幸福と無知

私たちは幸せになりたいと願っている…
あるいは平穏に暮らせればと願っている…
それが最低限の慎ましい願いと思っているかもしれない…
しかしそれは富や力によって支えられている…

私たちは食べられることを受け入れない…
動物の抵抗とは違う…
私たちの抵抗は「逸れ」ている…

私たちの幸せは、奪うことで成り立っている…
奪うことなしに富や力は得られない…
奪うとはつまり環りにくくなるということ…
逸れる(歪む)ということ…

意識や思考が始まったとき、
切り取り、写し、抽出という対象化が始まる…
「世界」と同時に「私」が始まる…
本来ひとつのものがバーチャルへ移行する…

バーチャルとは、
答えの不在であり、
作り物であり、
暇と退屈であり…
想像界であり…
ニヒリズムであり…
空であり…

私たちは解決を試みる…
制限と達成を作り出す…
損得、優劣が始まる…
欲望という病気が始まる…
道徳という偽装が始まる…

達成もバーチャルなものだ…
進化、進歩、獲得、成功、成就、勝利、完成…
私たちはそれらに正解を見るようになる…

正解は奪うことで成立している…
必ず負の部分、犠牲を伴っている…
負の部分は目の前から消えているかもしれない…
それらがまた現れるのは、ずっと遠くかもしれない…
それらはゴミや格差や争いや差別や病気やストレスやクマ被害となって現れる…
それらもバーチャルなものではあるが…

何かが起こっている…
私たちは気づかない…

生きるものとして…

蛇や虫や雑草を異常に嫌うこと…
道徳や常識や普通を異常に好むこと…
便利や勝利を異常に好むこと…
お酒がやめられない…
甘いものがやめられない…
タバコを吸うこと…
医療に頼ること…
薬に頼ること…

すべて同じこと…

文明依存症…
知性依存症…

美味しいものを求め続ける…
それがない生活は考えられなくなる…
無垢な甘みが分からなくなる…
十分なものを不十分と感じるようになる…

依存症によって、
私たちは鈍感になる…
パフォーマンスが落ちる…
自滅サイクルに入る…

生きるものとして、残念ではないだろうか…

パフォーマンスが上がると、
無垢な味、音、風景で十分になる…
道徳、常識、普通に縛られなくなる…
勝利、便利、刺激を追求しなくなる…
恥や損得に振り回されなくなる…
肉ではなく動物を食べていることが分かるようになる…
ゆっくり歩けるようになる…

積み上げてはいけない…
手放すこと…

Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

▪️第8章 クマと結婚した娘

共存にはルールとマナーが必要だ
それを支えるのは、畏敬の念や無力の自覚ではないだろうか
それらが失われるとき、ルールは破られる
私たちは被害者になる前に加害者となる

私たちは国境を引いた
山も海も空も、誰かの所有となった
すべては人のものであるかのように

農薬で土壌は死に、やがて川や海を汚す
同時に腸内は必要な細菌を失う

固い道路や建物で地表は光を失い、
さらに皮肉にも太陽光パネルで光を失う

人は動物ではなく肉を食べるようになった
毎日圧倒する量を笑いながら食べている

動植物は自らの命でさえ分け合う
人は与えることなく奪おうとする
だからゴミや争いや病気が生まれる

そして今日もまた除草剤が使われる

外国人問題

私たちホモ・サピエンスは常に侵略者であり破壊者だった…それがゆっくりなのか急なのか、或いは先なのか後なのかの違いがあるだけだ…私たちはますます虚な世界の住人になろうとしている…失ってならないのは、国ではなく、自然(知り得ないもの)への畏敬の念や、私たちが何者であるのかの理解ではないだろうか…どこの国の人でもいい…人種も関係ない…私たちは土地に生き、身体で生きるべきなのだと思う…

