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野生の思考とは、神や自然への恐れや敬意を失っていない思考のことだと思っている…サルトルの示した人間とは、西洋人であり、神が死んだ後の科学的思考による人間だった…サルトルの言う「自由」はよく理解できる…それは「答えを失くした」ことと同義だと思うから…ただそれを、政治参加を含め、個人の道徳の話に昇華させるような論調には強い違和感しかない…サルトルは神の死後もまだ人間(西洋=科学的思考)を信じていた…レヴィ=ストロースはそういうサルトルを戒めたのではないだろうか…以下はレヴィ=ストロースの菜食に関する言葉…
In the 1980s, he discussed why he became vegetarian in pieces published in Italian daily newspaper La Repubblica and other publications anthologized in the posthumous book Nous sommes tous des cannibales (2013):
A day will come when the thought that to feed themselves, men of the past raised and massacred living beings and complacently exposed their shredded flesh in displays shall no doubt inspire the same repulsion as that of the travelers of the 16th and 17th century facing cannibal meals of savage American primitives in America, Oceania, Asia or Africa
1980年代、彼はイタリアの日刊紙『ラ・レプッブリカ』やその他の出版物に連載した記事で、菜食主義者になった理由について論じている。これらの記事は死後出版された『我々は皆、人食いである』(2013年)に収録されている:
やがて来るであろうその日には、自らの糧を得るために、過去の人間が生き物を飼育し虐殺し、その引き裂かれた肉を平然と陳列していたという考えは、16世紀や17世紀の旅行者たちがアメリカ、オセアニア、アジア、アフリカの野蛮なアメリカ先住民の食人族の食事を目の当たりにした時と同じ嫌悪感を、間違いなく呼び起こすだろう。