第34回あくねボンタンロードレース大会 – 10km
3月に歩けない時期があってからの復活レース
腰が痛いのだけど来週大丈夫か…
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第34回あくねボンタンロードレース大会 – 10km
3月に歩けない時期があってからの復活レース
腰が痛いのだけど来週大丈夫か…
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ガンジーの危険な平和憲法案
著 C・ダグラス・ラミス
ガンジーは菜食主義者だった…インドには古くから菜食主義の文化が根付いている…特別なことではなかったのかもしれない…菜食主義は非暴力/非協力と深い部分でリンクしている…
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権力は権力者への協力によって生じる…資本家の権力は労働によって発生し、政治家の権力は被統治者の協力によって生まれる…これは権力の本源が実は労働者や人民の側であることを意味している…主権は本来民衆にあり、非協力という方法で権力を取り戻す…
市民社会…政府に直接管理されない自立した社会…市民社会のない状態は全体主義社会となる…ナチスやソ連には市民社会がなかった…また、自立できていない植民地社会も市民社会不在の社会だ…ガンジーは自立した市民社会を作ろうとしていた
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国家そのものが暴力であり、魂のない機械…ガンジーは軍隊を解散し、警察すら設けない組織を描いていた…主権は村にあり、中央機関には「ガイド、相談、監視」の機能しかない…「国家」とは本質的に暴力を備えた組織であり、目指すべきは「国家」とは違う政治形態…
もし日本の第9条を忠実に実現できる組織があるとするなら、それはガンジーの憲法案に示されているのかもしれない
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インドには古くから70万の村があり、それぞれが独立した共和国に等しい機能を備えていた…村をつなぐ組織はあるが命令権はなく、自治は村に任され、治安、安全保障、衣食住に必要なものすべてを地産地消で賄うことができた…その社会のあり方はイギリス植民地時代に大きく変わりつつあったが、ガンジーはまだ復活が可能だと信じていた
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ガンジーは非暴力によって独立を勝ち取った…そして新しい国には軍隊のない平和憲法の適用を構想していた…しかし国民会議のリーダーたちにとって、非暴力が有効なのは独立までに過ぎず、その後の国家運営まで有効な手段であるという認識はなかった…ガンジーは自分が説得できなかったことを悔い絶望した
通常の国家論はマキャベッリの思想に依拠する部分が大きい…国家の再編や創立そして運営には暴力が必要だと…実際、20世紀はホーチミン、カストロ、レーニン…と、暴力革命によって次々と新しい国家君主が生まれた…しかしガンジーだけは非暴力によって独立を勝ち取り、そして国家君主にはならなかった…
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ラルジャン(1983)
監督 ロベール・ブレッソン
靴磨きと色使いが似ている
DOWN BY LAW 含め歓待続き…この映画だけ展開が違う
罪のない人々…居場所を失う…歓待…犯罪…
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ル・アーブルの靴みがき(2011)
監督 アキ・カウリスマキ
靴屋の前で靴磨きはテロリズム…
奇妙な間合いとロボットのような動き
多用される寄りとパン
スタジオのような光加減
絵本のような映画…
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ガンジーに対してふたつの疑念があった…ひとつはカースト制を擁護していたこと、もうひとつは独立後の軍備に関すること…
カーストについては Wikipediaで概要の理解ができる
軍備に関してはどうか…日本との関連も多い
日本国憲法は矛盾している
戦力を持たないはずなのに、自衛隊や駐留米軍が現実に存在している
憲法がまだ基本法として生きているのなら、また生かさなくてはならないのなら、改正するか或いは軍備を見直す必要があるだろう
主張に伴い、軍備を認めるなら徴兵や志願の覚悟があるのか…逆なら自衛隊も米軍の集団自衛もなくていいのか…
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バルタザールどこへ行く(1966)
監督 ロベール・ブレッソン
人間に翻弄された一生
正直、映像は好みではない
淡々とした抑揚のないシーン
レコードの針が飛ぶようにシーンが飛ぶ
ヴィアゼムスキーも翻弄された人生だったかもしれない
Anne Wiazemsky(1947-2017)