THE DRAGON CAN’T DANCE

ドラゴンは踊れない(1979)
著 アール・ラヴレイス
訳 中村和恵

文明がまだ未熟だったころから、踊りや音楽はずっとその中心にあったのだろう…それらは例外なく土地に根ざしたものであり、他所からの影響を受けつつも土地固有のものとして受け継がれてきた…時が経ち現代の音楽やダンスは土地から切り離され、世界中の人が楽しめるものになっている…トリニダード・トバゴのカリプソやカーニバルは、歴史上最後の民族音楽、民族舞踏のひとつになるのかもしれない…スティールパンは最後に発明されたアコースティック楽器と言われている…

祝祭や伝統芸能は昔の意味合いを薄めてきている…今、祭りは形骸化するかすでに消滅した…おそらく最初は自然や神のようなものと上手くやっていくためのものだったのだろう…少しずつ意味合いは変化したとしても、概ねそれらは今の価値観からすると大掛かりな無駄とでも言えるようなものだった…今では必要なものだけが生き残る…それは競争社会が作る物差しによるものだ…本当に必要なものとは何だろうか…

オルハン・パムクの「雪」が重なった…オルドリックはKAR、フィッシュアイは紺青、ドラゴン或いはカーニバルはイスラム、仕事やスポンサーは西洋、そしてシルヴィアはイペッキ…もちろん全て一緒にする気はないが、大きな流れや構図は似てるのだと思う…おそらくこの構図は世界中がいま体験している進行形のものだ…遅かれ早かれ直面していることであり、ゆっくりじわじわと確実に進行している…人は今、問われているのだと思う…

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Ein Hungerkünstler

断食芸人(1922)
著 フランツ・カフカ
訳 池内 紀

Bartleby(1853)Herman Melville
The Panthe(1903)Rainer Maria Rilke

思い出すのはバートルビー…カフカが知らないことはないだろう…断食芸人は答えが無いことを体現しているのだと感じた…バートルビーにしろ、断食芸人にしろ、すべてを拒否し、最後は息絶える…対して豹は答えを持っている…しかしこの豹もしばらくすると答えを失うのかもしれない…

PAUL AUSTER

50歳を迎えようとするころ、本を読み出した…人生を悔いないよう何かを見直したかった…遅すぎる読書習慣のスタート…国語の授業が嫌いだった自分が読書とは…

最初は哲学や人類学の本が多かったと思う…小説といえば(奇妙だが)バロウズの「裸のランチ」を読んだな…かなり特殊な体験だった…コンスタントに小説を読むようになったきっかけはおそらくクッツェーだろう…文学に魔法のようなものを感じた…

オースター名義のデビュー作は強い印象を残している…柴田さんの訳もいいのだと思う…哲学は行き詰まるけど、文学は充たしてくれる…そんな気にさせてくれた本だった…

PAUL AUSTER(1947-2024)

Drinking Molotov Cocktails with Gandhi

モロトフ・カクテルをガンディーと(2015)
著 マーク・ボイル
訳 吉田奈緒子

テッド・カジンスキーを取り上げて著者を批判しようとは思わない(そもそもカジンスキーの評価には慎重になるべきだろう)…ただ、ほぼ賛同できる内容でありながら、どうしても埋められない溝を感じたのも事実…

注目したいのは「暴力」という言葉を使っていること…自分とほぼ同じ意味で「暴力」を使っている…ただそのルーツへの言及が抜けてるように思えた…ルーツは構成員それぞれの知性にあると思っている…社会の上から下へとかその逆とか、あるいは多から少へとかその逆とかは関係ない…どんな境遇の人であれその思考の中に暴力は潜んでいるのだと思う…そもそも社会を作っているのがその暴力ではないだろうか…ホッブズの自然状態が正しいと言っているのではなくて…もし正しいとするなら、それは構成員が知性への隷属状態にあることが条件だ…人は知性だけではない…本性は身体にある…違う選択もできるはず…

暴力を扱う思想家にしても知性の暴力を回避することはできない…ただ、思想家と呼べる人たちは知性を少なからず疑っているように思える…知性の暴力から逃れ、距離を保っているのではないだろうか…芸術家に備わるもののようにも感じられる…政治家や企業家にもそういう感性を持った人はいるのだろう…ただし彼らの主な任務は暴力を遂行すること…暴力とは知性に主導権を握られることで生まれる…知性の奴隷になることで…

