LIFE-SIZE

どう生きたいのか…

生きていることを感じたい…
身の丈でいたい…
無理はしたくない…
心穏やかでいたい…
のんびり生きたい…

でも私たちは常に大袈裟で都合がいい…
等身大で考えるわけではない…
考えることが等身大の否定なのだろう…
知性はいつも大袈裟で都合がいい…

ガザの話をしたら大袈裟と思うかもしれない…
身の丈でないし、もっとやるべきことがあると…

確かに大袈裟だ…
そして都合がいい…

ただ、ガザは私たちを映し出している…
私たちはいつでもアイヒマンになれる…

薄っぺらい否定…
マルクスの間違いは歴史が証明してるとか…
菜食主義に対して植物も生き物なのにとか…
つまらない…

街に下りてきた熊の方が悪い?
仕方なく殺すとしても、
あとから入ってきたのが私たち…
どこかの島を実効支配して我が物顔するのと同じ…
先住民を虐殺して移民文化を築くのと同じ…
コロンブスは英雄ではない…

どこまでも都合がいい…
それが知の正体…

動物愛護とか全く興味がない…
絶滅危惧種も放っておけばいい…
屠殺、環境汚染、飢餓…それ自体に興味はない…

数多の問題解決に口出しする気もない…
それは政治…とりあえず興味の核心ではない…
できることを少しずつ…

興味があるのは人の知の在り方…
それを踏まえた態度、謙虚さ…
さらに「意味」ではなく「答え」…

私たちは自分が加害者ということを認めない…
或いは気づかない…
そして私たちは加害者以外にはなりえない…

だからとりあえず認めることから始めたい…
そこからしか始められない…

知性は何も知らない…
知っているのは身体の方…
ただ世の中に馴染む頃は身体も分からなくなっている…

動物に癒されながら、
一方で躊躇いなく動物を食べる…
そこに嘗ての重さや厳かさはかけらもない…
思い出して欲しい…
越えなくてはならないハードルの高さを…

目を隠すからもっと光が欲しくなる…
耳を塞ぐからもっと音が欲しくなる…

過ぎた恩恵が作る犠牲を見ないこと…
暴力…

私たちは加害者…
ただし無罪だと思いたい…
そしておそらく別の選択もできる…

ゆっくり
とてもゆっくりと