Snyder

The Practice of the Wild
GARY SNYDER

▪️第1章 野性の教え

「コヨーテとジリスは、互いの協定、つまり<狩るもの−狩られるもの>の関係を破ることはない。…我々は生命や世界を形作る「力」の恩恵にあずかっているのだ。…だから人間に対してはもちろんのこと、すべて生あるものに対して無益な殺生をすべきではない。…これは野生の教えである。…我々の仕事が困難を究めたとしても、少なくとも私は、これまでどおり野性のために働きたい。」(p18)

「我々の肉体は野生である。…意識的に予定を立てたりする自我(エゴ)が占める領域はごくわずかなものだ。それは精神の入り口近くにあって出入りを監視する小さな部屋、それ以外の精神の領域は自我の世話にはならない。肉体は、いわば精神の中にある。どちらも野性だ。」(p40-41)

精神と肉体は不可分であり野性であり完全なもの…分つものとは、人特有の「知性」であり人特有の「私」なのだと思う…

「一体だれが『精神』は、思想、見解、観念、概念のことだと言ったのだ。精神とは木であり、門柱であり、瓦であり、草のことである。」(p46)*道元の言葉の引用

https://hitkeas.com/2024/01/13/sauvage/
https://hitkeas.com/2023/12/08/ध्यानं/

「人間以外の存在は、自分たちが殺され、食料として食べられるのを気にしてはいない。だがその際、彼らは、喜びと感謝の言葉が人間の口から聞かれることを期待しており、自分たちが粗末に扱われることをひどく嫌う。「無益な殺生するなかれ」は五戒の第一で、もっとも難しい教えであるといえる。生き物を殺し、感謝の念をもってそれを食することにおいては、原始時代の人々は我々の先生だ。20世紀のアメリカ食肉産業は、動物に対する態度、その扱い方においては、文字通り吐き気がするほど不快であり、非倫理的であり、この社会にとって限りない不幸の源となっている。」(p47-48)

「野性の世界の不文律に従うためには、心の寛大さだけでは不十分だ。生にともなう不快や不安を乗り越え、すべて生命あるものがはかなくつつましい存在であることを受け入れられる、陽気で不屈な精神も欠かすことができない。…それに必要なのは、ある種の自己放棄と直感力を養う術、つまり自分自身をからっぽにする訓練だ。優れた洞察力が身につくのは、持てるものすべてを失ったそのあとのことだ。」(p50)

人は苦悩や危険な経験をとおして別人に生まれ変わることがある。…自分の能力を超えるような冒険や行為を敢えて試みることもある。ヨガの苦行や禁欲的な修道生活を実践する人もいる。また、雪原、岩山、山道、急流、そして谷底の森を、来る日も来る日も歩きながら旅を続けることで多くを学んだ人もいる。「自らをそこに置く」ことで何かを得るのだ。(p51)

走るのは「私」を緩めるため…
それは体が喜ぶこと

https://hitkeas.com/2023/09/13/courir/

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