私たちの正解

豊かさは搾取によって、
善は脅迫によって、
健康は薬によって、
平和は武器によって保たれる…
野生にはないもの…
野性ではないもの…

一種の正解を見せてくれるもの…
正解とは何だろうか…

知性が歪みを作り、
歪みが私を作り、
私が欲望を作る…
所有、利便、優位、快楽の始まり…
身体(環境)破壊…

海の異常と身体の異常は同じもの…
ゴミとストレスは同じもの…

豊かさ、善、健康、平和は、
ゴミ、貧困、病、争い、嘘と共にある…

鈍化、洗脳、依存…
正解を正解に導くもの…
普通、常識を作り出すもの…

生きやすくするために、鈍くならないといけない…
そのためのスキル/知恵/武器/薬を持たないといけない…
鈍化という適応は、力の肯定、犠牲の許容を意味している…

人口爆発…
近視、腰痛、かかと着地…
癌、心臓病…
ゴミ、森林破壊…
工場式畜産、大規模漁業…
ストレス、ADHD、SAD…
貧困、差別…
正解によって軽視されるもの…

私たちは加害者でもある…

富、善、健康、平和、便利、勝利…
恋愛、美食、エロ、酒、タバコ、麻薬…
SNS、ゲーム、ギャンブル…
ブランド、アイドル…
現代のスポーツ、現代のアート…
すべて同じもの…
様々な依存の形…

神が無力になってから、私たちは知性を信仰するようになった…
私たちは生き方を忘れているような気がする…

里山

自然の哲学(じねんのてつがく)
著 高野 雅夫

▪️第1章 里山世界と村の成り立ち
▪️第2章 せめぎあう村と国家

*以下は本文を読んで、自分の考えること…

自然に逆らうことなく、野生(野性)と共に生きようとしているのか、それとも知性信仰を捨てず、便利や優位や刺激を追い求めるのか…現代の共同生活、相互扶助は、その殆どが後者であり、あらゆる組織が大きな社会の力に従順だ…農業や林業、さらには教育やスポーツも競争の中にあり、道徳もその流れを擁護するように働く…そういう組織には正直あまり関わりたくない…不快で不自然な力学を感じる…メンタルが潰されそうになる…

里山の理念は「場所に生きる」ということではないだろうか…スナイダーの本に書いてあることが、ここでも繰り返されている…入会(いりあい)、つまりコモン(共有地)の存在も書かれている…スナイダーは日本に住み学んでいたわけで、たどり着くところは同じなのかと思うと感慨深い…

結や普請といった相互扶助は、今に引き継がれているものもある…しかし今も残る田畑の仕事以外では、急速に衰退しているように思える…清掃活動、安全祈願の火の祭り、鬼火焚き、子供会、いずれも消滅の途にあり、わずかに残っているものは主に高齢者だけの活動になってしまった…近所の交流など全く無い…人は場所に生き共生するのでなく、別の活動のために場所を利用しているだけになってしまった…私たちはみんな違う方向を向いている…

江戸時代の村での寄り合いは、基本的に多数決ではなく全会一致だったらしい…グレーバーによると、多数決は敵味方を作る要因でもあり、法や武力などの強い強制力のない小さい共同体の中では、コンセンサス(全会一致)こそ自然ということだった…サパティスタも同じではないだろうか…ラカンドンの人たちも土地に生きる人たちだ…

里山の姿は、世の中の大きく不可逆な流れに逆らえず、徐々に消えつつある…ただしそこには人が自然(野性/野生)と共生するための知恵があった…逆戻りするということではないが、今のこの時代を経て得たことを活かしつつ再生させることは必至なのだと感じる…

悪は存在しない

悪は存在しない(2023)
監督 濱口竜介

ゴダール風のテロップで始まる…美しくそして不穏な森が描かれる…「悪者はいない」ことを描くだけなら森や動物は必ずしも必要ではない…しかしこの映画は野生との対比の中で何かが際立っている…誰もがそれぞれの事情の中でより良く生きようとしている…どこにも悪者はいない…一方で、そもそも善悪なんてものは人の思惑が作るものであって世の中は別の原理で動いている…無慈悲な自然の摂理があるだけ…それらをバタイユ風に言えば「まやかし」と「きまぐれ」…人は大したことができるわけではない…ほんとは自然を破壊することもできないし、進歩もそう見えるに過ぎない…ただ人が求める恩恵は、いつも人にとって不都合なことを招く…

