Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 22 確かなもの
■ 23 疑うことと信じること

動物性のものを口にしたくはないし、誰もがそうあって欲しいと思っている…しかし例えば納豆は付属のタレをつけるし、市販のパンやアイスも食べる…お惣菜の野菜コロッケも食べるし、レースのときは現地のうどんも食べる…ほかは徹底して動物性を避けているが、デカルトの「方法的懐疑」に倣うと、完璧でない自分の菜食はすべて無駄だということになる…ヴィーガンにしろ肉食者にしろ、こう考える傾向はある…できることにフォーカスしたい…そこから広げることもできる…

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SHODAI

第7回 Shodai Adventure Mountain – 20km

急な感染拡大で中止も覚悟したが開催されて良かった…
3回目の参加…短縮コースではあったが走りの内容は良かったと思う…

開会式で健康、安全、平和を祈願…
明けて最初のレースで手を合わせる…
気持ち新たに今年も始まった…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 17 魂に対する態度
■ 18 意志

人は魂とか心とかで自らを差別化しようとする…
固有のものを持った存在だと思いたがる…
仮にそういうものがあるにしろ、特別なものなのだろうか…
孤立した「私」に付随する何かではないのか…

ロボットと人間を隔てるものとは何か…
そもそも人間は自然の中にいて独立してはいない…
勝手に「私」を作って勝手に孤立しているだけだ…

孤立(分裂)したものは引き合う…
もしかしたら人はロボットに対しても心を埋める何かを求めるのかもしれない…
しかしその逆はどうなのだろう…

ロボットも自然の外にいるわけではない…
しかしロボットに「私」という孤立が可能なのだろうか…

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Steph Davis

画像引用元

http://kirasienne.com/veggy.jp/archives/1422
http://kirasienne.com/veggy.jp/archives/1426

https://stephdavis.co
ホームページを見ると、自身を称して以下の言葉が並んでいる…
CLIMBER FLYER SPEAKER WRITER VEGAN FRIEND

ステフ・デイヴィスがヴィーガンになったきっかけはパフォーマンスを上げるためだった…その後フィジカルからエシカルへと変わっていったらしい…きっかけは健康とか環境とかパフォーマンスの向上とかが多いようだ…ヴィーガンを続けるうちに倫理的な側面が見えてくる…ステフも今では深い部分での理解を語っている…

自分のきっかけは急に襲ってきた気持ち悪さだった…鶏の「せせり(首の肉)」に吐き気を催し、しばらく肉が食べれなくなった…そのときネット検索でスコット・ジュレクを知った…トップアスリートが肉を食べないのなら何も問題ない…気分良く菜食へ移行した…当時は新しいチャレンジが新鮮で楽しかった…しかし様々な実態を知り、様々な考えに至り、伝わらない現状に苦しみ…気づいたら自然への意識を強く持つようになっていた…このブログにはその足跡が記されている…流れはステフに似てるのかもしれない…

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Snacks to Pack with Ashima

https://www.thenorthface.com/summer-base-camp/snacks-to-pack-ashima-shiraishi.html

白石阿島のヴィーガンクッキング動画…
自然を舞台とするアスリートにはヴィーガンが多いのではないだろうか…
この動画はノースフェイスの作成…
アウトドアブランドもほぼ漏れなく自然への意識が高い…

昔は自分もローチョコケーキなど作ったのだけど最近はサボってる…
そろそろ作ろうかな…
トレイルのレースにも補給食作って持っていけたら…
初心を忘れてるのかも

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 10 言語ゲーム
■ 11 家族のような類似
■ 12 言葉の意味
■ 13 私だけの言葉
■ 14 文法による間違い
■ 15 本物の持続
■ 16 ライオンがしゃべる

はじめに信号があった…
言葉を伴うことで虚構が始まる…

言葉はどこにあるのか…
話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと…
会話、SNS、手紙、挨拶…独り言も自分との会話だ…
思考によって始まり、終わる…

理性はあらゆるものを定置する…
理性の相棒である言語も定置する…
言語は虚構として在る…
国家やお金と同じだろう…

虚構(言語、国家、お金…)の共有はどうやって可能になるのだろう…
意味や概念ではなく、使用あるいはルールによるゲーム…
人が言語という虚構を共有する過程には言語ゲームがあるのかもしれない…

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HOME

遺伝子操作や培養技術は神の領域なのだろうか…
弓矢や斧、農耕、牧畜、道路や家屋…「操作」は文明とともに始まっている…
隔てるものはない…昔から行われてきたことだ…
何が違うのか…

私たちの生活環境を脅かすようになったとき…
倫理規範や社会構造を脅かすようになったとき…

例えば環境問題は自分たちの生活が脅かされてはじめてようやく目の前に現れてくる…実際はずっと前から水面下で進行していたものだ…技術の問題にしろ環境の問題にしろ、一定の行為が繰り返されている過程で、それがあるとき「問題」として浮上する…何かがリミットに達しようとしたとき、人は気づき、抵抗を感じる…しかしリミットがないと問題化しないことも問題ではないのか…

人の文明的行為の本質は変わらない…恩恵を得る代わりに何かを犠牲にしている…何かを狂わしている…人が感じるリミットは当然人の中だけにある…人にしか分からない…人の都合で問題化する…しかし技術の本質はリミットとは関係ない…その本質は歪みだ…

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Wittgenstein

ウィトゲンシュタイン、最初の一歩
著 中村 昇

*本の内容に限らず自分の考えを綴ろうと思う…

■ 1 哲学というのは、独特の感覚が出発点です
■ 2 私は世界だ

私という肉体がこの世に生まれた日(少なくとも自分で外気を吸い始めた日)ははっきりしている…しかし記憶を伴った「私」という存在はおそらくぼんやり始まったはずだ…「私」と「世界」はセットだ…「世界」は「私」とともに始まり「私」とともに消える…動物にも「私」があるように見えるがそれは本能に依るもので恐らく「私」は不在なのだろう(例えばイルカやボノボには「私」の萌芽みたいなものがあるのかもしれないが)…動物は自然であり、自然には答えしかない…理由や原因はない…理由を作る(見る)のは「私」であり「私」は「世界」を作る代わりに答えを失った…理性や思考は答えを失った状態に寄り添っているものだ…答えのある状態に理性や思考はない…「私」と「世界」の出現と「答え」の消失は人類最初の恩恵と犠牲なのだと思う…「私」のそばにはいつも「死」がある…「生」と「死」は別物なのではなく、同じものの別の側面だ…「私」とは一種の勘違いみたいなものだ…

バタイユの言葉…
死はこの世がまやかしであることを暴露する…
突如として現実世界が嘘であることを告げる…
(「宗教の理論」より)

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