道-Tao

荘子 NHK「100分de名著」ブックス
著 玄侑宗久

*以下は本文を読んで、自分の思うこと…

第3章 自在の境地「遊」

「意味」とは、ある種の「見返り」「成果」を求めることだろう…
過去への意識…理由、原因、積み上げたこと…
未来への意識…目標を持つこと、計画、推測すること…
それらを無に近づける…
「無為」とはそういうことだろう…
すべて捨て去ろうという話ではない…
振り回されないこと、緩めること…
無償でありたい…

無為が徹底されると、他者への理解とか思いやりが欠けてしまうかもしれない…伝えたり教えたりすることに支障があるようにも思える…要は言葉に振り回されないこと…だからクリシュナムルティは弟子を持たなかったのではないか…グルジェフも煙に巻くようなことを話したのではないか…禅の公案も同じこと…

免許とか資格が嫌いだ…
ハウツー本も嫌いだ…
仏教や道教までもが「成功」に利用されている…

「遊」とは「芸」とか「技」に関わることではないだろうか…書道にしろ、サッカーにしろ、ピアノにしろ、一種の芸、技と言えるものは、身につけるための訓練を要する…しかし字が達者になれば、無駄な力を入れずに綺麗な字が書けるようになる…無駄な力と言葉は似ている…レヴィ=ストロースの言うブリコラージュに通じるものではないだろうか…

第4章

すべては等しい…それはつまり、所謂「平等」ということではなくて、すべては人が作る価値とは相入れないということではないだろうか…対象化できるものではないし、測れるものではない…「自由」も「不自由」も「平等」も「不平等」も作り物に過ぎない…「生」も「死」も「私」も「あなた」も…それらは人社会或いは人の意識の中にだけあるもの…人が発明したもの…決して人の思考や産物を軽視するわけではなくて…混乱や暴走につながりやすいから…

生があるとするなら、その逆は無だ…生とは、一切であり、自然であり、道なのだろう…私たちの生は私によって死を伴うようになる…切り取られ、写されることで個が生まれ同時に死と隣り合わせになる…死とはバーチャルであることの属性だ…個が消える時、死は去っていく…

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