近頃「神話」の必要性を問う言葉をよく見かける…自然の偉大さとか、人の未熟さとか、それらを教え伝えるもの…今なら「寓話」になるのかもしれない…この映画にも寓話的要素がある…キリンが我が子を守るためにライオンに立ち向かうように、一種の災いを絶とうとしたかのように見えた…まぁあまり正解を探り過ぎない方がいいのかもしれない…神話が神話であるということはそういうことだと思うし…

日本は放置林の問題を抱えている…戦後多くのスギやヒノキが日本全国で植樹されたものの、木材需要の低下や林業離れの影響により放置され、土砂災害、河川氾濫などの危険度が増している…花粉被害だけじゃない…よく見ると山はスギだらけだ…その殆どが放置されたスギではないのか…放置林は水質にも影響を与え、動物の棲家も奪っている…大気汚染や海洋汚染だけではない…山は文明の対となる自然の象徴なのかもしれないが、すでに汚染されている…バランスが崩れているというより、すべてのバランスは保たれる以外にありえないわけだけど…

https://www.more-trees.org
教授が創立した森林保全団体

クマが民家に降りてきたり人を襲ったりすることに関して…例えば自分が銃を持っていてクマが襲ってきたら射殺を試みるだろう…それに類する行為は優先して然るべきだ…猟師のことやクマの生態に詳しくはないが急場を凌ぐための処置は許容されていい…問題は歴史や現状の把握と今後の対策だろう…それは殺処分と同じ土俵で語れるものではない…もともとヒトもクマもシカも或る意味等しく暮らしていたのだと思う…でも人は欲張った…人口は爆発的に増え、生活圏も広がり、土地は固められ、森や川にも人の手が入った…私たちは恩恵しか見ない…だから人口爆発より少子化の方を問題にする…もっと全体を俯瞰することが必要だし、同時に、自分たちが何者なのかを知る必要があるのではないだろうか…

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FIT

成功や獲得や達成は私たちに正解を見せてくれる…ただそれは調和とか適応とは違うものかもしれない…手に入れることだけではなく、手放すことも必要なのではないだろうか…できることを少しずつでいい…この社会は元々私たちにフィットしていない…争い、貧困、ゴミのことはもちろん、そもそも身体にフィットしていない…地球と身体に、つまりその能力にフィットしていない…精神的ストレスと環境破壊は同質のものだ…

知性が身体を借りて見ようとする…
知性が身体を侵食し始める…
目は曇り始める…

答えを見失い意味が始まる…
より優位に、より便利に、より刺激を…

バーチャルが始まる…
喪失が始まる…

私たちは無理をしている…
背伸びしている…

恩恵と犠牲は新たな調和なのだろう…
この世にプラスチックが生まれても、
そのうち私たちがいなくなるにしても、
何の不足も余剰もない…

それでも私たちは求める、苦しむ…
フィットしていないから…

私たち動物に本来備わるものがあるとして…
その何かとうまく付き合うべきなのだろう…

まだ覚えているなら…

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TALK

話すこと…
それは時代や環境と接点を持つこと…
バーチャルな世界と接点を持つこと…

連れていかれる…

一人で考えること…
それは少しだけ距離を置くこと…
少しだけ意味をほどくことができるのかもしれない…

それは書くこと、読むこと…

絶つこと…
それはありのままとの接点を持つこと…
意味が消滅した世界と接点をもつこと…

怖い? それとも…

話さずに生きることは難しい…
暴力を放棄することは難しい…
恩恵と犠牲の中で生きるしかない?

私たちには別の姿がある…
別の本性がある…
いつもその本性とともにいる…

だから走りたくなる…
だから動物を食べる気になれない…

また話す?
それで何が解決できる?

