わら一本の革命
著 福岡正信
追章 ”わら一本”アメリカの旅 – アメリカの自然と農業
「自然がなくなったら本当の思想は生まれないんじゃないか、という考え方を自分は持っております。人間の感情とか思想とかいうものは、皆さん、頭からひねり出すように思っているかもしれないが、自分はそうではないと思っている。人間の感情などはどこから出てくるか、ということです。花を見て美しいという。今日は暖かい、寒いという。今の何はおもしろかった、おもしろくなかった、愉快だ、愉快でない、悲しい、さみしいとかいう。こういう素朴な感情というのはどこから出てくるか。アメリカへ行ってみると、頭から出てくると言います。日本人は胸から出るというようなことを言う。では、頭や胸から、花は美しいという言葉が出てくるか、ということです。涼しいという。何で涼しいのか、です。科学者によれば、温度が何度以下だったから涼しい、と言うかもしれないが、科学的な説明に過ぎない。さわやかな風が吹いたから、さわやかだ、と。これはやっぱり自然にわくもんだ、自然からわいてくるものだと思います。」(p243)
自然から湧くものが分かっているだろうか…何を食べたらいいのかも分からないし、走っても楽しさを感じることができない…Thich Nhat Hanhが食べることや歩くことを通じて伝えたかったこととは何なのか…
「自分は何にもしないことをするために、しないように、しないようにしてきただけだ。四十年かかって、ああしなくてもいいんじゃないか、こうしなくてもいいんじゃないか、というやり方の百姓をやってきただけにすぎない。人生にはこういう目標がある、どういうのが生き甲斐であるなんて言うけれど、人間には目標なんかもとからありはしない。何ををしなければいけないとうことも一つもありはしなかったんだ、ということを四十年前に知った。人間が勝手に設定しただけにしかすぎない。豊かになる、幸福になるという錯覚をおこして、仮の目的をこしらえたにすぎない。何もしなかったら、いちばんつまらん、生き甲斐のない生活かというと、どっこいそうじゃない。反対だ、と。何にもしない。何も目標がない。のんびり昼寝しておって、いちばん愉快な世界はそこに展開されているんだ。人間は何もしないようにするしかないんだ。もしも自分が社会運動をするとすれば、なにもしない運動をするしかしようがない。すべての人がなにもしないようにしたら、自然に世の中は平和になるし、豊かになるし、言うことはなくなってしまう」(p252)
人は答えを失くした…変わりに意味を作った…私たちは人社会の中に答えがあると思い毎日生活している…しかしそこには作り物しかない…答えはない…道徳も作り物にすぎない…それはフィットしていないということ…自分や誰かや木々や動物を苦しめたりするということ…そして土に還ることを受け入れることができないということ…
「アメリカの農民や国が豊かなんじゃない。実は貧乏国だ。食べ物はまずいし、大地はやせ、資源も何もありはしないじゃないか。ないから、石油を買い取って、それで食糧生産して、外国へ出して、それを武器にして、ある意味で言ったら世界中を支配できるような錯覚をもってきているんではないか。あなたの国が本当に豊かな、自然に恵まれた、生命の泉のような食糧を作って、国民全部のものが豊かな食生活してごらんなさい。そうすれば、何もよその国へ出すことはなかったんだ」(p254-255)
ホセ・ムヒカ元大統領と気が合いそうだ…貧乏とはもっともっとと欲しがることらしい…
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