Jiddu

The First and Last Freedom
Jiddu Krishnamurti

生きていることと、人社会で生きることは違う人社会とは、言葉、思考、道徳、欲望などが形作る世界のこと人社会に合わせようとすればするほど、なにか抜け殻になるように感じてしまう人社会で成果をだすことは鈍くなるリスクを孕んでいるのではないか組織に入ったり、投票したり、資格を取ったり、お金を稼いだり、営業や宣伝をしたり、便利や勝利を追求したり、熱狂したり…そんなことは望んでないし不快だしズレを感じる…ただ今を生きたい

▪️第1章 はじめに
あるがままのものを、あるがままに見よ

サブタイトルは Thich Nhat Hanh の言うマインドフルネスとリンクする態度、準備に関わる言葉だろうそれがすべてではないかとも思う

「真理は誰か他の人から与えられるものではなく、あなたが見つけ出さなくてはなりません。…私たちが自分の置かれている生活背景や偏見に従って物事を解釈したり、説明しはじめたとき、すでに私たちは真理を取り逃してしまっているのです。」(p5)

 「あなたはバガバッド・ギーターや、聖書や、政治や心理学に関する最新の論文をひもとくかもしれません。しかしそれらはいずれもかつてもっていた真実の響きや本質を、今はすでに失っていることに気づかれることでしょう。…単に他人の言ったことを繰り返してみたところで、何の意味もありません。…あなたがそれを繰り返せば、あなたはすでにあなた自身の「今の状態」を理解することをやめてしまっているのです。あなたはあなた自身の混乱を、権威ある言葉で覆い隠しているに過ぎません。」(p8)

「あるがままのものを認識し追求していくためには、きわめて鋭敏な精神と柔軟な心を必要とします。…あるがままのものは絶え間なく活動し、絶えず変化しているからです。…もし精神が、信念や知識というようなものに束縛されていたりすれば、その精神は追求をやめ、あるがままのものの素早い動きを追わなくなってしまいます。」(p6)

これらの言葉も何の意味もない…

クリシュナムルティが「精神」という言葉をどう捉えているのかまだ分からないが、僕は「精神」という言葉に特別な地位を与えるつもりはない…精神を心とか魂に類するものと考えるなら、それは「身体」の属性だと思っている…おそらく他の動物や植物にも備わるもの…思考や知性に類するものと考えるなら、それは対象化する装置だ…デカルトのような二元論ではなく、スピノザのような汎神論で考えたい…思考そのものは「自然」かもしれないが、思考が見せてくれるものまで神は面倒を見ない…