターが作り出す仮想世界で何の問題もなく生きていた…
しかし生命エネルギーが枯れたら捨てられていたのだろう…
人道的に育てられる動物と似てないだろうか…
◼️Q9 – 神さまは人間を他の動物よりも上に置いてくれたのでは?
著者はユダヤ教徒であることから、旧約聖書を通じて矛盾がないか検証している…
著者は矛盾していないと言うが、正直その説明はやや苦しいように感じる…
ユダヤルーツの聖典にアウストラロピテクスが私たちの先祖だという記述があるわけでは勿論ない…
人類とは神が創造したものであって、最初の人類はアダムとエバということになっている…
それはそれとしても、例えば地動説の提唱は迫害の対象になった…
◼️Q6 – どうせ動物はもう死んでいるでしょ?
著者の主張をまとめるなら以下のようになる…
屠殺や解体の現場を見ることはまず無い…
乳や卵の生産背景を知る機会も無いに等しい…
暴力はヴェールに包まれて売り場に並び食卓に上る…
私たちは動物への暴力に対し鈍感になり、知ろうともしなくなる…
◼️Q5 – チーズバーガー、注文してもいいかな?
以下は自分の考えをダラダラ書いたもの…
著者の考えもそう遠くはないはず…
肉食者との接し方がこの章のテーマ…
菜食者(特に倫理的菜食者…以下この意味で…)は肉食者が変わることを希望している…
積極的に外へアクションを起こす人もいるが、ひたすら個人的実践だけに徹する人もいる…
この章で扱っているのは、菜食者の行為の中でも、避けられない身近な人との接し方になる…
日常の中で価値観が衝突するケースはほとんどないが、稀に難しいシーンが訪れる…
他者の行為を見逃すのか…
自分の考えを貫かないのか…
この章は肉食者への返答ではなく、菜食者への返答という意味合いが強い…