Jiddu

The First and Last Freedom
Jiddu Krishnamurti

▪️第2章 私たちは何を求めているのか
「神」を発見する旅に出る前に、まず自分自身を理解すること

「全く当たり前のこととして、私たちは喜びを求め望んでいます。これはひどく乱暴な言い方かもしれませんが、現実に私たちが望んでいるものとは、私たちに喜びを与えてくれるような知識や経験や、明日になっても凋んでしまわないような満足なのです。私たちは満足感を与えてくれるものを今日までいろいろと実験してきました。しかしその結果、それらすべてがはかなく消えてしまったのです。そこで今度は、「真の実在」といったものに恒久的な満足を見出そうとするのです。…ところで、永続する満足とか持続するものは、果たして存在するのでしょうか。…真理というものは、あなたが考えているものと全く違うものかもしれません。真理というものは、あなたが見たり、想像したり、公式化したりできるようなものとは全く異質なものである、と私には思えるのです。…それでは、この求めている人と、求められている対象とは違ったものでしょうか。…それらは別個の過程というよりはむしろ、一つの一体化した現象ではないでしょうか。従って、求める対象を発見する前に、それを求めている人間、すなわち「私」を理解することが、とりわけ重要なことではないでしょうか。」(p21-22)

「自分自身を知るということ−この大切なことを私たち人間は無視しがちです。自分自身を知ることこそ、何かを築きあげることができる唯一の土台なのです。」(p23)

1章と違う切り口ではあるが、ほぼ同じ内容が語られている…クリシュナムルティは真理(神でも道でも自然でも生でも一切でもいい)のことは語らない…それぞれで見つけないといけないと言う…僕の考え方だと、それは言葉がとらえる「対象」となりえないものだ…従って思考は「分からない」と言うしかない…何かが「在る」というよりも、それは「一切」なのだろう…逆に私たちが思考できるもの、つまり「私」とか「国家」とか「机」とか「風」とか、それらは思考の中にしかない…

何かを信じていると言うよりは、とにかく知り得ないものがあって、それを無視するとロクなことがない…だからできるだけ逆らわないようにしたほうがいい…でも正直どうしたらいいのか分からない…永遠に手探りなのだろう…少しでも無理がなく平穏でいられるならそれでいい…