現在、地球上には一種類の人間しか存在しない…白人や黒人、見た目に少しずつ違いはあるが、みんなホモ・サピエンス・サピエンスという一種類の人間だ…起源はアフリカにあるらしく、例えば南米の先住民は、アジア大陸を横断し、シベリア、アラスカを超え、北米、中南米を経由してたどり着いたのだろう…他の種であるネアンデルタール人などは絶滅した(ネアンデルタール人のDNAは一部残っているらしいので異種交配があったということだろう)…私たち日本人の祖先も樺太を経由したのか海を渡ったのか知らないが、アフリカを起源にしている…幸いと言うべきか、島国だったおかげで独自の文明を築いた…

日本で外国人が問題になっている…私たちがいま感じているのは、異文化に対する違和感ではなく、侵略や破壊に対する恐れだろう…しかしかつて私たちは彼らと同じように他所者だった…今では民家に降りてきた熊や猿を侵入者扱いしている…一方で、きっと数百年もすれば、ハーフやクォーターが増え、生粋の日本人は希少な存在になっていることだろう…エントロピーの法則はここにも適用できるのではないだろうか…

アメリカでも移民が問題になっている…しかし大多数を占める白人もあとからやってきた移民だ…先住民であるインディアン(ネイティブ・アメリカン)のことを忘れてはならない…コロンブスは決して英雄ではなく、侵略者であり破壊者だ…とはいえインディアンもまた移民であることに変わりはなく、彼らの祖先が北米にたどりついてしばらくすると、サーベルタイガーやマンモスが絶滅している…彼らもまた侵略者であり破壊者だった…ただその後インディアンは自然との共存の仕方を学んだのだと思う…

私たちが守らなくてはならないのは、おそらく自然を讃え受け入れる感受性、そして私たちが無力であるという認識ではないだろうか…日本人にもその名残はある…急激な近代化(欧米文化の浸透やグローバル化など)を経てもまだ完全には失われていない…インディアンの生活や思想の中にもあったもの…外国人問題の本質はずっと奥に隠れて見えにくくなっている…それは国籍や人種や宗教ではない…私たちはもっと土地や風土に根差した生き方を見直す必要がある…

今のところ政治に参加する(選挙に行く)気はない…同じことを繰り返すだけだから…政治は何も解決しない…政治(国家)とは、富や権力の効率化なのであって、それらを手放すことではない…ただひたすら競争(経済成長、技術革新、戦争、軍備拡大、人口拡大…)へと導く装置になっている…そういう流れに加担したくない…お世話になってはいても、少しずつ工夫して依存を解きたい…支配されたり襲われたりしたらどうするんだと言うけれど、それは隕石が落ちてきたり猛獣に襲われることと変わらない…そうなれば逃げたり抵抗したり死んだりとかするのだろう…

私たちの正解

豊かさは搾取によって、
善は脅迫によって、
健康は薬によって、
平和は武器によって保たれる…
野生にはないもの…
野性ではないもの…

一種の正解を見せてくれるもの…
正解とは何だろうか…

知性が歪みを作り、
歪みが私を作り、
私が欲望を作る…
所有、利便、優位、快楽の始まり…
身体(環境)破壊…

海の異常と身体の異常は同じもの…
ゴミとストレスは同じもの…

豊かさ、善、健康、平和は、
ゴミ、貧困、病、争い、嘘と共にある…

鈍化、洗脳、依存…
正解を正解に導くもの…
普通、常識を作り出すもの…

生きやすくするために、鈍くならないといけない…
そのためのスキル/知恵/武器/薬を持たないといけない…
鈍化という適応は、力の肯定、犠牲の許容を意味している…

人口爆発…
近視、腰痛、かかと着地…
癌、心臓病…
ゴミ、森林破壊…
工場式畜産、大規模漁業…
ストレス、ADHD、SAD…
貧困、差別…
正解によって軽視されるもの…

私たちは加害者でもある…

富、善、健康、平和、便利、勝利…
恋愛、美食、エロ、酒、タバコ、麻薬…
SNS、ゲーム、ギャンブル…
ブランド、アイドル…
現代のスポーツ、現代のアート…
すべて同じもの…
様々な依存の形…

