Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

2冊の本は頻繁に交差する…
スナイダーと福岡さんの本…
どちらを読んでいるのか分からなくなる…

▪️第4章 良き土地、野生の土地、神聖な土地

「ソローはウォールデン池の辺りで暮らしていたとき、「土壌に〈豆〉と言わせよう」と試みた。我々の概念では、土地の生産性を高めることは悪いことではない。しかし、ソローがしたように、人間が余計な世話をすることなく、土地を「自然の企み」に任せたとき、母なる自然はどんな恵みをもたらすのか、それを考えてみる必要がある。さらに、その場所における植生の可能性がどれほどのものであるかという問いへと続く。すべての土地は、荒れ果てていようと、開発されていようと、もし自然ーー道教でいうジラン、つまり、「なるがままの自然」ーーに任せておけば、本来の生物学的生産性と安定性のバランス点(極相)に落ち着くはずだ。精巧な脱産業型「未来型原始」農業では、「自然の流れに逆らうことなく、ともに歩む方法」が求められるだろう。」(p167-168

「「耕作」という言葉の語源をたどってみると、「耕す」「向きを変える」になり、おおむねそれらは自然のプロセスから遠ざかる動きを暗示している。農業について言えば、それは「自然遷移を抑え、単一栽培を確立する」ことになる。精神面から見ると、この言葉は、宗教的権威、長きにわたる机上の学問、あるいは二元論的(被造物と創造主の厳格な区分による)信心主義への服従を意味してきた。そして、すべてを支配する「中央集権化」した神性へとつながる。これこそ究極の狙いだ。これを精神的に実践しようとすると、ときには自然に対する一種の戦争となる。それは動物の上に人間を置き、その人間の上に神性を位置づけようとする試みに他ならない。」(p168)

「古代中国の「道教」によれば、「鍛錬」とは人の中にある野生の部分を教化することではなく、人に独断や偏見を抱かせる前提を取り除くことを意味している。荘子は、「あらゆる社会的価値は偽りであり、我欲を招くのみ」と教えている。仏教では中道の道を説き、貪欲、憎悪、無知を自我の本性と認めた上で、自我それ自体を「真」の人間存在に対する無理解からくる無知や妄想の現われと考える。組織化された社会は、人間の欲望を刺激し、その弱さにつけ込み、さらに食い物にすることもある。またその社会が、寛容や友情、そして友情を育むこともある。「徳」の政治学に携わるのはそのためだ。少しばかり密かな誓いをたて、社会に対して同情や見識を深めるために働くか否かは、あくまでも一人一人の人格の問題である。日々その誓いを現実のものとするには実践あるのみ。それが我々自身の自然(本性)と母なる自然を理解する手掛かりとなる。」(p170-171

「自己中心的な人間のエゴに問題があるのは、誰もが認めるところだ。人間のエゴとは、野生、あるいは自然を反映したものなのだろうか。私はそうは思わない。洋の東西を問わず、文明それ自体がエゴの種子であり、エゴを制度化したものが国家という形態になる。我々が脅威と感じるのは、カオス[無秩序]としての自然ではなく、国家が秩序を作ってきたというその傲慢な考え方である。欧米の実業界や政治的、宗教的サークルには、自然界に対するほとんど度し難いほどに無知な態度が見られる。自然には秩序がある。自然界で一見無秩序に見えるようなものは、実は高度に入り組んだ秩序に他ならない。」(171-172

「すべての荷を背に、息をつきながら一歩一歩山道を登り、雪原へと入ってゆく荒野の旅人。その昔ながらの姿は、精神と肉体の奥底からわきあがる喜びにあふれている。もちろん、バックバッカーだけではない。大洋を航海する人、カヤックで川やフィヨルドを行く人、庭の手入れをする人、ニンニクの皮を剥く人、座布団の上に尻を置き瞑想する人、すべて同じ。大切なのは、現実の世界、現実の自己に深く触れることだ。「聖なるもの」は、我々(人間だけでなく)を、小さな自己から、山河宇宙の曼荼羅へと導いてくれる。教会から一歩外へ出れば、精神世界が終わるのではない。寺院としての野性は始まりに過ぎない。非日常的で特殊な世界に安住の地を求めてはいけない。また、政治の泥沼を忘れ、永久に高揚した精神世界へ逃げ込んでもならない。なぜなら、このような精神世界の探究やバックパッキングの旅などの究極の狙いは、再び低地に戻って、我々の身近な世界を再認識することにあるのだから。農地、郊外、そして土地といった場所も、同じテリトリーの一部であり、けっして完全に崩壊してはいないし、まったく自然から離れているわけでもない。回復は可能だ。それができれば人間は、自然の中で多くの仲間たちとともに生きることができる。我々が街をぶらつくように、ヒグマもともに歩き、サケも上流で我々と泳ぐ。」(p175-176

知性は答えではなく、意味を求める…
達成…
成功…
成果…
勝利…
成就…
成長…
正解…
進歩…
それらはそれであることで答えとして振る舞い、知性を補強する…
それらは歪みを作る…
何かを犠牲にしている…
何かを奪っている…
私たちにとっての歪み、犠牲…

私たちはバーチャルな世界を生きている…
知性とはバーチャルな世界を作る装置…

知性は自己や欲と結びついている…
抗うように身体は還ろうとする…

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