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VIE

知性を警戒している…

知性はバーチャルな世界を作り出す…
バーチャルは暴力を作り出す…

暴力とは恩恵のために犠牲に背を向けること…
あるいは犠牲に気づかないこと…
知性は常に恩恵に正解を見ている…

犠牲とは…
環境破壊、ゴミ、病気、ストレス…
争い、差別、貧困、そして動物の犠牲…
それらが恩恵を作っている…

バーチャルとは…
私、あなた、国家、お金、家族、ブランド、道徳…
「主体」と「対象」の中で意味が導く世界…
ありのままではないこと…

動物のそれとは違う…
人の「ありのまま」とも違う…

すべては自然の行為…
自然に無駄はなく、すべてが循環している…
しかしバーチャルとは歪んだ在り方…
そこに力が生じる…
意味による力…
私たちだけが受け取る力…
その力に翻弄される…

より便利に…
より刺激を…
より優位に…
バーチャルだから…
答えを失くしたから…

依存の形態…
鈍化、麻痺の形態…
無自覚、非感覚…
非充足、非循環、非律動…

自作自演の自滅行為…

知性は見ることができない…
聞くこともできない…

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水俣曼荼羅

水俣曼荼羅(2021)
監督 原 一男

ここには縮図がある…
文明の基本構造と言っていい…
大きな社会でぼんやりしているもの…

恩恵は犠牲の上に成り立っている…
差別、病気、貧困、環境破壊、動物の犠牲…
法律や倫理とは何なのだろう…
戦争にもルールがあるらしい…
大きな社会は超間接的につながっている…
多くの場合加害者は特定できず…
被害者の姿も見えない…

末梢神経が損傷している場合、自覚症状があるらしい…
脳が損傷している場合、末梢の麻痺が分からないらしい…

ほぼ地元だけど、「MINAMATA」にしろ「曼荼羅」にしろ地元で観た人がどれだけいるのだろうか…むしろ地元だから見ないのかもしれない…地元民と他所者の評価には必ず溝がある…同じ地元民でも立場や意見は違う…善と悪を固定すべきでないことも分かる…誰かを責めるというよりも、人社会の在りようを見極めたい…水俣病だけの問題ではない…

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This is not freedom of thought

菜食者の多くは、動物の犠牲をなくしたいと思っている…
あるいは減らしたいと思っている…
肉食社会と相対している…
思想や信教の自由では計れない…
勝手に信じて終わるものではない…
それは女性の参政権や黒人の公民権を主張することと変わらない…
同性婚の成立を含め、同性愛への理解を求めることと変わらない…

白人至上主義…
同性愛をバカにすること…
女性の参政を笑うこと…
地動説を神の冒涜とすること…
それらはかつて多数派だった…
そう考えていいと思う…
今は違う…
間違っていたのだろうか…
そうは思わない…
それが普通だった…常識だった…
疑う余地はなかった…
たどるべき道だった…
ただ、次第に意味が変わっていった…

文明は富と権力の効率化によって生まれ発展してきた…
女性、黒人、同性愛者、先住民族、戦争や経済活動による敗者が効率化の犠牲になった…
(勝者も被害者なのかもしれない…)

平等とは、随分あとから見えてきたものだ…
本来の姿とは言い切れない…
新しい価値でありながら、本来を装っている…
倫理、道徳とはそういうもの…
肉が必ずしも必要な食材ではなくなったとき…
そのときどんな価値観が現れるだろうか…
いずれにしろ善悪、常識、普通は姿をどんどん変えていく…

地球を削り、汚すこと…
動物を食べること、纏うこと…
それらも間違いではなかった…
森林伐採、農薬の使用も問題ではなかった…
動物実験、ダウンジャケット、動物園や水族館も問題ではなかった…
今も間違いではない…
しかし帰路にあることは確かだ…

文明という水準は何らかの犠牲を必要としている…
文明は人にとっての恩恵と犠牲でできている…

文明は地球や動物や人を含めあらゆるものを犠牲にしている…
そして多くの差別、貧困、ゴミ、病気、核廃棄物を吐き出している…
文明の排泄物…
恩恵のために変質したもの、生産されているもの…

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Kílian Jornet

画像引用元

UTMB復帰戦で優勝(大会記録)…
もうトレイルは走らないのかと思ってた…
どんな言葉を使っても言い尽くせない…
自然を舞台とするアスリートのアイコン…
https://ja.wikipedia.org/wiki/キリアン・ジョルネ

キリアンは菜食者だ…
https://www2-u–trail-com.translate.goog/kilian-jornet-est-vegetarien/
詳細に追えてはいないのだけど、生物多様性や気候変動への言及が見られる…トップになったことを考えれば身体への影響も見逃せない…

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