神が無力になってから、私たちは知性を信仰するようになった…
私たちは生き方を忘れているような気がする…

里山

自然の哲学(じねんのてつがく)
著 高野 雅夫

▪️第7章 第2次移住ブームがやってきた
▪️第8章 弱さの物語

*以下は本文を読んで、自分の考えること…

スナイダーの「場所に生きる」を自分なりに翻訳すると「身体で生きる」になる…身体とは、肉体だけではなく、精神や心や魂みたいなものも含まれる…さらに感覚や空気や食べ物や細菌などでつながった周りの環境まで広がりも持つ…身体でないものとはバーチャルなもの、つまり知性が作り出すもののこと…決して知性を否定するわけではないが、身体を中心に据えようということ…移動は自分の足を使うとか、実際に見て嗅いで触ることのできる情報を大事にするとか…等身大ということ…

知性は常に無理を強いる…ガザの悲劇に対して、私たちは本当に悲しむことができるのだろうか…もしできるのなら、世の中の暴力はもっと減るだろう…巨大な肉食産業も消えるかもしれない…私たちの感覚は残念ながら届かない…私たちは、知性によって、等身大ではない歪んだ状態にさらされている…いつも大袈裟で都合がいい…

私たちは場所を放棄してしまった…世界はお金と情報で繋がっている…カカオだけ作っておけば豊かになるはずだった…しかし現実は違った…グローバル化という超分業化は、依存体質を作り出し、椅子取りゲームを強いている…都会も田舎も先進国も途上国も変わらない…私たちは大きな社会の中で別々の方向を向いて生きている…

田舎より都会の方が隠れることができるのだろう…さらに都会よりネットの方が隠れることができる…都会やネットは、よりプライベートな領域が増すのだろう…好きな服を着て、自由に発言する…しかし私たちはそもそもバーチャルな世界に住んでいる…実は何も変わらない…VRや仮想通貨こそ本質に迫っている…人社会で生きるとは、虚構に住むということ…リアルとは何だろう…それはお金が増えたりYouTubeの登録者数が増えることではない…場所に生きれているだろうか、身体で生きれているだろうか…

勘違い

動物は死を恐れてはいない…
彼らの攻撃、抵抗、逃避…
そのすべては生を体現している…

人は死を恐れる…
死を遠ざけようとする…
私たちは勘違いの中に生きている…

勘違いとは死を伴うこと…
私たちの生は死を伴っている…
私が消えるとき、死は去っていく…

死とは答えの不在であり、暇や退屈のこと…
目が霞み、もっと見ようとすること…
音が遠のき、もっと聞こうとすること…

私たちは「差」を発見する…
「富」「権力」「得」「快楽」に導かれる…
川の流れを変えようとする…

書き換えているわけではない…
正解とは作中の同語反復に過ぎず、
答えとは分かりえないもの…

私たちは利用し合う…
動物として助け合いながら、
人として利用し合う…

正常とは何か

地球が丸いこととか、
国家やお金の存在とか、
私たちの感覚はそれらを察知できない…

逆に知性は見ることができない…
知性は動物としての身体に何を施しているのか…

感覚を超えている…
等身大ではない…

健康とは身体の自然な状態ではない…
文明という薬への依存によるもの…
効かなくなったら別の薬を探し求める…
薬を手放すことはない…
そうやって維持するもの…
健康は幸せの指針にもなっている…

ADHDとか、SADとか、
まるで民家に降りてきた熊や猪のようだ…
動揺している、慌てている、隠れようとする…
病気ではなく、身体の自然な反応ではないだろうか…

ペットや家畜は文明依存した存在なのだろう…
しかし彼らは知性がない分、野性の中にいる…
依存すら野性の反応だ…
野性の閾を超えずに適応、順応している…
そういう部分はもちろん人にもあるのだけど…

