Drinking Molotov Cocktails with Gandhi

モロトフ・カクテルをガンディーと(2015)
著 マーク・ボイル
訳 吉田奈緒子

テッド・カジンスキーを取り上げて著者を批判しようとは思わない(そもそもカジンスキーの評価には慎重になるべきだろう)…ただ、ほぼ賛同できる内容でありながら、どうしても埋められない溝を感じたのも事実…

注目したいのは「暴力」という言葉を使っていること…自分とほぼ同じ意味で「暴力」を使っている…ただそのルーツへの言及が抜けてるように思えた…ルーツは構成員それぞれの知性にあると思っている…社会の上から下へとかその逆とか、あるいは多から少へとかその逆とかは関係ない…どんな境遇の人であれその思考の中に暴力は潜んでいるのだと思う…そもそも社会を作っているのがその暴力ではないだろうか…ホッブズの自然状態が正しいと言っているのではなくて…もし正しいとするなら、それは構成員が知性への隷属状態にあることが条件だ…人は知性だけではない…本性は身体にある…違う選択もできるはず…

暴力を扱う思想家にしても知性の暴力を回避することはできない…ただ、思想家と呼べる人たちは知性を少なからず疑っているように思える…知性の暴力から逃れ、距離を保っているのではないだろうか…芸術家に備わるもののようにも感じられる…政治家や企業家にもそういう感性を持った人はいるのだろう…ただし彼らの主な任務は暴力を遂行すること…暴力とは知性に主導権を握られることで生まれる…知性の奴隷になることで…

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Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

植物にとって「場所」とは直接的であり、その結びつきは強固だでは私たちは場所から自由なのだろうか私たちも植物同様、場所に依存している「場所」は私たちの一部だ

▪️第2章  「場所」に生きる 1/2

「我々に人間という姿を与えてくれたこの惑星がなかったなら、我々はどうして存在できよう。重力、それに氷点と沸点のあいだにある生存に適した気温、この二つの条件が、我々に体液と肉体をもたらした。我々がよじ登る木、そして踏みしめて歩く地面が、手足に五本の指を与えてくれた。「場所」が遠くを見渡せる二つの目を与えてくれた。川の流れとそよ風が、自由に動く舌と渦巻く耳をくれた。大地は歩くことを、湖は潜ることを教えてくれた。我々に人間の心を授けてくれたのは自然の脅威だ。それに感謝し、謹んで自然の教えを受けるとしよう。」(p61

「ウィルダネスと個人の小規模な農場。この両極端な土地に挟まれた領域は、穀物の栽培には向いていない。かなり早い時代、耕作に適さないこの土地を、部族や村の人々は共同で使っていた。野性と半野性の入り混じったこの地はきわめて重要な意味を持っている。ウィルダネスを健全な状態に保つためにも、この領域が必要となるのだ。というのも、ここはウィルダネスの植物が過剰に繁殖したときや、動物が避難するための、大きな生息地となるからだ。さらに、農村の経済にとっても欠かすことのできないものを提供してくれる。この変化に富んだ環境が、個人所有の農場では望めない多くの必需品や快適さをもたらし、また、ここで獲れる鳥獣や魚が、菜食中心の食生活をより豊かなものにしてくれる。食料に加えて、この共有地は、薪、家を作るための柱や石、陶器を作るための粘土、薬草、染料となる植物なども提供してくれる。なかでもここが重要なのは、ある季節、あるいは一年を通して、ウシ、ウマ、ヤギ、ブタ、そしてヒツジなどの放牧地として利用できるからだ。」(p63

ここで語られる「共有地(コモン)」は、斉藤幸平さんの言う「コモン」ともちろん同じ意味だアプローチは違うかもしれないが繋がっている…

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GOKAYAMA-SEFURI

第4回 五ケ山・脊振クロストレイル – 32km

福岡と佐賀を走るレースに初参加…会場まで車で片道3時間半…遠かった…メイン会場にある五ケ山ダムを下から見上げるとまるでウォールマリア…走れるトレイルが多く自然の中を進む心地よさを感じることができた…急登の苦しさも身体を満たしてくれた…

