わら一本の革命
著 福岡正信
第5章 病める現代人の食 – 自然食の原点
「自然食の目的は、上手に解説していろいろの食べ物を選択する知恵者を造ることではない。自然の園から食物を無心にとっても天道にそむかない、無智の人間を造るためのものである。」(p206)
「もし人が真人であり、心身が真に健康であれば、人間は自然の中から誤りなく正しい食べ物を無分別でとる能力が自然にそなわっているはずである。」(p219)
核心は歴史とか栄養ではない…身体に問いたい…人はデフォルトで動物を食べたいと欲すのだろうか…動物ではなく加工された「肉」を食べたいだけではないだろうか…それは本性なのだろうか…何れも壊さず傷つけず、心地よければそれでいい…しかし人の知的操作は相応の歪みをもたらす…外部も内部もない…ひとつの歪みがある…
人が病気になるその流れは、人の存在そのものを病的なものに変えてしまった…いま人は地球の癌細胞になっている…街や砂漠はその結果だ…必要なのは感謝と節度と、それらが育つ環境ではないだろうか…例えばネイティブ・アメリカンや仏教が伝えてくれるもの…
「自然には万物があって、あり余ることがなく、一物が不足するということもない。自然の食物は、一物全体で、一物全体の中に、味肥前復帰の覚、滋味、妙味のすべてが凝結せられている。自然はいつも一物全体であり、全体また一物であって、完全無欠、調和のとれたものとなっていることを肝に銘ずべきである。人間の尺度、取捨、選択、調理、配合を許さないのは当然である。」(p219-220)
「舌先の味覚を追う虚食や、食物を単に生物的生命を維持するための科学食品と考えている人達には、自然食は無縁で粗末な原始食としか考えられないだろうが、彼等も自分が病体であることに気づき始めたときから、自然食に関心をもち始める。病気は人間が自然から離れたときに始まり、その遠離の程度に応じて重態になる。だから病人は自然に還れば、病気も治るのは当然である。自然離反が激しくなるに従って病人が激増し、自然復帰の願望も強くなる。だが自然復帰をしようにも、その自然が何か、自然体が何かわからないから困る。」(p220-221)
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