人の身体は知性を契機に、歪み、変異し、
やがて欲望の形態を伴うようになる…
動物としての身体が別の様相を帯びる…
違うバランスへ移行しようとする…
健康という薬漬け状態に移行しようとする…

いわゆる環境(身体)破壊…

地球上で、人類は癌細胞のように振る舞う…
地表を固い道や建物で固め、
土壌や大気や海を汚し、
プラスチックを作り、
動植物を品種改良し、
ミサイルを撃ち合う…

何が異常で何が正常なのか…

ミミズがいなくなったら自然環境は壊滅するらしい…
人がいなくなったら地球は喜ぶのだろう…

政治

選挙には行かない…

今のところ満足しているから…
つまり大した期待はしてない…

あと、ストレスを感じるから…
社会の歯車になるのが怖い…
大きな流れに飲み込まれるのが怖い…
何者かになるのが怖い…

普通は繋がることで安心するのかもしれない…
しかしそれは抜け殻になることのように感じる…
感覚を超えている…

確かに逃げられないし、
それなりに恩恵を受けている…
この水準は誰かのおかげなのだろう…

しかし関わるのは最小限にしたい…

もしすべての国家を一斉に解体しても、
しばらくすると同じような国家が林立しだすのだろう…
逆にひとつの国家が他を飲み込んでも、
その中にやはり国家のようなものが生まれてくるのだろう…
人が集まると、ルールのようなものが形成される…
それは国家へと成長する…
国家は別の国家と衝突し、飲み込むか、競い出す…

国家や自治体は、少子化を問題にする…
地球規模で考えるなら、人口爆発の方が問題なのではないだろうか…
人と家畜の異常な個体数…
人を減らそうとか、そういう話ではなくて…
私たちが何者なのか、そこから始めたいだけ…

SDG’sはどこを見てるのだろうか…
経済成長や技術革新こそが貧困や環境破壊の原因なのではないだろうか…

もし人々が平等で豊かになるようなら、
きっと自然環境や動物たちはその犠牲になっている…
もし戦争がなくなったとしたら、
きっと人の身体(精神含む)はその犠牲になっている…

人社会を否定するつもりはない…
それは知性を持ったものが辿りつく場所だと思うから…
ただ、知性は勘違いの温床であり、罠を仕掛ける…
自由や平等は作り物であり、人類の発明品にすぎない…
道徳は損得が聖域を装ったものであり、無償ではない…

私たちが何者なのか、そこから始めたい…

知性を疑う政治…
そういう政治はやってこないだろう…

依存症

知性はいつも自然に逆らおうとする…
進歩は私たちだけのものに過ぎず…
弱肉強食も私たちがそう見ているだけ…
知性は答えの喪失を体現している…

何かを為そうとしないこと…
流れに逆らわないこと…

世の中を動かしてはいけない…
成功、進歩、獲得、成長、実現、達成、勝利…
その動きは不自然なものであり、常に不穏な空気を放っている…
むしろ鎮めないといけない…

成功や獲得の背後で何かが犠牲になっている…
目の前で気づかなくてもずっと遠くで…
それは今ここで始まる…

環境破壊はやりすぎた結果ではない…
最初に身体が書き換えられている…
身体と環境は同じもの…

私たちはどうしても成功や恩恵に正解を見てしまう…
社会が作る力学に逆らえない…
そうやって道徳が育っていく…

長生きする必要はない…
老いや死を受け入れること…
食べられることを受け入れること…
それが「生きる」ということではないだろうか…

考える…
認識する…
切り取る…
ありのままから逸れる…
答えの喪失…

知性が、意識が、身体を書き換える…
欲望が生まれる…
欲望は病気…

より優位に…
より便利に…
より刺激を…
依存症…

動物における、
自己は「私」へ…
縄張りは所有へ…
交接はエロティシズムへ…
食は美食へ…
遊びは勝利へ…
源泉の変異…  

病気とは身体の反応…
自然がバランスを取ろうとしている…

それも悪くない…
もう抜け出せないのだし…
ただきっとつまらないと感じ始める…
別のものを求め始める…