慢性腰痛には波がある…今回は悪い周期にきてた…注射はせずキネシオとチタンテープに望みを託した…とりあえず軽度の痛みで済んだのでセーフとしたい…後半は着地が少し辛かった…レース前は腰痛で途中危険も想定するほどビビってた…一方で結局最後まで行くんだろうなと現実逃避に近い楽観視も…何とかなるものだ…

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FIT

成功や獲得や達成は私たちに正解を見せてくれる…ただそれは調和とか適応とは違うものかもしれない…手に入れることだけではなく、手放すことも必要なのではないだろうか…できることを少しずつでいい…この社会は元々私たちにフィットしていない…争い、貧困、ゴミのことはもちろん、そもそも身体にフィットしていない…地球と身体に、つまりその能力にフィットしていない…精神的ストレスと環境破壊は同質のものだ…

知性が身体を借りて見ようとする…
知性が身体を侵食し始める…
目は曇り始める…

答えを見失い意味が始まる…
より優位に、より便利に、より刺激を…

バーチャルが始まる…
喪失が始まる…

私たちは無理をしている…
背伸びしている…

恩恵と犠牲は新たな調和なのだろう…
この世にプラスチックが生まれても、
そのうち私たちがいなくなるにしても、
何の不足も余剰もない…

それでも私たちは求める、苦しむ…
フィットしていないから…

私たち動物に本来備わるものがあるとして…
その何かとうまく付き合うべきなのだろう…

まだ覚えているなら…

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DROITE

菜食の人たちも、肉食ありきの人たちも…
みなさん平等とか権利が好きかもしれない…

自分がそれらを翳すことはない…
むしろ平等とか権利を警戒している…
そこには暴力が隠れているから…
だから知性との付き合いかたを考えている…

平等とか権利は「私」の産物…
人社会特有のもの…
野生にそんなものはない…
動物に権利があるはずない…
可能なら動物には関わらないことだ…
それぞれの生き方を尊重したい…

野生に「食べ物」は存在しない…
「エネルギー」も存在しない…
それらは人が作り出しているもの…
人が意識したときに始まっているもの…
「平等」もない…
平等ではないということではなくて…
平等も不平等もないということ…
バタイユが言うように、そこは水の中の水…
食べ食べられることに優劣があるわけではない…
優劣は私たちが見ているに過ぎない…

だからピーター・シンガーには賛同できない…
動物に権利があるとするなら、
それは人社会に巻き込まれない権利だろう…

平等は私たちの知性の産物…
本来を装っているが違う…
私たちが発明したもの…

自分の菜食の話は他と違うかもしれない…
倫理の話ではないし強制するものでもない…

もっと感覚的なもの…
もっと澄んだもの…
それを大事にしたいだけ…

必要なら動物も食べる…
必要ないなら食べない…

そしてできれば食べて欲しくない…
自分だけさっぱりしてても悲鳴は消えないから…

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フィッシュマンズ

画像引用元

フィッシュマンズ(2021)
監督 手嶋悠貴

今更ながら音と言葉が響いたから…
まっすぐ生きている人を見るのは気持ちいい…
逆に辛いのかな…

佐藤氏と同い年だ…
同じ時代を生きていた…

彼らのデビューは1987年…
自分がテープ録音とか芝居やってたときのこと…
大したことしてなかったけど…
ただ何となく自分とダブらせてしまった…
同じ時代や空気の中にいたのかな…
眠ってた何かが同期する…

すばらしくナイス…

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LIFE-SIZE

どう生きたいのか…

生きていることを感じたい…
身の丈でいたい…
無理はしたくない…
心穏やかでいたい…
のんびり生きたい…

でも私たちは常に大袈裟で都合がいい…
等身大で考えるわけではない…
考えることが等身大の否定なのだろう…
知性はいつも大袈裟で都合がいい…

ガザの話をしたら大袈裟と思うかもしれない…
身の丈でないし、もっとやるべきことがあると…

確かに大袈裟だ…
そして都合がいい…

ただ、ガザは私たちを映し出している…
私たちはいつでもアイヒマンになれる…

薄っぺらい否定…
マルクスの間違いは歴史が証明してるとか…
菜食主義に対して植物も生き物なのにとか…
つまらない…

街に下りてきた熊の方が悪い?
仕方なく殺すとしても、
あとから入ってきたのが私たち…
どこかの島を実効支配して我が物顔するのと同じ…
先住民を虐殺して移民文化を築くのと同じ…
コロンブスは英雄ではない…

