IRREPLACEABLE Ⅱ

https://www.youtube.com/watch?v=Wr0jBwNGynQ
やらせなのかは分からないが、司会にしろ番組の演出にしろ知見や品が無さすぎる…極めて悪質でありながら、驚くのはコメントも番組よりだということ…最近こういう動画が多いが、これは菜食者が増えていることへの反応と考えていいのだろうか…いずれにしろこういう動画を見て思い知らされるのは、簡単には伝えられないということ…生きているうちに変化があればと切に願う…

https://hitkeas.com/2022/09/24/irreplaceable/
https://hitkeas.com/2023/02/14/this-is-not-freedom-of-thought/
自分の立場は上記リンクに詳しいが、コンパクトに語るなら以下の内容…

 代わりのない存在
 暴力について
Ⅲ 情報について…
Ⅳ 肉食者/菜食者の共存について…
Ⅴ 完璧でないことについて…

️Ⅰ 代わりのない存在…

動物を食べない理由は、人を食べたくない理由と変わらない…「代わりのない個」(詳細)を感じるからだ…だから「同じ命」とか「同じ生物」は関係ないし、客観的線引きもない…牛、豚、鶏などは仮に人と生活を共にするなら、それぞれ互いを他と区別して認識しさらに同じ記憶を共有することもできるように思われる…そういう存在を殺して食べる気にはなれない…食べるなら相応の理由が必要だろう…草花の育たない南極ではアザラシが貴重な栄養源かもしれない…アマゾンの少数部族による狩猟採集は彼らの生きる術だ…災害時にチキンエキス入りのカップ麺しかなければ勿論食べる…だから逆に肉食者に問いたい…なぜ動物を食べるのか…動物を食べるのは最後の手段でありたい…

Ⅱ 暴力について…

暴力とは恩恵のために犠牲に目を瞑ること…人は自分の暴力を知らないか都合よく解釈している…錯覚とは違う…錯覚は本性に準じたものだ…思考は答えを失うことで始まり、恩恵は必ず犠牲を伴い、道徳には嘘が隠れている…

動物のかわいい映像に癒されながら肉を食べ、愛情を込めて育てたという家畜を食肉加工業者に売る…他の星に容易に移住できたらSDG’sはすぐに過去のものになるのだろう…薬で健康維持…原発で生活維持…ミサイルで安全確保…

肥大化した脳は意識(知性)を作り出す…知性は「私(身体が本来持っている自己とは違う)」や「あなた」や「国家」や「お金」を作り出す…それらは所有や損得と結びつき、身体に欲望を植え付け、より便利に、より優位に、より刺激をと際限のないベクトルを作り出す…知性は本性を変容させ、事象を都合よく改変する…

田畑やソーラーパネルも暴力…
すべてを放棄しようという話ではない…
知性を疑うところから始めたい…

Ⅲ 情報について…

栄養や体の構造、歴史、環境などの情報に関しては、新たな研究報告が今後も続々発表されるのだろう…さらに肉食者にしろヴィーガンにしろ集める情報は自分に都合のいいものばかりなのだから話は永遠にすれ違うことが目に見えている…自分もつい語りたくなるが徒労に終わることは分かっている…実践して問題なければそれで十分ではないだろうか…

いずれにしろ工夫は必要…
それは菜食にしろ雑食にしろ同じこと…

Ⅳ 肉食者/菜食者の共存について…

迷惑をかけなければいいという話ではない…ヴィーガンは現状を変えようとしている…少なくとも変わることを願っている…自分だけ肉を食べなければそれで動物の犠牲がなくなるわけではないのだから…どう折り合いをつけるかはそれぞれだが、声をあげなくても肉食者と相容れない立場であることは確かだ…

だからと言ってテロ行為や屠殺現場の映像を流すことがいい選択であるかは疑問だ…肉食者も動物への情がないわけではなく肉食を仕方ないものと考えている…ヴィーガンの行為が卑怯で卑劣に見えるのも理解できる…どう伝えるかは難問だ…PライオットがロシアWP決勝に乱入したが、その後プーチンはウクライナ侵攻を敢行した…Pライオットをどう評価するだろうか…

Ⅴ 完璧でないことについて…

肉食者はヴィーガンに対して、視野が狭いとか、都合の悪いことは見てないとか、そういうことを言いたいようだ…ヴィーガンの方も、そういう指摘に対して応えようとしていないようにも見える…実際は肉食者も都合の悪いことは切り捨てている…お互い様というか、議論がいつも上げ足取りに終始するのはいつ見ても見っともない…

今の生活から完璧に動物の犠牲を排除しようとしてもそれは限りなく困難なものになるはず…動物の犠牲を経て生まれた商品と知らずにその消費者になっていることもあるだろう…しかしそういう事情はヴィーガンを諦める要素にはならないし、問い詰める要素にもならない…気づいていることの中でできることに取り組む姿勢が大事ではないだろうか…できないことがすべてを否定する要素にはなりえない…動物の犠牲を無くす或いは減らすためには個人だけではなく社会全体の取り組みが必要だ…

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ついでに…

国単位では少子化が問題だとか言うのだけど、地球規模では人と家畜の異常な個体数の方が問題だろう…減らそうとかそういうことではなくて、まず考え方というか、生き方を変えないと、とは思うのだけど…

肉は長い歴史の中で舌を満たすものとして完成/成熟している…人を幸せにする力もあるのかもしれない…しかしそれは酒や麻薬やタバコと同じかもしれないし、現代、特に若者にとってのSNSと同じかもしれない…

漁業にも否定的だが、関わる人の生き様まで否定するわけではない…競馬にも否定的だが、関わる人の情熱まで否定するわけではない…例えば古い家屋を建て替えなくてはならないとき、過ごした記憶まで否定するわけではないだろう…同じように考えている…