Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

プラスチックは非自然ではない…電気も核エネルギーも非自然ではない…自然以外のものはありえない…ただ、いつもデカルトが悪者になるのだけど、「我思う故に我あり」のあと、自然と人の知的行為は分離してしまったらしい…神が少しずつ力を失い、お金やテクノロジーがそれに代わった…しかしこの流れはデカルトに始まったものではないと思う…狩猟採集時代、もうすでに始まっていたのではないだろうか…人は知性によって見えなくなった…聞こえなくなった…答えを失った…この世に非自然なるものはないけど、人が作る意味は少なくとも答えではない…作り物だ…「私」や「あなた」でさえ…

▪️第5章 青山はいつも歩いている

「いま、目の前にある山水は先覚者たちの悟った境地の具体的な現れである。山は山になりきり、それぞれ現象を通して本来の完全性を実現している。山水は、無限の空以前からの姿だから、いまも、目の前で活動している。それは、万物形成以前からの自己だから、自由自在に実現している。」(p180

「「山水」というのは、大自然の営みの完全性を表現する言葉である。それだから、清浄と汚染、自然と人工という対立をはるかに超えたものだ。大自然全体の中には、川や谷ばかりではなく、農場も、畑も、村落も、街並みも、それに(かつては比較的小さかった)人間の住む俗塵世界もまた、明らかに含まれているのだ。」(p188-189

「道元の関心は、「聖なる山」、つまり、巡礼や巡礼講といったこと、あるいは何か特別な意味でのウィルダネスにはない。道元のいう山水とは、この地球の生成過程であり、存在そのもの、過程、本質、行為、不足であって、存在も、非存在も、ともに含んだものである。山水は我々そのものであり、我々は山水そのものだ。本性を直接見ようとする人にとっては、「聖なる」という観念は妄想であり、邪魔だ。そんな観念のために、目前の存在、あるがままの存在、肝心の「これ」から、我々は目をそらせてしまう。根っこも、幹も、枝も、みんな同様にざらざらしている。階級もなく、平等もない。秘儀的でもなく、開放的でもない。天才もいなければ、のろまもいない。野性もなければ、栽培もない。束縛されもしなければ、自由でもない。自然でもなければ、人工的でもない。それぞれが、まったく独自な、つかの間の個である。そして、すべての存在は、あらゆる形で関わりあっており、あらゆる形で相互に関わっているからこそ、独自な個なのだ。」(p190

「龍魚が水を宮殿と見るのは、人間が宮殿を見るのと変わりないだろう。決して流れるものとは見ないはずである。もし第三者がいて、「お前が宮殿だと思っているには流水だ」と言ったら、我々が、いま、「山が流れる」と聞いて驚くのと同じように、龍魚はさぞ驚くことだろう。」(p199-200

「人類は大いに潔癖を好み、血や、汚染や、腐敗をひどく嫌う。「聖なる」ものの反対側にあるのは、地中に埋められた愛する人の身体から、うじ虫がぽとぽと落ちる光景だ。コヨーテ、オルフェウス、それにイザナギノミコトも、みんなそれを見せつけられた。これが愛する人との別れなのだ。恥、悲嘆、当惑、そして恐怖は、暗黒の想像力の嫌気性燃料である。こうした野生世界のエネルギーについては、なじみが少ないものの、それを想像し類推するとき、我々は、内なる精神のエコロジーを感じるのである。」(p204-205

「物語というものは、我々がこの世に残す一種の痕跡だ。文学もすべて痕跡である。」(p206

「私は思うのだが、原初的生活を営む民族も、自分たちの神話が「こしらえられた」ものだと、みんな知っているのではないか。だから、神話を文字通りに受け止めるわけではないが、同時に、その物語を非常に大切に扱う。歴史に踏み込まれたり、何か外来の価値観にやっつけられそうになったときにのみ、彼らは、自分たちの神話は「文字通りの真実」と主張し始めるのだ。ただ、こうしたことで、逆に、神話への懐疑論を招き、批評の対象にされる結果となる。しかし、神話の役割をめぐるこのような混乱も、最終的には実に見事な結論に至る。つめり、神話とは、そのまま信じるものではないが、それなしでは無秩序なこの世界に対して秩序をもたらす自発的な参加を促す、美的、心理的複合心象である、という主張だ。これに対する良薬が、道元の言葉だ。「万物は、自由で何ものにも束縛されないとはいえ、それぞれの現象の中に安住していることを学ばなければならない。」「山水経」はこう評されている。この経は、「而今の山水」が、本文、象徴体系、鏡像の世界だと説くものではなく、この世界は、現実そのままで完璧な表現であり、ひとつの法則だが、それが何かを意味するわけではないことを説いている経だ、と。」(p207-208

ここに何かを残したいもしかしたらクロマニョン人が動物の絵を洞窟に残したのも同じ気持ちからなのではないだろうか誰かに伝えたいしかし私たちは一人だ私たちは分かり合えないせめて生きたこの世界に何かを残したい会話という消えていくものではなく、痕跡を残したい

1 thought on “Snyder”

Comments are closed.