どこまでも都合がいい…
それが知の正体…

動物愛護とか全く興味がない…
絶滅危惧種も放っておけばいい…
屠殺、環境汚染、飢餓…それ自体に興味はない…

数多の問題解決に口出しする気もない…
それは政治…とりあえず興味の核心ではない…
できることを少しずつ…

興味があるのは人の知の在り方…
それを踏まえた態度、謙虚さ…
さらに「意味」ではなく「答え」…

私たちは自分が加害者ということを認めない…
或いは気づかない…
そして私たちは加害者以外にはなりえない…

だからとりあえず認めることから始めたい…
そこからしか始められない…

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DÉSIR

動物の世界に競争はない…動物、植物、鉱物、大気、海洋…それらは野性の摂理を体現しているに過ぎない…人はいつからか野性から逸脱した恩恵の奴隷となり、相応の犠牲を生産するようになった…

競争は「私」が生まれたことに起因する…肥大化した脳は「私」を作った…それは身体に備わる自己ではない…つまり動物の反応とか縄張りを語るときの自己ではない…「私」は他者との間に差異を認め、損得や優劣を感じ取る…所有や権利や道徳が生まれる…

私たちは答えを失くした動物だ…バーチャルな世界を生きている…答えではなく意味を求めている…より優位に、より便利に、より刺激を…最初は極めてゆっくり且つ希少なものだった…しかしその中で今日の競争社会の準備は進んでいたのだろう…

違う道を歩んだ人たちもいる…現存する少数部族やネイティブ・アメリカンなど…ただ、いま彼らは西洋の影響の中にあり、すでに屈してしまったケースも多く見られる…西洋は「私」が主導権を握った文明だ…周りのものを飲み込む力を持っている…その強さは暴力の本質でありハラスメントなどと同種のものだ…

競争社会は是だと考えるのは当然のことだろうか…人社会は恩恵と犠牲を作り出す…蛇口を撚れば水が出るということは、何かを犠牲にしているということ…再生可能エネルギーも例外ではない…人類が少数だったころは問題ではなかったかもしれない…しかし今分岐点にいることは否定できないだろう…争い、ストレス、貧困、差別、病気、ゴミ、環境破壊…自分の或いは誰かの首を絞めている…

だからこそ必要なものがある…それは何らかの節制に関わるものだ…規律かもしれないし、教訓かもしれないし、神話かもしれない…仏教やネイティブ・アメリカンの世界にあったもの…

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Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

▪️第1章 野性の教え

「コヨーテとジリスは、互いの協定、つまり<狩るもの−狩られるもの>の関係を破ることはない。…我々は生命や世界を形作る「力」の恩恵にあずかっているのだ。…だから人間に対してはもちろんのこと、すべて生あるものに対して無益な殺生をすべきではない。…これは野生の教えである。…我々の仕事が困難を究めたとしても、少なくとも私は、これまでどおり野性のために働きたい。」(p18)

「我々の肉体は野生である。…意識的に予定を立てたりする自我(エゴ)が占める領域はごくわずかなものだ。それは精神の入り口近くにあって出入りを監視する小さな部屋、それ以外の精神の領域は自我の世話にはならない。肉体は、いわば精神の中にある。どちらも野性だ。」(p40-41)

精神と肉体は不可分であり野性であり完全なもの…分つものとは、人特有の「知性」であり人特有の「私」なのだと思う…

「一体だれが『精神』は、思想、見解、観念、概念のことだと言ったのだ。精神とは木であり、門柱であり、瓦であり、草のことである。」(p46)*道元の言葉の引用

https://hitkeas.com/2024/01/13/sauvage/
https://hitkeas.com/2023/12/08/ध्यानं/

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