DÉSIR

動物の世界に競争はない…動物、植物、鉱物、大気、海洋…それらは野性の摂理を体現しているに過ぎない…人はいつからか野性から逸脱した恩恵の奴隷となり、相応の犠牲を生産するようになった…

競争は「私」が生まれたことに起因する…肥大化した脳は「私」を作った…それは身体に備わる自己ではない…つまり動物の反応とか縄張りを語るときの自己ではない…「私」は他者との間に差異を認め、損得や優劣を感じ取る…所有や権利や道徳が生まれる…

私たちは答えを失くした動物だ…バーチャルな世界を生きている…答えではなく意味を求めている…より優位に、より便利に、より刺激を…最初は極めてゆっくり且つ希少なものだった…しかしその中で今日の競争社会の準備は進んでいたのだろう…

違う道を歩んだ人たちもいる…現存する少数部族やネイティブ・アメリカンなど…ただ、いま彼らは西洋の影響の中にあり、すでに屈してしまったケースも多く見られる…西洋は「私」が主導権を握った文明だ…周りのものを飲み込む力を持っている…その強さは暴力の本質でありハラスメントなどと同種のものだ…

競争社会は是だと考えるのは当然のことだろうか…人社会は恩恵と犠牲を作り出す…蛇口を撚れば水が出るということは、何かを犠牲にしているということ…再生可能エネルギーも例外ではない…人類が少数だったころは問題ではなかったかもしれない…しかし今分岐点にいることは否定できないだろう…争い、ストレス、貧困、差別、病気、ゴミ、環境破壊…自分の或いは誰かの首を絞めている…

だからこそ必要なものがある…それは何らかの節制に関わるものだ…規律かもしれないし、教訓かもしれないし、神話かもしれない…仏教やネイティブ・アメリカンの世界にあったもの…

教育とは所属する社会での生き方を教えるものだろう…つまり私たちは競争社会での生き方や考え方を教える必要がある…しかし反面それは子供たちの可能性を奪っていると考えることができないだろうか…大人が知っているわけではない…知らずに人は死んでいくものだ…

ブランドの誘惑…スポーツの熱狂…ホロコーストを思わせる工場式畜産…椅子取りゲームのようなビジネス…空虚な宣伝、広告、営業…武力で威嚇しあう国家…それらもある意味野性の後押しの成果なのかもしれない…しかしどうしても違和感を拭えない…それらに異常性を感じるといえば、無視や非難の対象になるのだろうか…

目を塞ぐから…
もっと光が欲しくなる…

耳を塞ぐから…
さらに音が欲しくなる