動物を食べること

動物を食べること…
それは不快なこと…
悲しいこと…
怖いこと…

少なくともハードルは高い…
その感覚を大事にしたい…

気持ち悪さとは何だろう…
それは同類に纏わるもの…
「死」や「殺」を含んでいる…
「代わりのないもの」の消失に関わっている…

なぜ食べないのかと問われると…
ただ「食べたくないから」と答えるしかない…
特別な理由があるわけではない…
あるとすれば「他に食べるものがあるから」だろう…

環境の話は、もうやめよう…
それはヒトの住みやすさのこと…
共生の感覚とは関係ない…

健康の話も、もうやめよう…
それは薬によって維持されるもの…
身体の自然な状態とは関係ない…

道徳の話も、もうやめよう…
それは損得が聖域を装ったもの…
無償ではない…

もし草花の育たない場所で暮らすなら…
もし狩猟採集がその土地の生き方なら…
そこには仕方のない殺生がある…
感謝と節度がある…

動物を食べることにこそ理由が必要だ…
なぜ食べるのか…

今の先進国においてその理由とは…
栄養だろうか…
舌を満たすことだろうか…
みんな食べてるからだろうか…

もっと素朴で剥き出しな感覚…
答えはそこにある…

人は動物を食べたいのだろうか…

「動物」ではなく、「肉」という加工された「食べ物」が食べたいだけではないだろうか…
連動して、泳いでる魚や運ばれている豚に対しても食欲を覚えることがあるかもしれない…
それらは経験によって書き換えられたものではないだろうか…
純粋な感覚が閉ざされ機能不全に陥っているのではないだろうか…

”本来”を盾に誘導しようとする話は正直楽しくない…
本来とはいえ、解釈は前提次第で如何様にもなるのだと思うから…
ただ、極限状態でもないのに、ネイティブに「動物」を食べたいと感じる人が本当に存在するのだろうか…
そういう疑問を拭い去ることができない…

肉食は私たちが授かったオプションと思いたい…

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