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INTO THE WILD

荒野へ(1996)
著 ジョン・クラカワー
訳 佐宗 鈴夫

一人の青年の死を追ったドキュメント…結末は最初に記されている…問題はその真意であり著者は丁寧に検証を試みている…青年マッカンドレスに共通するものを感じた…トルストイやソロー…同じ場所にたどり着いている…プラープダー・ユンがスピノザに倣おうとしたことを忘れたわけではないが…

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フランドン農学校の豚

フランドン農学校の豚(1934)
著 宮沢賢治
画 nakaban

「個」を描いた物語なのだと思う…擬人化しているが、それは私たちが豚に感じることのできる「個」の姿…植物や菌などには感じることができないもの…代わりのないもの…

それは人だけが感じるものではなく、動物たちも持っている感覚ではないだろうか…つまり身体に属するもの…人に特有の「私」が感じているものではない…倫理とか道徳とかモラルの類ではない…

倫理、道徳、モラル…それらは自分や他者に課すこと或いは要求することだ…無償のものではない…損得が善悪を装ったもの…一定の集団が維持されるとき、構成員の中に育つもの…

否定ではない…
受け入れること…
そこから始めたい…
解決しようとか、そういう話ではない…
どう折り合いをつけたらいいのかという話…

私たちは、
100%加害者であり…
100%無実であり…
100%違う選択ができる…

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Genocide

Palestinian Lives Matter Too: Jewish Scholar Judith Butler Condemns Israel’s “Genocide” in Gaza

身体はおそらく知らない…
ガザで何が起こっているのか…
屠殺場で何が起こっているのか…
だから都合よく振る舞える…
暴力…

ふと身体に届くこともある…
そのとき考えたい…
その機会を逃してほしくない…
気づいて欲しい…

1948年当時のハンナ・アレントの言葉…
「イスラエルがユダヤ人の主権というものに基づいて建国されたことはひどい間違いだ。数十年にわたる軍事的対立を引き起こすに違いない。」

9.11が甦る…

https://note.com/bashir/n/n78fb1d686563

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ぼくはあと何回、満月を見るだろう

ぼくはあと何回、満月を見るだろう(2023)
著 坂本 龍一

「人間の寿命が80歳や90歳まで延びたのは、せいぜいこの30年〜40年くらいのこと。20万年とも言われる人類の長い歴史で医療などなかった時代のことを考えたら、果たして無理してまで命を延ばすのがいいことか、分かりません。ぼくは、辛く苦しい治療を拒否して、最小限のケアだけで最期を迎えるという価値観が、世の中でもっと許容されてもいいと思う。その意味で、オランダやベルギーで合法化されている安楽死にも興味があります。…基本的には自然に生き、自然に死んでいくというのが動物の本来の生命のあり方だと思っているんです。人間だけが、そこから外れてしまっている。」(p34)

ゴダールは安楽死を選んだらしい…しかし自分には延命治療も安楽死も同じ類の操作のように思えてくる…ジャームッシュの「DEAD MAN」でノーボディがブレイクを船で沖に流すのとは違う…後述のピアノの話へ…

「本来、自然界の主役は動物や虫や植物で、ぼくたち人間はその一角にそっとお邪魔しているに過ぎない。よく「住宅街に猿が出た」などというニュースが報じられますが、それは話が逆で、もともと猿の生息地だったところに我々が住まわせてもらってるのだと思います。」(p256)

人も平等に主役なんだと思いますけどね…ただ、人は地球上で癌細胞(ここでこんな表現することを許してもらいたい)になってしまっている…知性は自らを顧みない…一番厄介なこと…

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Three Stories

スペインの家:三つの物語(2014)
著 J.M.クッツェー
訳 くぼた のぞみ

情が移るという言葉がある…
動物に対して使うこともあるだろう…
家に対しても…

人も例外ではない…
人は自分に、身近な他者に、情を移している…
遠くの知らない人には…それほどではない…
随分前に死んだ人に対しても…

従者とは登場人物のことだろうか…
デフォーとロビンソンが入れ替わっている…
ロビンソンがデフォーを描いているかのようだ…
従者とは主人公であり作家であり…

人は私とかあなたを作っている…
物語を作っている…
そうやって生きている…

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ABOVE THE CLOUDS

雲の上へ(2018)
著 キリアン・ジョルネ
訳 岩崎 晋也

なぜ山に登るのか…
なぜ山を走るのか…

球磨川を走るだいぶ前に読み始めた…
しばらくトレーニングとか準備で本と向き合うことができずにいた…
読み終えたのはレースの一週間後…
天と地ほどの差があるとはいえ、接点は少なくない…

以下キリアンの言葉…

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