Irreplaceable

いのちを食べることは特別な話ではない…私たちはそうやって環っている…気にしているのは「代わりのなさ」だ…「掛け替えのなさ」と言い換えることもできる…私たちにとって最も代わりがないと感じるのは同じ人間であり、逆に菌類や植物にそれを感じることはないだろう…対象が身近であればあるほどその消失は「死」を強く伴い、消すことは「殺す」ことと感じる…逆に遠ければその感覚は弱くなる…同種である人は殺したくないし食べたくない…同じように多くの動物にも「代わりのなさ」を感じる…だから食べたくない…「代わりのなさ」は均衡を保つために何らかの役割を担っているように感じる…「食性」とも深く繋がっているのではないだろうか…おそらく多くの動物も、同種や家族だけではなく、私たち人間を含め、別の種に対して「代わりのなさ」を感じることができるのだと思われる…人を含め多くの動物は数多の契機を経て家族として同種としてその対象を受け入れていく…ときには肉食動物が食性を超えて親しくなるケースもある…異常ではなく動物に備わるごく自然な資性と思われる…

現代の人社会において「代わりのなさ」を感じ取る契機はいくらでもある…逆に意図的に隠されてもいる…ずいぶん前に、人はやむを得ず動物を食べ、味わうことも覚えてしまった…ただしずっとその死は厳かなものであり、祝祭においては供犠として神に捧げるほどだった…現在、特に先進国において、動物の死は感覚的に閉ざされ、食べ物として分離した「肉」が食されている…「代わりのなさ」に付随する死の厳かさは無いに等しい…人は知性と知性が作る環境によって分からなくなっている…受け継がれている食性も分からなくなっている…それは環境が破壊されることと変わらない…私たちは文明の暴力の影に隠れた犠牲に対して、もっと想像力をはたらかせるべきなのだろう…海や農地やガザや腸内や屠殺場に対して、もっと憶いを馳せるべきだ…

SAUVAGE

IRREPLACEABLE Ⅱ

IRREPLACEABLE