トルネイド・アレイ
著 ウイリアム ・バロウズ
訳 清水 アリカ
音感的ノリで読み切った「裸のランチ」とは違う…
意味がわかる…リズミックなキレはそのままに…
暴力、ゴミ、病気、貧困…
ノイズを発するのは人間だけで、それをノイズと認識するのも人間だけだろう…
ノイズは無くならないだろうし、逆に必要なものなのかもしれない…
調和は常に保たれている…ノイズは調和の証…
何が問題なのか…量の問題とは思えない…
犠牲にしているものが何なのか…
トルネイド・アレイ
著 ウイリアム ・バロウズ
訳 清水 アリカ
音感的ノリで読み切った「裸のランチ」とは違う…
意味がわかる…リズミックなキレはそのままに…
暴力、ゴミ、病気、貧困…
ノイズを発するのは人間だけで、それをノイズと認識するのも人間だけだろう…
ノイズは無くならないだろうし、逆に必要なものなのかもしれない…
調和は常に保たれている…ノイズは調和の証…
何が問題なのか…量の問題とは思えない…
犠牲にしているものが何なのか…
桜桃の味(1997)
監督 アッバス・キアロスタミ
生を諦めて世界が不毛な光景にしか見えないとき…
クルド人、アフガニスタン人、トルコ人に諭され…
ぼやけた撮影風景…
瑞々しさ…
イランにジャズ…
死後の世界?
これが現実?
桜桃の甘さに気付き…
色を取り戻す…
◼️Q4 – お乳や卵はいいんじゃない?
卵や乳は生殖分泌物であり、雌だけがこれを生成する…ほぼ同数産まれてくる雄は繁殖に必要な少数以外は業者にとって不要であり最終的には殺処分される…卵用鶏の雄は雌雄鑑別士によって産まれてすぐに選別され、生きて意識があるまま肉挽き機やゴミ袋、あるいはガス室に放り込まれる…卵用種の雄ひよこ、乳用種の雄子牛は、卵消費や乳消費の避けられない犠牲者である…残った雌もその能力の限りを搾り取られたのちに屠殺または廃棄される…
卵や乳の生産は殺害と無縁ではない…
IMFによる途上国に対する融資は、その殆どが選挙で選ばれたわけでもない独裁者の手に渡り、飢えた子供達の口から食べ物を剥奪することで返済が行われている…すでに借用分の3倍から4倍の金額を返済していながら、元金さえ減っていない…さらに再融資と引き換えにIMFが押し付ける経済政策はうまくいった試しがない…
「でも借りたお金は返さないと…」
この言葉が強力で厄介なのは、それが経済的な言明ではなくモラルの言明だからだ…醜悪なことを穏やかで平凡に見せかける文句…私たちは負債とは何かを理解していない…まさにそのことが負債の力の基盤になっている…
芦北うたせマラソン2019 – 21.1km
初めてハーフにチャレンジした大会…苦しんだ記憶が蘇る…
その時は終盤足が攣ったにも関わらずキロ6分代で走った…
足を攣ることが信じられず、悔しさと情けなさが入り混じる中、引きずりながら走った…
何とかゴールしたその直後、視界が青くなり恐らく10分ぐらい身動きできなかった…
死ぬのかと思った…
例えば戦勝国と敗戦国は平等ではない…
敗戦国の戦犯は隅々まで問われる…
しかし原爆投下を指示したトルーマンが罪に問われることはない…
原爆は仕方なかったこととして広く認知されている…
より多くの犠牲を食い止めたとさえ…
負債にも同じトリックが潜んでいる?
お金のしくみ…
アナキズム…
負債とは何を意味しているのか…
貧困に必然性はあるのか…
国家は必要なのか…
禅への鍵
著 ティク・ナット・ハン
訳 藤田 一照
現代の日本において仏教といえば法事…
自分を見つめる方法から遠ざかっている…
ダライ・ラマにしろティクナットハンにしろ宗教が必要だと言う…
ひとつの道ではあるのかもしれないけど…
▶︎禅院
禅院は「院長」の指導のもとに置かれる…「知事」が運営をまとめ、それぞれの僧は「知日」と呼ばれる役職を務める…見習い僧(沙弥)は「侍者」として高位の僧の世話をする…僧たちは「報衆鐘」の音で朝四時に起床、座禅を行じ、続けて「勤行」が行われる…朝食をとったあと「般若心経」が読誦され、その後それぞれの仕事にとりかかる…お昼前の休憩を経て正午に昼食…身も心も食事に集中する…ふたたび作務を勤め、夕方七時には経典読誦、八時に学習と座禅、ぞの後就寝となる…
▶︎唯識学派
唯識学派は法(存在)を五つのグループに分類する…
・心王/心という現象(8種)
・心所/心的状態という現象(51種)
・色/物理的、生理的現象(11種)
・心不相応法/関係的現象(24種)
・無為法/無条件的な現象(6種)
合計100種の法がある…最後の無為法には「無条件的な真如」も含まれる…真如も法のひとつであるかのように書かれているが、唯識学派はこれを方便に過ぎないとしている…100種の法を認識するということは、仮定を受け入れるということ…
▶︎東洋の禅/西洋の禅
禅は中国文化の影響を受けた地域で勃興した仏教の一形態である…中国禅という木は、日本、ヴェトナム、朝鮮に移植され、見事に育ち栄えた…一方欧米は、鈴木大拙やエドワードコンゼなどの多大な貢献があり、エーリッヒフロムやユングをはじめとする多くの思想家に影響を与えてきた…しかし禅は模倣ではないのであり、依然として異質なものに止まっている…禅が西洋のものになるためには東洋とは異なる西洋の形態をもたなくてはならない…